アマデウス[ディレクターズカット]

めちゃくちゃ面白かった!
音楽はいいし、話とキャラクターは面白いし、スケール感もある。ヴィーナスの乳首だっけ?小道具もイイ(笑)。
こちらでの公開はいつだったか、当時観たときは神とサリエリの戦い(気の毒にもサリエリの一人相撲)という風に観たかもしれないが、それよりもファーザーコンプレックスのモーツァルトが可哀想で可哀想で(涙)。演者のトム・ハルスを好きになってしまった。彼は今頃どうしているだろう?
今回はファザコン・モーツァルトに免疫があったせいか、ディレクターズカットで約20分も延長されたせいか、私の中ではサリエリがぐっと大きい存在になった。
その結果、この映画はモーツァルトという天才への惜しみない賛辞と敬愛を持ちつつ、「凡人万歳」という開き直りにも似た凡人賛歌であるように感じた。
晩年、精神病院で生活するサリエリを尋ねた司祭は、「神のもとでは皆同じ」などと言って、なんとなく上から目線で懺悔を勧める。しかし、サリエリは伊達に年を経たわけではない。モーツァルトのおかげで、凡庸な才能の持ち主として長年苦しんだ経験の持ち主だ。(なまじ天才が理解できるから嫉妬もするわけで、神様はサリエリに対して、ホンマにひどい仕打ちだと思う。)そんなわけで、「神のもとでは皆同じではない」ことを司祭にわからせてしまう。司祭を転ばせたことによって、神への復讐を遂げたようにも見える。
モーツァルトの音楽に包まれ、スッキリとした表情で病棟の廊下を行くサリエリ。様々な患者たち。サリエリがどんな気持ちだかは知らないけれど、私はその表情を見て、天才に嫉妬し憎むことを含めて凡人でもいいではないかという気がした。
ディレクターズカットでどの場面が加わったかわからないけれど、サリエリのイタリアでの少年時代(明るい光線)かなぁ?どれだけ彼が音楽を愛し、神に祈ったか。これでサリエリ側に付いて観ることに。
モーツァルトの方も愛犬家の貴族の屋敷に家庭教師に行った場面は、彼の音楽に対する思いが表れていてよかった。う~ん、それに・・・・、免疫があったとはいえ、ファザコン・モーツァルトはやっぱりイイね!
[追記]
1985年6月の感想文を引っ張り出して読んだ。どうやら原作を先に読んでいたらしい。原作に凡人サリエリの悲哀を感じさせられたのに対して、映画には天才モーツァルトの悲哀を感じさせられ、音楽とともに胸に迫るものがあったと書いてある。「低俗な人間から高尚な音楽が生まれるはずがない」なんて断言しているところが若い(笑)。俗物とみられるモーツァルトに潜む純粋性が美しい音楽を生み出しているのだそうな(へぇ~)。「この映画の魅力はモーツァルトにつきると思う。」とあって、モーツァルトを演じたトム・ハルスにノックアウトされており、「主演男優賞はトム・ハルスに贈られるべきだった」とまで書いている。老いたサリエリは最初と最後に登場すれば充分で、何度も出てこられると集中力が途切れる、それが唯一の欠点とのこと。完全にモーツァルト中心に観ていたのだなぁ。

「アマデウス[ディレクターズカット]」への7件のフィードバック

  1. 自己レス
    サリエリを凡人代表として見ると、天才モーツァルトの生活能力のなさがこれまたクローズアップされるんだよねー。

  2. 前に観たときより、サリエリに感情移入し易くなってる感じが私もしました。
    でも・・・サリエリはモーツァルトと比べたらもちろん「凡才」なんだけど、(生活力のなさだけはモーツァルト並み?の私から見ると)凡人というより「秀才」な感じ。
    あの如才なさ、立ち回りの上手さはそれなりにスゴイ!と思っちゃった。って、音楽と全く関係ない才能なんですが。
    モーツァルトの価値が誰より判る・・・っていうのは、本当に苦しかっただろうな~。でも、生活能力がないっていうのも相当苦しいと思うよ~なんて、やっぱり音楽と関係ないですね(笑)。
    とにかく、今回の『アマデウス』は観られて良かった!
    お茶屋さんの感想を読んでたら、「これこそ映画!」「映画じゃないと見られないモノを観てる!」って感じがしみじみしたのを、もう一度思い出しました。

  3. 確かに、皇帝のお抱え作曲家なんだもの、「凡人」じゃないですね。凡人より才能があったはず。「如才なさ+音楽の才能」で築いた地位だったんですね。凡人、凡人って、悪かった(笑)。>サリエリ様
    自分の才能に自信があるときはよかったんだけど、モーツァルトと出会って自分の才能に自信が持てなくなっての苦しみだったんですね。それに比べて、モーツァルトの絶対の自信!
    モーツァルトの方も苦しんでいたの、わかりましたよ。でも、生活能力のなさゆえの苦しみとはちょっと違うような気がしました。生活能力がないという自覚もなかったような(^_^;。お金が必要というのはわかっていたと思うけど。
    モーツァルト自身に生活能力はなくても、妻のコンステンツェに生活能力がありそうじゃなかったですか?彼女が能力を発揮する前に彼が亡くなってしまいましたが。助け合える人を伴侶にすると心強いですね。
    >「映画じゃないと見られないモノを観てる!」
    ほんと、そうでしたね!
    それにこの映画もやっぱりユーモアがあったと思います。

  4. モーツァルトの苦しみっていうのは、あの素晴らしい才能!と裏表のモノなのかなあ・・・って思いながら観てました。
    天翔る音楽の翼?っていうのは、地上(芸術そのものじゃない現世)では本人を引きずり回してヘトヘトにさせるくらいの「快楽」に向かわせる・・・とでもいうような。単なる「生活能力の欠如」とかなんとかじゃなくて。(上手く言えなくてスミマセヌ。先の私のコメントも言葉足らずで。)
    でも、そんなことより「ファザコン」の方がよっぽど苦しかっただろーな~ってのを、やっと思い出しました(笑)。
    私はなぜかモーツァルトのファザコンが頭から抜け落ちてしまうみたい。記憶が随分偏ってますね(ちょと反省)。

  5. >天翔る音楽の翼?っていうのは、地上(芸術そのものじゃない現世)では本人を引きずり回してヘトヘトにさせるくらいの「快楽」に向かわせる・・・とでもいうような。
    有り余る才能で疲れちゃうのかな?
    疲れてるけど麻薬みたいなもので、疲れているのが自覚できない状態なのかな?
    山岸凉子のマンガにニジンスキーを主人公にした「牧神の午後」っていうのがあるのですが、そのニジンスキーもそんな感じでしたよ。
    それで舞踊以外のことは全くダメなのに(翼はあるけど腕がない)、ディアギレフと別れて結婚したり、自分の舞踊団を切り盛りしたりしなくちゃならなくなって、翼までしおれてしまうという結末だったかな。(忘れてるので、また読んでみよう;;;。)
    『アマデウス』のモーツァルトと似ていると思っていました。

  6. 昔の感想が残してあるなんていいですね~。(って、私はソモソモ全然書かなかったから、残ってる筈もないんですが(笑)。)
    でも、そうかあ・・・お茶屋さんは完全モーツァルト派だったんだ。「(サリエリは)何度も出てこられると集中力が途切れる」っていうのに、思わず笑ってしまいました。
    私は原作も読んでなくて、最初から(映画だけ見て)サリエリに同情的だった記憶があります(でも、アテにならない私の記憶~)。
    昔(って言っていいのかな?)と今とで、全然違う受け取り方してるっていうのが、面白いですね。

  7. ムーマさん、追記を読んでくれてありがとう!『ウォール・ストリート』も!
    昔の感想、えらそうなこと書いているかなと思ったら、思ったほどではなくてホッとしています(笑)。『トッツィー』の感想は1行で、「一度観ているという油断が私を眠らせた。」とあって、思わず爆笑でした。
    あと、『バベットの晩餐会』『ビキニの海は忘れない』など、1回も観た記憶のない映画の感想があって、本当に驚きました。
    ムーマさんも長生きして、今書いている感想を30年後に読まれてはいかがでしょう。他人が書いたもののようであり、確かに自分が書いたもののようであり、なかなか面白いです。
    >私は原作も読んでなくて、最初から(映画だけ見て)サリエリに同情的だった記憶があります
    さすが、ムーマさん。
    核心をとらえていらっしゃいますね。
    >(でも、アテにならない私の記憶~)。
    あり?(笑)
    実は私も自分が一番信用できません(笑)。

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