瞳の奥の秘密

素晴らしい!
死体を発見したときの反応がラテンだ。昨日、北欧の反応を見たばかりだったので、表情の差異に「ラテンだ、ラテンだ」と(心中)騒いでしまった。・・・・いやいや、それが素晴らしいっていうのじゃなくて(笑)。A(エイ)はI(愛)なのだ。Aがない25年間、それは虚しかったろう。(愛する人を失った虚しさ、思い出さえ色あせてしまう哀しさはリカルド・モレラス(パブロ・ラゴ)で十二分に描かれていた。)だけど、ベンハミン・エスポシト(リカルド・ダリン)には、まだ愛する人がいるのだもの。「簡単じゃないわよ」だったとしても、そりゃ、アタックあるのみだ。
それにしてもイレーネ・ヘイスティングス(ソレダ・ビジャミル)の瞳だってベンハミンと同じくらい語っていたので、ベンハミンもわかっていたはずなのに、なぜ、25年前にアタックしなかったのか。映画の中では、その答えをベンハミンの友人パブロ・サンドバル(ギレルモ・フランセーヤ)が語っていた「恋をしていないから、浮いた言葉を掛けられる」。
一目惚れした女性が上司で、本気になればなるほど気後れして気軽な言葉さえかけられないという感じだろうか。奥ゆかしい(自称堅物)イレーネが勇を鼓して誘った日にパブロが殺されるというタイミングの悪さもあった。(そういうことで、この「なぜ」を片付けていいのかという気もするけど。)
瞳に語らせる作品だけあって役者もいいし、アップも多い。モレラスとの25年ぶりの再会後、帰途の車中でベンハミンの思考をフラッシュバックで見せたり、モレラスの家へ徒歩で引き返すベンハミンを逆光でとらえたショットも印象深い。列車の音に重ねて銃を撃ち、銃口からは火花がというシーン、渋い。音楽がなかなかメロドラマ。どこまでが小説かと想像をふくらませることができる。長年の幽閉にもかかわらず、イシドロ・ゴメス(ハビエル・ゴディーノ)の目に力があったことが気にかかった。
(こうちコミュニティシネマ 高知県立美術館ホール 2011/02/24)
[追記]
モレラスがイシドロ・ゴメスを20年以上幽閉していた(懲役刑に処していた)という部分は小説ではないかと思う。そのヒントが、ベンハミンとイレーネの会話にあった。小説の中のイレーネとベンハミンのその後をどうするかという話になって、イレーネは二児の母となり、ベンハミンはどこか山の方で家畜を飼って独り暮らしというようなことだったと思う(早、わすれかけている;;;)。
モレラスは国境に近い山の方で独り暮らしだし(家畜の話も出たような?;;;)、構想していた小説中のベンハミンのその後と符合する。だから、最後に登場したモレラスは、ベンハミンを投影した小説中の人物ではないかと思ったわけだ。何よりイシドロ・ゴメスのために三食作って洗濯して汲み取りもなんて、そんな面倒な(!)と思う。そりゃ、小説でなければ出来ませんよと。
妻のことを忘れられないゴメスに「忘れなさい」と何度も言わせる。それは書き手のベンハミンが、忘れたくても忘れられないことを、忘れた方がよいと思っているからだろう。イシドロ・ゴメスを幽閉していたと書くことによって、友人パブロを殺した犯人も捕らえられ懲役に処せられたと思った方がよいと自分に言い聞かせたのではないだろうか。そうすることによって事件にけりをつけ、パブロの墓参りにも行けたのではないだろうか。

「瞳の奥の秘密」への4件のフィードバック

  1. お茶屋さん、こんにちは。

    今頃になって観た本作ですが、なかなか意味深長な作品でした。
    で、拙日誌もアップしたし、拝読に伺いました。

    いやぁ、思い掛けない顛末が追記に綴られていて、驚きました。
    敢えてそのように想像した最大動機が、モラレスにそんな面倒ができっこないと考えたからってことではないでしょうから、どうして、そんなふうに思いが向かったのだろうと、瞳の奥を覗いてみたくなりましたよ(笑)。面白い!

    「書き手のベンハミンが、忘れたくても忘れられないことを、忘れた方がよいと思っている」のは、どの意識レベルでなんでしょうね。

    小説にした際に脚色してあったのは、現実はベンハミンの逃げ出しだったものを、小説では、彼の身を案じたイレーネが親戚の当てのあるフフイに逃がしたことになってて、大仰なメロドラマ的別れの場面になってた部分なんでしょうね。イレーネは、小説だし事実どおりに書く必要はないけどと突っ込んでました。そこで「じゃあ、なぜ一人で去ったの?」との問いと共に例の「いくじなし」の呟きへと進むのですが、話題を切り替えるように、その後の展開はどうなるの?とイレーネが問い掛けたところ、何のことはない、その後は、実際の展開どおりの話しか出て来なかったのだと思います。イレーネがベンハミンをリッチモンドホテルに誘った部分も小説的虚構部分だったのかもしれませんが、いずれにしても、小説はそこで終わっているのだと思いました。

    でも、第1稿がそうだったとしても、最終的に仕上げた小説は、そこで終わりじゃなかったということなのかもしれませんね。劇中劇としての小説であって、あの映画作品全体がまさにベンハミンの仕上げた小説世界であって、そのなかにおいて25年前の“借りは返した”と語るモラレスを登場させたのかもしれませんから。でも、そうなると、最後の「話がある」の場面も現実じゃないってこと?ってな可能性が出てきちゃうんで、僕的には小説としての虚構部分は最小限に解したいと思ってますが。

    ともあれ、とても刺激的で興味深いテクストに感謝(礼)。

  2. ヤマちゃん、コメントをありがとうございます。
    ほとんど忘れているので、下記のリンク先を読んでストーリーを思い出してきました。でも、自分が考えていたことはあまり思い出せないのですが、ベンハミンはパブロに対して罪悪感を持っていたと思っていたのかもしれないですね。
    あまりにも忘れちゃっていて、遣り取りできないのが申し訳ないです。

    三角絞めでつかまえて
    http://ameblo.jp/kamiyamaz/entry-10621001219.html

  3. お茶屋さん、こんにちは。

    今日付けの拙サイトの更新で、
    こちらの頁をいつもの直リンクに拝借したので、
    報告とお礼に参上しました。

    パブロは確かに巻き込まれ感がありましたから、
    ベンハミンが罪悪感を抱いても不思議はないですね。
    25年もずっと囚われ続けたかどうかは別にして。

    ともあれ、いろいろ刺激をいただけるこちらの頁でした(礼)。
    どうもありがとうございました。

  4. ヤマちゃん
    先日、あたご劇場で見た『遙かなる勝利』はロシア~って感じでしたが、こちらはラテン~って感じでしたね。(W杯ではアルゼンチンが負けてしまいましたね。)
    今回もリンクとコメント、ありがとうございます。
    またリンクしてもらえるように、感想を書かなきゃデスね!

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