メアリー&マックス

感動した(ToT)。メアリーが最後に流した涙が喜びの涙で本当によかった。
それまでに彼女の流した涙も綺麗だった。玉のような涙がアニメーションでこぼれる美しさもあったと思うけれど、混じり気のない悲しさが美しかった。悲しさだけの悲しみは本当に悲しい。後には、いじめっ子の好きな砂場に何やら恨みの品を鋤き込んだりするのだけれど(それくらいのことはしてもイイでしょう(^Q^)・・・、と俄然、悲しくなくなる(笑))。
手紙だけでは伝わらないことがある。メアリーが「許して」と書いてもマックスの怒りは収まらない。(刷り上がった著書をパルプにしているときのメアリーの気持ちをマックスは知らない。)吸い殻のポイ捨てに堪忍袋の緒が切れて、あわや相手を絞め殺すというとき、相手の「許して」にメアリーを思い出してよかった。人殺しにならずにすんだし、メアリーの「許して」もやっとマックスに届いた。自分も不完全な人間だから、間違いを犯した君も許すというマックスは立派だ。許す証に彼の全人生と言ってもいいコレクションを贈ったのにも泣けた。
この作品では、寂しいとき友だちがほしいと思う、その気持ち(希望)を持つことは大事だということと、心の友を持つ喜びが描かれていたと思う。また、心の友以外でも人とのつながりは大切だということが描かれていた。メアリーにとってのヒスロップさん(広所恐怖症)と、マックスにとってのアイヴィーさん(ほとんど盲目)だ。不完全な人間同士、許し合い助け合いましょうという、思いのほか(濁った水たまり色の目とか、うんち色の痣とか言ってた割に)ポジティブなアニメだった。
音楽の使い方がユーモラスだった。う~ん、音楽だけでなく全体的にユーモアがあった。
メアリーがどん底のとき、夫のダミアンは彼女を棄てて文通相手の元に走った。やっぱり文通っていいね(違?)。
友情は成長の遅い植物である。(ジョージ・ワシントン)
Nobody’s perfect.(『お熱いのがお好き』の最後のセリフにして、ビリー・ワイルダーの墓碑銘。)
メアリー・デイジー・ディンクル(声:トニ・コレット)
マックス・ジェリー・ホロウィッツ(声:フィリップ・シーモア・ホフマン)
ダミアン(声:エリック・バナ)
MARY AND MAX 監督:アダム・エリオット
(高知県立美術館 2011/08/13)

「メアリー&マックス」への4件のフィードバック

  1. 美術館ホールのアニメーション特集、全部観られたんですね。私はこの『メアリー&マックス』だけです。
    登場人物たちの正直さと対等な関係!が、私にとっては印象的でした。
    うじうじしてる?ように見えて、全然してなくて、相手の言動(手紙ですが)でショックのあまり入院したり、申訳なくて落ち込んで自殺しかけたり。もう100%で受け取って、100%で投げ返す・・・というか。
    「相手の役に立ちたい」とか「傷つけたくない(傷つきたくない)」とかいったゴチャゴチャが紛れ込む余地がない「友だち」の存在を、久々に見せてもらった気がしました。
    あ、妻がどん底の時に、ああいう手紙を残して出て行ったダミアンも、いっそ(私には)爽快でした。堂々とあそこまで言えたらいいなあ・・・なんて(笑)。

  2. さすが、ムーマさん、ナイス選。
    『メアリー&マックス』が一番よかったですよ~!
    一睡もしませんでしたもん(笑)。
    >もう100%で受け取って、100%で投げ返す・・・というか。
    >ゴチャゴチャが紛れ込む余地がない「友だち」の存在を、
    そうそう、悲しいなら悲しいだけ。
    怒りなら怒りだけ。
    これだけ正直に生きていたら、ボコボコですよ。
    そんな二人だからこその「友だち」関係でしたね。
    >堂々とあそこまで言えたらいいなあ・・・なんて(笑)。
    巧まずしてマイペースを貫ける人がいるんですよね~。私もあんなになりたいと思うことがあります。でも、もしかしたら、あんなになりたいと思われている方かも(笑)。

  3. お茶屋さん、こんにちは。
    本日付の拙サイトの更新で、こちらの頁を
    いつもの直リンクに拝借したので、
    報告とお礼に参上しました。
    「相手の気持ちになって」「相手の身になって」
    というのは、子供の時分から大人たちによく言われることですが、
    幼いときから「そんなん不可能に決まっちゅうやんが」
    などと不埒な反発を抱いていたことを今なお覚えている僕の記憶は、
    果たして事実だったのか妄想だったのか
    『ミスター・ノーバディ』じゃありませんが、怪しい限り(笑)。
    ですが、「寂しいとき友だちがほしいと思う、その気持ち(希望)を持つことは大事だということと、心の友を持つ喜びが描かれていたと思う。また、心の友以外でも人とのつながりは大切だということが描かれていた。」
    というのは、事実の如何によらず真理にほかならず、
    とりわけ後段部分の重要さは、ある意味、“運命の人”
    以上なんじゃないかという気がしています。
    どうもありがとうございました。

  4. >とりわけ後段部分の重要さは、ある意味、“運命の人”以上なんじゃないか
    それって、私は40を過ぎてやっとわかってきました。こりゃ、甥にも教えちゃらんとと思うのですが、実感をともなわないとわからないだろうなぁ。
    こういうことを描いているなんて、やはり『メアリー&マックス』はポジティブですよねー。
    直リンク&ご報告、ありがとうございました。

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