少年

昨年の福島第一原発の事故の際、テレビにかじりついていた私たちは、政府は事実を公表したがらないということを学んだのだから、先頃、北朝鮮が「人工衛星と称して弾道ミサイル」を打ち上げるというときに、政府発表を鵜呑みにした人は多くはないだろうと思う。しかし、津波警報の出し方について、「命令調の方がよかった」などという被災者の声を聴いていると、お上的なものに頼り主体性を持とうとしない方向に流れていく心性を危惧しないではいられない。
また、ゴールデンウィークの新聞(憲法記念日だったろうか)に澤地久枝さんにインタビューした記事が載っていて、澤地さんは戦争を経験して政府は信用できないことを学んだと言っていたのだが、私は次の言葉に衝撃を受けた。それは終戦後、政府の言うことを鵜呑みにしてきたことに「恥と罪」を感じたということだった。

そんな日々を過ごしているところへ『少年』を観たものだから、終盤で少年が雪で作った宇宙人が日の丸に見えた。雪像に赤い長靴は「白地に赤く日の丸染めて」の日の丸(お上)ではないか。少年は、宇宙人像に向かって体当たりし、壊す。少年にとって宇宙人は正義の味方で頼みとするところのものだったのに。大島渚も政府に体当たりしたかったのだろう。それとも政府を当てにして堪るかという意思の表明だろうか。
こういう見方が許されると思うのは、この映画がのっけのタイトルバックから日の丸だったからだ。家族が行く先々の軒先に日の丸が掲げられている。極めつけは、家族が泊まった部屋の奥にたくさんの位牌があり、その背後の壁は大きな日の丸で覆われている異様な場面だ。この場面で少年の父(渡辺文雄)は戦争で受けた肩の傷をさらし、障害があるため働き口もないと息巻く。もはや位牌は「お国のために」死んで行った兵士たちとしか考えられなくなってしまう。(生きている者、死んだ者に対して責任を負うべきではないかという作り手の声が聞こえてきそうだ。)

少年には子どもらしいところもあるけれど、作り手の観念を背負ったような言動に見えることもあった。日の丸のことと合わせると、青年の主張のような観念先行のゴツゴツした作品に見えるが、大変やわらかく繊細な場面もある。私は義母(小山明子)と少年の気持ちが通じ合うブランコの場面が素晴らしいと思う。継母であることを気にしている母は、自分を好きになってほしくて帽子を買い与える。ところが、少年がその帽子をどんなに大切にしているかはちっともわかってない。少年は母のことが嫌いではないのだが、当たり屋をしながら転々とする暮らしより田舎の祖母がよいのだろう、“家出”を試みたりする。
そんな二人が並んでブランコを揺らしながら、もう少しお金が貯まったら当たり屋をやめて普通の暮らしをしようねと約束し合う。二人の声の調子、小さな公園、ささやかな願い。ハートがあるからこそ残ってきたし、残っていく作品だと思う。

監督:大島渚
(小夏の映画会 2012/05/13 あたご劇場)

「少年」への2件のフィードバック

  1. お茶屋さん、こんにちは。

     今日付けの拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借したので、報告とお礼に参上しました。

     素晴らしい鑑賞文ですね。オープニングと中盤での強烈な“日の丸ショット”を受けて、雪像に赤い長靴を“日の丸”に見立てておいでの箇所には痺れました。また、少々観念先行型ではありながらも、ハートがあるからこそ残ってきたし、残っていく作品との締めは流石です。

     あの映画に出ていた少年、僕と同い年らしいです。ということは、あの作品、まさしく僕にとっては同時代の映画ということになります。観るのが遅れても、とても強い印象を残してくれた理由の一つには、そういうことも作用していたのかもしれないと思ったりしています。

     どうもありがとうございました。

  2. ヤマちゃん、おほめいただき嬉しいです(^_^)。ありがとうーー!
    んで、読み直して自分でも感動しましたよ(笑)。
    これは私が書いたんじゃなくて、作品のパワーですわ。スゴイや。

    同時代と言えば私もです。小学校何年生のときだったか(5,6年生かな)、先生が話してくれました。私たちと同じ年齢くらいの実の子どもに親が当たり屋をさせていたことと、高知県の話で映画になっているってことを。ずーっと覚えていて大島監督作品とわかってからは観たいと思っていました。
    小夏の映画会さんは前にも上映したらしいですが、そのときは知らなくて。念願叶って観られてよかったです。ありがたいことですね。戦前ぽくなってきた今にふさわしいかもしれんし(^_^;。

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