妻への家路

見てから何ヶ月も経つのに、轟音の列車から垣間見える逃亡中のルー・イエンシー(チェン・ダオミン)の姿から始まって、最大の山場である駅の陸橋での大捕物を経て、ラストの家族の肖像に至るまで、様々なシーンが昨日見たかのように思い出される。ユーモアを織り交ぜながら、過剰な説明抜きで文化大革命が、ある一家に残した深い瑕を描ききり、「忘るるなかれ」と心に染みこませるような作りである。バレエやピアノという映画と相性のよい事柄がうまく織り込まれているだけでなく、駅の階段を下りてくる人々の服装や雰囲気で時代の流れを表現したりと、これぞ映画という表現に溢れ、本当に堂々とした素晴らしい作品だ。

フォン・ワンイー(コン・リー)が、夫の顔を思い出せないのは、辱めを受けたことを忘れたくて夫の顔まで忘れてしまったのか、あるいは夫のせいでこんな目に・・・と思ってしまい、その思念を否定するあまりのことか。強制労働に行かされた夫も残された妻も娘もとにかく酷い目に遭わされた。特に教育現場の様子など短時間で要点を描いたうえ、バレエの見せ場まである巧みな脚本だ。(娘は父を犯罪者と思っている。こういう教育をされた娘をワンイーは許せない。)
写真さえあれば、夫が帰ったことがわかるのに、娘のタンタン(チャン・ホエウェン)がアルバムから父の顔をことごとくひっぺがしていたことが残念で可哀想でもあり、子どもらしいことをやったものだと可笑しくもあり。
イエンシーが妻をひどい目に遭わせた仇のところへオタマを持って殴り込み(笑)に行くところは作りすぎなんだけど、加害者も被害者であったこと(文化大革命の本質)を描くため必要なところだったと思う。

ラストは、私にとっては大どんでん返しだった。このどんでん返しによって、どうしても『肉弾』を思い出してしまう。『肉弾』は、戦死者のことなど忘れて浜辺で戯れる人々からそう遠くないところを漂流するドラム缶の中の亡骸(戦死者)がラストショットだった。それと比べると、『妻への家路』はとても静かなラストシーンだが、作り手の思いは同じなのではないだろうか。文化大革命から40年以上を経た中国では、それを知らない人が増えているだろうからこの作品が作られたのだと思う。
歴史を知ることはとても大事なことだと思っているので、文化大革命についても『芙蓉鎮』『活きる』などなど、映画でこうして歴史の事象とそれが人に及ぼす影響を見れることに意義を感じる。ただ、この映画のどこに普遍性があるかといえば、やはり夫婦、家族の愛の物語というところではないだろうか。
(2015年高知オフシアターベストテン上映会 2016/07/02 高知県立美術館ホール)

「妻への家路」への4件のフィードバック

  1. あのラストは胸に染みました。
    ほんと・・・なんとも言えない。
    フィクションとして作られた物語じゃないんだと
    ダメ押しされる?気がしたというか。

    40年は長いけれど
    こういう映画が作れる人たちが
    まだ生き残っている時間でもあるんだなあ・・・
    なんて、見た後色々思ったの覚えています。

  2. ですよね、あのラスト。
    2015年高知のオフシアターベストテン外国映画第1位に選んでいただいたおかげで見ることができました。ありがとうございました。

  3. お茶屋さん、こんにちは。

     報告とお礼がすっかり遅くなってしまいましたが、先の拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借しております。
     ほんとに「これぞ映画という表現に溢れ、本当に堂々とした素晴らしい作品」と書いておいでの通りの映画でしたね~。選考会では僕もイチオシだったので、再見作品選ばれて嬉しかったものです。
     本作ラストの『肉弾』との対照、とても興味深く読みました。『肉弾』は僕にとっては格別の作品で、その節は、大変に充実したメール談義も交わしていただいた思い出深い映画なのですが、こうして並べられると、“忘れる”ことへの問題提起が一際鮮やかに浮かび上がってきますね。どうもありがとうございました。

  4. ヤマちゃん、選考会での一押し、ありがとうございました。
    皆さんがオフシアターベストテン第1位に選んでくださったおかげで見ることができたんだもんね、感謝です。
    日々いろいろなことを忘れる身としては、「ニンゲンだもの」と言いたい(笑)。
    忘れないためにはシステム化やモニュメントが必要だろうなぁ。
    それにしてもチャン・イーモウってすごいですよね。

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