哀しいおとぎ話『A.I.』




!!!ネタバレしています!!!
















以下は、ニフティーの映画フォーラムにアップした感想と
それから後に書いた感想の合体です。














!!!観てから読んだ方がいいよ!!!

















  第一次感想

これって、語り口が御伽噺だけあって、やっぱり子ども向けですね。
子ども(のロボット)が主人公で、本当は悪い子ではないのに誤解を受けて 捨てられて(涙)、テディ・ベアをお供に人間になるため冒険の旅に出て、 ロボット狩りの追っかけシーンや、ぶっ潰しショーの残酷なところ(ドキド キハラハラ)、また、一見ハッピーエンド風のラスト(ほっ。でも、妙に悲 しい。)も、子どもが見たらそれなりに楽しめそう。←つまり私も童心で観 させていただきました(笑)。
投身自殺は「ここまでやるか(^_^;」と思ったけど、キューブリックへの オマージュや自分自身へのオマージュ(?)など映画ファンの心もくすぐっ て、しかも、水没&氷のマンハッタンの美しさは「もう一度観たいぞ!」て なもんでありました。



  第二次感想

流石にパワーのある作品でした。先行ロードショーから1週間、なかなか頭 を離れてくれません。何か知らんが、とても悲しい。それはなぜかと尋ねた ら、考えてみるにあの2000年後の描写なんですね〜。

青い妖精を見つけたけれど、願いは叶わない。この現実の冷たさ厳しさが、 2000年後の風景(氷の世界)にうまく引き継がれています。
そして、デイビッドの夢は、一応は叶ったのだけれど、それは母のクローン とのたった一日の思い出です。一日が過ぎると母は永遠に帰りません。デイ ヴィッドは、一日の幸せな思い出を胸に抱きながら、母のいない永遠の寂し さに耐えなければならないのです。幼い愛ではありますが、それが永遠の愛であることに間違いないでしょう。

幸せな思い出が、(母がクローンのせいか、デイビッドの記憶から作った家 が舞台となっているせいか)作り物めいていること、デイビッドが母のいな い寂しい永遠を生きていくであろうこと、人類が滅亡して人間らしさを持っ ているのが人間になりたくてもなれなかったデイビッドひとりぼっちである こと、真実の感情を持つデイビッドを作り物であると私が思っていること。 それらのことが、悲しさの原因ではないかとこの一週間の間に思いました。

この悲しさが、御伽噺にしてはユニークなので『A.I.』賛に一票なわけ です。



  第三次感想(笑)

っていうか、第二次感想に書き抜かっていたことなのですが、生前の母親とデイヴィッドが「死なないで」「まだ50年は生きるわ」というような会話をしたことが伏線となって効いていると思います。その会話があったので、デイヴィッドが「母のいない永遠の寂しさに耐えなければならない」という思いが強くなりました(多分)。

それからデイヴィッドの夢が叶ったといっても、それはむく鳥の子どもがカサコソいう枯葉の音を聞いてお母さんが帰ってきた夢を見るようなもので(そんな童話があったのです)、不憫じゃないですか?本当のお母さんは死んじゃってるわけだから。(あ、本当のお母さんは、ウィリアム・ハートか(笑)。)

そして、デイヴィッドが真実の感情を持っているにもかかわらず、やっぱり作り物だと思った理由は、彼が死なずに生きつづけるからなのですが、これって自分でも気づかないうちに、どこまでが人間でどこからが人間じゃないかという区分けをしてたんですね。
どんなに人間そっくりでも、真実の感情を持っていても、彼は「物」なんだ。←こういう感想って、本当に悲しい・・・・。

雑誌でスピルバーグのインタビューを読むと、スピルバーグはこう言っています。「天から与えられた贈物の中で、人間の心が一番貴重だと思います。」
「これ(デイヴィッドが養子(?)になること)は映画の中の設定ですが、実際にこういう社会になったときには、人間はロボットから受けた愛情を返す責任があるのではないか、それが、私がこの映画を通して問いかけたことなんです。」

う〜ん、これは今思ったことなんですが、スピルバーグって善人だ〜。私は自分が悪人に思えてきました。(でも、デイヴィッドを「物」だと思ったことをこんなに悲しんでいるんだから、極悪人はまぬがれたか(笑)。)

それにしても、スピルバーグの映画を観て、「人間とは」みたいな感想を持てるとは思っていませんでした。しかも、そういう感想を持ったのだと気づかさずに、単なる御伽噺と思わせるなんて、やるじゃん。>スピルバーグ
というよりも、単なる御伽噺と思っていたものを、咀嚼してみようという気にさせる映画だったことがすばらしいのかな。



鬼の対談『A.I.』も読む?
もどる
ホームへ