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イン・ザ・ベッドルーム
エビの復讐
IN THE BEDROOM
監督&脚本:トッド・フィールド|原作:アンドレ・デュバス|脚本:ロブ・フェスティンガー
マット:トム・ウィルキンソン|ルース:シシー・スペイセク|ナタリー:メリサ・トメイ

こわいですね、こわいですね、こわいですね〜!
息子が殺されたとき、その両親は・・・・という、すっごく面白くて、怖いお話です。人物や事物のじっくりとした描写に終始しているので、緻密なパズルに取り組むようにじっくりと観ることが必要です。
『ロード・トゥ・パーディション』は、思ったとおりに話が進んで行き、話の展開という点では脚本に面白味はなかったけれど、素晴らしいセリフがたくさんあってよい脚本だと思いました。その反対に『イン・ザ・ベッドルーム』の脚本は、セリフとしてはカッコイイものはなかったけれど、俳優の演技とあいまって登場人物の心の奥深くを汲み出す機能を充分果たしているとともに、話の展開が読めず下手なサスペンス映画よりずっとスリリングでした。
この映画は、人の心のあり様をみごとに映し出しています。自覚していなかった自分の心がわかったとき、もう安眠できない、もう一つの『インソムニア』の誕生です。



●ネタバレ感想
いきなりネタバレ行きますよぉ。観るつもりの方は、観てからお読みくださいよぉ〜。



この映画は、いろんな怖さが詰まっていますが、私がぞっとして鳥肌が立ったのは、マット(殺された青年の父親)が息子の仇を討った後、帰宅してベッドに横たわってつぶやいた一言、「ナタリーが写っていた」を耳にしたときです。この一言の奥にいろんな意味があって、それに私は心底ぞっとしました。
それより前のシーンで、マットは仇の家へ行きます。そして、マットは2階へ上がる階段の壁に貼ってある二つの物を目にします。一つは仇の別居中の幼い子どもが描いた絵、もう一つは仇と仇の妻であり息子の恋人でもあったナタリーが抱きあった写真です。
私は、この二つを見たときにマットの心中を想像しました。「子どもの絵を貼ってあるとは、人殺しでも自分の子どもは可愛いか。」と仇の人間性を認め、仇討ちにためらいができたか、でも、その先に貼ってあるナタリーと抱きあった写真を見て「人殺しのくせに、まだナタリーとの写真を飾っているのか。ナタリーも笑顔で!」と嫉妬したか、どっちだろうと。
・・・・・「ナタリーが写っていた」という一言は、マットが嫉妬していたことを現しています。そうすると「我慢できず」計画より早く仇を撃ち殺したのは、息子を殺された復讐に心がはやったというよりも、嫉妬に駆られてだったのです。
そして、何よりも恐ろしいのは、以前妻になじられた「あなたは(息子が人妻であるナタリーと付き合うのを)けしかけた。そのせいで息子は殺された。あなたは、(ナタリーに対して)自分ができないことを息子がすることで満足していた。」が図星だったことです。
マットは自分が人殺しとなった罪悪感など小指の先ほどもありません。それより「息子を殺したのは俺だ」と一生悶々とするでしょう。

ところで、マットが一生悶々とするであろうベッドルームですが、ベッドルームとは、エビ(ロブスター)の仕掛け罠のことでもあります。映画の冒頭で、エビが入ったが最後、出られない仕掛けの籠のことをベッドルームと言うことが説明されています。
仇討ちの後、マットが帰宅してベッドルームに入る前に、指のばんそうこうを剥がします。指の傷は、エビを獲っていたときエビに傷つけられたものです。この傷が治った頃に、ベッドルームで悶々とする羽目になるマット。まるで罠に嵌ったエビです。そうです。これはエビの呪いか、しっぺ返しなのです!
そして、マットに直接罠を仕掛けたのは、妻のルースです。彼女は、息子を殺した保釈中の犯人が、自分をつけ回し、自分を見て笑ったりすると思い込んでいます。これは被害妄想なのですが、妄想という自覚がないので、夫にそれを言ってしまい、夫は妻を守るためと息子の復讐を果たすため、法が裁かぬ仇を討つことに決めたのです。
夫が仇討ちから帰ってきたとき、ルースはそれと知っていて、ありがたく労をねぎらう雰囲気が見えます。あまりの平静さと仇討ちを知っていたことから、ルースが妄想を夫に話したのは夫を仇討ちに向わせる策略かと思ったほどでした。
実際、ルースと仇が雑貨屋で接近遭遇したシーン一つありましたが、あれだけではルースがどんな妄想を抱いているかはわかりません。もうひとつ、ルースがすれ違った人を誰だろうと確かめるシーンがありましたが、あの行動が何を意味しているのか、今一つ判じがたいと思いました。というのは「息子じゃなかったかしら」という風にも見えたのです。でも、息子と仇とでは髪の色が違うので、ルースが仇だと思ったとしても、あの様子ではルースの方が仇をつけ回しているようにも見えます。
結局、夫に話したときの様子が真に迫っているので、ルースの思い込み(被害妄想)と判断した訳ですが、正直なところ、もし、策略ならマジに怖いと思いました。

他にこの映画を見ながら思ったことは、息子が殺された後のルースとマットの言動の違い(ルースが感情的でマットとが理性的なことや、息子が殺された遠因をお互いのせいにしていた理由など)から、女はああだ、男はこうだと、感想が女性論男性論に発展して行く人や、ルースの被害妄想から無意識の罪について思いを馳せる人がいるだろうなとか。事件がなければ円満な夫婦でいられたし、自分の本心や欠点に気づかないまま気楽にすごせたろうなとか。事件の前の描写がけっこう長いけれど、それが事件後に活かされていること。たとえば、ポーカー中にウイリアム・ブレイクの詩を暗唱する人がいましたが、事件後の暗唱がすばらしい場面になっていたことなど、他にもいろんなことを思いました。
とにかく、隙のない脚本と見事な演技陣により傑作になっていると思いました。版権が取れなかったということでパンフレットが販売されてなかったのが残念でした。

シャンテ・シネ(東京日比谷) 2002/10/10


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