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■かるかん>ぼくを葬る|美しき運命の傷痕
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ぼくを葬る
子供は希望
LE TEMPS QUI RESTE/TIME TO LEAVE
監督、脚本:フランソワ・オゾン(2005年/フランス/81分)
ロマン:メルヴィル・プポー|祖母:ジャンヌ・モロー|ジャニー:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ|父:ダニエル・デュヴァル|母:マリー・リヴィエール|姉:ルイーズ=アン・ヒッポー|サシャ:クリスチャン・センゲワルト

私はオゾン監督の作品は、おもしろいけれど好きになれません。だけど、『ぼくを葬る』は好きです。というのは、ひとえに主演のメルヴィル・プポーのおかげ。彼がこんなに男らしく素敵になっていたとは!!!普通の男前というに過ぎないお顔ですが、表情に深みと翳りができておりまして、余命3ヶ月を宣告された青年役が見事に嵌り、美しく切なかったです。『夏物語』の愛すべきとほほな男の子(を演じた少年)が、こんなに成長するとはね〜。いろいろ芸の肥やしになるようなことが、彼の人生にもあったのでしょうね。
そんなわけで、オゾン監督の作品であっても美しい男性を主役にしてくれるならば、ええ、もう、好きになりますとも(笑)。台詞や仕草のわざとらしさも許します。主人公のエゴイストぶりも、またそれを弁護するというか開き直るいやらしさも、プポー君演じる主人公の美しく痛々しく死に行く姿の前には、ああ、もう、どうでもよくなりますとも(笑)。

●ネタバレ感想

ファッション・カメラマンである主人公の傲慢ぶりは、冒頭の撮影シーンで印象づけられます。この人、傲慢なだけじゃなくて、相当なエゴイスト。余命3ヶ月と宣告されたことを、家族にも恋人にも告げません。恋人に告げないのは、相手のためを思ってのことでしょうから理解できるとしても、家族に告げないのは自分勝手すぎると思います。家族が後で知って、どれだけ哀しく悔しく思うことか。エゴイストであると同時に、弱い男だなあと思います。

そういう彼を弁護するかのごとき存在が祖母(ジャンヌ・モロー)。彼女は、「夫に先立たれたとき、息子を残して家出したのは悪かったけれど、そうしなければ自分は悲しみのあまり死んでいた。あれは『生存本能』だ」と言います。ジャンヌ・モローが言うと、理性より衝動で動かないと生きていられない状態というのは確かにあるだろうなと、妙に説得力があって困ります(笑)。
このように孫のエゴイストぶりを受け止めてくれる祖母を登場させる(しかもジャンヌ・モロー)ところが、オゾンやな〜。

祖母との絡みは情感があって感傷的で、涙を誘われました。
特筆すべきは、父と息子の絡み。主人公の不安定さや親子の愛情の微妙さが、すごくおもしろかったです。
小さい頃は仲のよかった姉と不仲になっていて、喧嘩するところもおもしろかったです。
恋人が子どもなのには、ちょっとビックリ。主人公は、本当に子ども好きなのね。

 

●さらなるネタバレ
ここから先は、観てから読まれることをおすすめします。

 

さて、この映画のメインテーマ、「生きた証を残す」。これには、ビックリしました。
主人公がただただナルシスチックに死んでいくだけの映画かと思っていたら、子供のできない夫婦から「子種をください」と頼まれるなんて。なんちゅー、無理な展開。それを引き受けるとは、さらに仰天。
それは、映画の中では自然に描かれていましたので(主人公は死を宣告されてから、子どもの頃を思い出すにつけ「子供っていいものだ」と思うようになっていたし、子供のできない夫婦も控えめな感じで描かれていましたので)、違和感はありませんでしたが、冷静に考えたら取って付けたような話ではないでしょうか。
ただし、主人公が同性愛者であることを思えば、大変面白い展開ではあります。
彼は死を前にして、することに何の意味も見出せないでいましたが、唯一意味のあることとして子供を残すことにしました。子孫を残さないはずの「同性愛者」が、子供を残すことに生きる意味を見出したところが、おもしろいところです。

ところで、私は独身で子どもを持ちたいと思ったことは一秒もありませんが、子孫を残すという生物としての役目を果たしていないという自覚はあります。でも、人間は自然の摂理から逸脱した生物だし、私が子孫を残さずとも人類が滅亡するわけでなし、こういう人間がいてもよかろうと思っています。
また、「どうせ死ぬのに生きる意味があるのか」という点については、とりあえず死ぬまで楽しみを開拓していくことに意味を見出しています。(子育ては、多くの場合、人生最大の楽しみを提供してくれると想像できますが、そこまで濃い楽しみでなくていいです(^_^;。)自分が生きた証を残したいとは思いません。

そんなわけで、子孫を残さないという点では同類であるオゾン監督とわたくしですが、オゾンさんは、子供がほしいのかしらね〜?

シャンテ・シネ(東京日比谷) 2006/4/29
 
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美しき運命の傷痕
愛はあってもなくても悲劇の根源
L' ENFER/HELL
監督:ダニス・タノヴィッチ(2005年/フランス、イタリア、ベルギー、日本/102分)
ソフィ: エマニュエル・ベアール|セリーヌ:カリン・ヴィアール|アンヌ:マリー・ジラン|母:キャロル・ブーケ|ピエール:ジャック・ガンブラン|セバスチャン:ギョーム・カネ|フレデリック:ジャック・ペラン

素敵なタイトルです。
三人姉妹が落ちた愛の地獄。そんな運命を辿ることになったのは、いったい何故か!?運命の傷痕とはどんなもの!?とまあ、大変面白いお話でした。
タイトルバックではドラマチックな演出、その他はリアリスティックな演出となっておりました。わたくしといたしましては、ドラマチックな演出を貫いてほしかったです。

●ネタバレ感想
カッコウは、他種の鳥の巣に卵を産み落とし、孵った雛は、あたかもそこの雛のようにして育ててもらう(しかも他の卵を巣から落として餌を独り占め)、そういうチャッカリした鳥なんです。←托卵と言うそうです。
タイトルバックでそういうカッコウを見せられたので、これから始まるのは、一家に闖入者があり、家族は闖入者が誰かわからないまま、その者によって破滅させられるという話なのだーーー!と恐ろしい予感に、わたくし、大興奮いたしました。

 

●さらなるネタバレ
ここから先は、観てから読まれることをおすすめします。犯人かもしれない人物をズバリ書いていますので。←犯人なんて言っていますが、ミステリーではなく人生ドラマです。(ミステリーの要素があるので、ミステリー映画としてハリウッドでリメイクしてほしいな。)

 

果たして、闖入者は誰なのか、セバスチャンかな〜?そもそも彼が原因で悲劇は起きたわけだし。
だけど、私は「犯人は母親だー!」と思ったんです。悲劇の根源は、この母。
彼女は、事件の前から夫を愛してなかったんじゃないでしょうか?愛していたら告発する前に夫の話を聞くでしょう。有無を言わさず告発とは。(夫の方は人がよすぎるというか、真相を話さず有罪になって服役するなんて。)面会にも行かず、娘たちにも会わさず、「あんな人は、父親じゃない」と娘を守ったつもりが、父親といい関係を築けなかった娘たちは、よい異性関係を築けない(って何かフロイド的な)愛の地獄を経験することになっちゃった。

娘たちから真相を聴いた母親は、それでも後悔していないと言います。ということは、よっぽど夫を愛してなかったのね。墓石さえ作っていませんもの。
また、父親を娘たちの心から抹殺したことが(娘たちにとってよかれと思ってやったことなのでしょうが)、娘たちにどういう影響を及ぼすか、わかってないところが恐ろしい。
他を圧して巣に君臨するカッコウは、この母親だと思った次第。

そうすると、冒頭で出所した父親が、落ちた雛(おそらくカッコウの雛)を巣に戻したことが何を象徴しているのか、イマイチわからないです。
どうにかこじつけようと思って、落ちた雛はカッコウではなく、運よく卵のときには落とされず、孵化したあとで誤って落ちた雛ではなかろうかと考えてみました。「父に巣に戻された雛=父が冤罪だと知って救われた娘たち」ってことで。君臨するカッコウの横で、生延びた雛がいるのよと。
でも、調べてみたら、カッコウは真っ先に孵って、他の卵を巣から落とすとのことなので、こじつけれなくなりました(とほほ)。
やはり、キネ旬で黒田邦雄さんが書いていたように、父親はセバスチャンを庇って真相を話さなかったから、「父親に助けられたセバスチャン=父親に巣に戻されたカッコウの雛」なのかなぁ。彼(カッコウ)のおかげで一家は悲劇を迎えたのだから、辻褄はあうよねー。

他にも、ちょっと動かしただけで見えるものが違ってくる万華鏡が何を象徴しているのか、これを考えるのも面白いと思います。

銀座テアトルシネマ 2006/4/30
 
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