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そうかもしれない
ロッキーだけがロッキーではない(かもしれない)

開巻、明るい音楽とともに小さな平屋と感じのよい庭が映し出されただけで、「住んでいる人は裕福じゃない」、「この作品は丁寧に作られている」と思いました。私は心のこもった映画は好きなんですよね〜。

慎ましく仲睦まじく暮す老作家高山治(桂春團治)とその妻ヨシ子(雪村いづみ)でしたが、妻が認知症になってしまいます。夫婦生活50年、何事も二人で乗り越えてきたので、夫は一人で妻の看護を試みますが、やがて限界に達します。
そして、自らも病を得て・・・という筋だけ聞くと重たいですが、見てみると全く悲愴感はありません。愛する人が自分のことを忘れてしまう、会話が成り立たないという切なさは、現実味をもって伝わってきますが、どこがファンタジーのような軽さと優しさがあります。
登場人物は、甥(阿藤快)、編集者(下条アトム)、医師(夏木陽介ほか)、市の福祉職員(烏丸せつこほか)など善良な人ばかりですが、中には思い遣りが足りない人や過剰な人がいます。でも、そういう人たちもサラリと描かれていて否定的でないのは、やはりこの作品の優しさにつながっていると思います。

それにしても、「人生ほど重いパンチはない」ですね。しかも晩年になってこれほどのパンチをお見舞いされるとは。夫が妻のため小走りする姿に、私は「この人もロッキーや!」と思いました。
しかし、このロッキー爺ちゃんが入院し、見舞いに来た妻と再会を果たした後、夕日に染まる病室で背中を丸めて物思う姿はものすごく寂しいです。
もう人生に立ち向かう体力も気力も残っていません。人生を振り返るだけです。ひたすら寂しいけれど、不思議と打ちのめされた感じはしません。それが受け入れると言うことでしょうか。
(このシーンを夕日で染めた作り手(代表:保坂延彦監督)は素晴らしい!私にとって、ここがハイライトシーンです。その他にもよいシーンがあって、小さいですが映画らしいよい作品だと思います。)

私は先の夕日の病室がラストシーンでもよかったのですが、作り手は夫婦の愛の物語として終わりたかったようです。
妻が庭に植えたいと言っていたエニシダ。甥に連れられて30年暮した我が家へ帰ると、庭にはエニシダが植わっています。妻の記憶の中では、目の前で夫が植えてくれたエニシダです。
でも、本当は妻が介護施設に入った後、夫が入院する前に一人で(あるいは甥が手伝って)植えたものでしょう。妻は実際にはなかったことを記憶として思い出しているのです。夫(の愛)は報われましたね〜。
傍目には認知症の人が何を思っているかわかりませんが、ヨシ子さんのように素敵な思い出を作ってくれていると思えたらいいですね。

とさりゅう・ピクチャーズ 自由民権記念館 2007/6/2
 
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