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■かるかん>ゼロの焦点|ディファイアンス
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ゼロの焦点
悪人のいない犯罪映画には悲しみがある
監督:犬童一心/日本/2009年/131分

素晴らしい!昭和30年代の時代考証もよくできているように思う。わからないけど(^_^;。映像も美しい。人物のクローズアップを多用した力強い演出にぐいぐい引き込まれた。松本清張誕生100年記念の作品とのことだが、こういう人間本位のドラマなら推理ものが苦手な私でもついて行けるので、清張ものの映画をもっと観たいと思った。

敗戦というゼロ地点から人はどこへ向かって行くのか。最も印象的だったのが室田佐知子(中谷美紀)だ。どこかの令嬢だった彼女は、戦後、GI相手に買春するまでに身を落とし、事件当時は金沢で令夫人として市長選挙の女性候補者を後援していた。戦争によってどん底を経験した彼女が、そういう不幸を二度と作るまい、よい社会を築こうと選挙運動をしているのだった。
映画のラストは、現代の東京だ。銀座の画廊に佐知子の肖像画があり、こちらを見据えている。高度成長期からバブルを経て、今の日本は彼女が目指していたような社会となれただろうか。
『火垂るの墓』も『肉弾』も戦争と現在をつなげるラストシーンに唸ったものだったけれど、『ゼロの焦点』もなかなかのものだと思った。

TOHOシネマズ高知4 2009/11/14
 
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ディファイアンス
戦うユダヤ人
監督:エドワード・ズウィック/アメリカ/2008年/136分

イスラエルのユダヤ人は現在殺す側に回っているが、これまで映画で見てきたユダヤ人は、逃げる、隠れる、殺される人々だった。主にナチスに対するそういう存在として描かれてきたので、この映画でナチス相手に戦うユダヤ人を見て驚いた。

ポーランドに侵攻したナチスがユダヤ人狩りを始め、からくも逃れたビエルスキ兄弟(ダニエル・クレイグ、リーヴ・シュレイバー、ジェイミー・ベル、ジョージ・マッケイ)は森の中に隠れる。次々と森に逃げ込んだ人々と共同体(病院、学校、教会らしきものまで)を作り、兄弟はそのリーダー的存在になる。パルチザンとなってドイツ軍に抵抗したり、果ては戦車相手に応戦したり(^_^;。
ナチスは顔の見えない悪として、ソビエトの赤軍は山賊もどきとしてザックリと描かれていたし、ビエルスキ(D・クレイグだよ〜ん)にロマンスがあったりして、先の戦車と戦う場面も含めて娯楽映画として面白く作られているので、どこまでが事実なのかはわからない。ただ、脚色はあったとしても、ズウィック監督がユダヤ人に感心しているのが透けて見えるなぁと感じた。
また、ユダヤ人を理解してほしいという思いもあったのだろうか、自分たちは神に選ばれた特別な存在だとする選民思想もしっかり描かれていた。選民思想は苦難を耐え抜くための知恵であり、希望であることがわかるような場面が設けられていたのである。(例えば、厳しい訓練に「どうして私だけ・・・」と思うのではなく、「私は先生に見込まれたんだ。がんばろう。」と思うのが選民思想だとわかった。)

実在したビエルスキ兄弟は、この共同体についてあまり話さなかったことが、映画の最後で明らかにされる。だから、ほとんど知られていなかったと。
この字幕を読んで、私はビエルスキ兄弟は健全だと思った。(英雄的行為を自慢するのは健康的だと思うが、隠しておきたいようなことを話さずにおくのも人間としてごく自然なこと、という意味での「健全」だ。)森の中の共同体では、かなり深刻な(粛正にまで至った)いざこざもあったのだ。それに、食料などの必要なものを、農民から強奪したりもしていた。組織を維持し、生きのびるためとはいえ、決して進んで話せるようなことではないと思う。
話したくないことを話すのは、後世の人たちに同じ轍を踏んでほしくない(あるいはより良い世の中にしてほしい)という義務感からではないだろうか。ズウィック監督は共同体の負の部分を描きはしたが、戦うユダヤ人の顕彰のみに重きを置いているように見えてしかたなかった。

シネマ・サンライズ 高知県立美術館ホール 2009/11/17
 
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