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暗闇愛好家 ムービー・リポート


スモーク(ウェイン・ワン監督)

世の中には話のうまい人がいるもので、事実をちょっと脚色しておもしろおかしく時にはしんみり語ってくれる。どこまでが本当かどこからが脚色かわからない。だけど、そいういう話はロウソクの明りがよく似合い、大笑いをしたあとで(あるいはしんと聴き入ったあとで)「おやすみ」とロウソクを吹き消してからも、なんだか温かさが残っている。たばこ屋の主人オーギー(ハーベイ・カイテル)も話のうまいおじさんで、彼は同じ時間に同じ場所で一日一枚写真を撮り続けているのだが、"same time same place" という言い方からして時田富士男の「むか〜し、昔」と同等の魔力がある。かと言って日本昔話のような映画ではなく、数人の主要人物のそれぞれの逸話が集まってできた映画だ。そして、オーギーのクリスマスの話以外は現在進行形のはずなのに、どの話も過去の体験を語っているようなのどかさがある。タバコを一本くゆらす間に「今は笑えるけど、こんなことがあってね。」と切り出す昔話、うまいな〜、できすぎだな〜とニヤニヤしながら聞く話のような映画。愛煙家にはもちろん、タバコといえば副流煙しか吸ったことがない嫌煙家にもお勧めの煙です。


乙女の祈り(ピーター・ジャクソン監督)

近頃、主として若者が使っている「ムカつく」という言葉は、単に生理現象を表現しているだけではなくて、攻撃心が込められているように思う。強烈な印象の言葉で、あまり耳にしたくはないが本当にムカつくのなら、言うなとも言えない。昨年見た映画でムカムカしたのは『マークスの山』『GONIN』『ショーガール』で、いずれも暴力シーンに閉口した。それなりにおもしろい映画だったけれど人様にお勧めするには気が引ける。せっかく映画を見るのなら後味の良いのを勧めたい。さて『乙女の祈り』はドキドキしながら見た。主人公の二人の少女の、人をにらんだり笑い転げたりの思春期特有の表情を緩急自在のカットワークで一気に見せる。二人の空想する花園や粘土の国などメルヘンチックかつ不気味な異次元世界も魅力的だ。レズビアンの聖典と言われている実際にあった事件だそうで、彼女たちは二人の仲を引き裂く者として片方の母親を殺害する。アホらしい学校とうっとうしい家族からの避難場所である空想の世界と二人の絆を侵すものへの攻撃的防御という理屈もむなしい、悪夢の続きのような殺人。暴力シーンといえば殺害シーンのみだけど、これがなかったとしても印象は変わらなかっただろう。少女二人に肉薄しすぎた描写のせいか、怖さのあまりドキドキして血圧が上がりっぱなしだったせいか、始めから終わりまでムカムカしていた。したがって、お勧めすべき映画ではないが、なぜでしょう?書いてしまいましたぁ〜。メルヘンに毒を盛った生々しくも美しい、本当に怖い映画だった。


トイレの花子さん(松岡錠司監督)

トイレの花子さんは学校のトイレにいる妖怪か幽霊か、我らが口裂け女の類で現代っ子を怖がらせているらしい。ところがこの映画では、花子さんは子供たちの味方。怖いものは他にあった。現代社会にいる狂気の大人(誘拐魔、殺人鬼)、これは怖い。また、小学生の(小学生に限らないが)集団心理、これも怖い。転校生の正体は花子さんではないかと怯え、集団になるとエスカレートして彼女の正体を暴くべく学校のトイレに一晩とじこめるのだ。そこへ先の殺人鬼が侵入してくるから、さあ大変。なかなかエンターテイメントしてるでしょ。しかし、さすが『バタアシ金魚』『きらきらひかる』の松岡監督、優しいのだ。爽やかなのだ。牛乳屋の兄妹、妹は兄ちゃんが大好き。兄ちゃんはかっこよくて頭よくて、いじめられている転校生の味方だったのだ。でも、とうとう花子さんの恐怖に負けて転校生を見放してしまう。そんな兄ちゃんなんて、きらいだぁー!(でも、言葉にはしない。)だけど、兄ちゃんだって兄ちゃんだってつらいんだぞ。(でも、言葉にはしない。)小学生の恋愛模様もほほえましく、いじめ問題にもせまる。『学校の怪談』はバカでかいお化け屋敷。『花子さん』は人の心の怖さと優しさを繊細に描き、あくまでも爽やか。会う人ごとに『花子さん』を勧めたが、だれ一人見てくれなかった。しくしく。豊川悦司は小学生二児の父には見えないが、殺人鬼に向って「ちょっ、ちょっ(と待て)」と言うところがとても良かった。


 
フランケンシュタイン(ケネス・ブラナー監督)

昨年ジャック・リベット監督と決別した。と言っても仲良くなったためしはないが。『美しき諍い女』は拷問だったし『ジャンヌ』は拷問以上だった。観客のことなど念頭にない、これぞまさしく芸術映画。監督と趣味が一致すれば芸術映画も楽しいが、そうでなければ狭い座席は石の棺。脳裏に焼き付く鮮明な映像パワーは認めるが、ジャック・リベットよ、さようなら。そして、ケネス・ブラナーこんにちは。最愛の母を亡くした辛い経験から、愛する者に永遠の生命をと願いつつ、あくまで実験として怪物を作ってしまった科学者と、実験材料にすぎないが心を持って生まれた怪物の一大悲劇。ジュネーブの屋敷のだだっぴろい広間と大階段。人造人間が生まれるまでの素早いカット割り。目くるめくラブシーン。大仰な演出がおかしくて微笑ましくて気に入った。ほころびのある映画でも好きになることがあるものです。『愛と死の間で』はヒッチコック、『から騒ぎ』での冒頭の馬に乗ってのシーンは『荒野の七人』、『フランケンシュタイン』もジュネーブの山のシーンは『サウンド・オブ・ミュージック』などいろんな映画に影響を受けていると本人の弁。映画小僧ケネス・ブラナーに乾杯!気取らないところが好き。


クリムゾン・タイド(トニー・スコット監督)

ジーン・ハックマン扮するたたき上げの軍人原潜艦長とデンゼル・ワシントン扮するハーバード出のエリート副官との腹芸にサスペンスが高まる。方や核爆弾で先制することが最大の防御であると言い、方や核の時代においては戦争そのものが自分たちの敵であると言う。命令の確認を取るまで核ミサイルを発射すべきでないという副官に、途中で切れた命令は無効だ、その前の命令に従いミサイルを発射すると言う艦長。副官はまるで一般市民の代表のよう。真っ当なことを言ってくれる。方や艦長はワンマンで、部下に有無を言わせぬ強引さは、ともすれば悪役になってしまいがち。ところが、ハックマンは魅力的だし悪役には描かれていない。結末は見え見えだが、どう描くかが問題で、二人を対比して人間を描き込んだうえ思いっきり対決させているのでラストも感動的だ。それにしても軍法会議でハックマン艦長が処罰の対象にならないところが驚きだった。我々の感覚ではワシントン副官の判断が正しいと思えるのに、軍法会議は両方正しいと言うのだ。知られざる軍事の世界を娯楽映画で垣間見ては驚いてばかりいる。


●1996年は映画が日本に来て100年目です。
淀川さんによると「1896が来た」(いやあ、苦労が来た)と覚えるそうな。初上陸地は神戸です。神戸といえばいまだに避難所生活を余儀なくされている人たちがいるそうです。「明日は我が身」日本の未来は暗い。暗闇愛好家も顔負けであります。

●日本映画をほめる!(これもいわゆる一つの愛国心というやつでしょうか。)
『写楽』テンポよろしく江戸弁快調、雪の場面が美しい。
『ガメラ 大怪獣空中決戦』職場では子供をダシに見に行ったパパと怪獣ファンの男性が盛り上がっていた。きっと来るガメラ、心のこもった映画。
『ラブレター』中山美穂!
『人でなしの恋』予備知識ゼロで満足度90%。乱歩を浅く仕上げてカルト化ならず。おしい。
『午後の遺言状』老人だけではない。勇気づけられるラストシーン。

(1996年2月号)


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