教皇選挙

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不自然なきまりごと

最後にローレンス(レイフ・ファインズ)が、亀を両手で持って水に返すのは何を意味しているのだろう?灰は灰に塵は塵に亀は池に?人は土に還り、生きている亀は水辺に。それが自然というものだから?

この映画を観に行く直前に占い師をしている友だちから、タロットカードからのメッセージだとして「不自然なきまりごとを設けて、自然に起こることを入ってこないようにしていませんか。地図に載っていないものの中へリラックスしていきましょう。すべてを上手くやろうとしなくて良いのです。」とLINEをもらった。ちんぷんかんぷんだったが、選ばれた新教皇をローレンスが認めたところで、「このことだったのかー!」と思った。タロットカードからのメッセージは、私へというよりローレンスへのメッセージとすれば大変しっくりくる。

女性は教皇(枢機卿)になれないため、スイスで女性の臓器を取り除きバチカンに入ろうとしたが翻意し、自然体でバチカンに入ったベニテス(カルロス・ディエス)。それを知りながらコンクラーベで選ばれたベニテスを教皇と認めるローレンス。それでこそ前教皇の一番弟子というものだ。これまでのカトリックの地図には載っていない世界へ踏み出したと思う。すべてが上手くいかなくても善き方向へ行くのではないか。保守派、改革派、おとし穴といろいろあったコンクラーベだが、大穴中の大穴にして理想のキリスト教徒らしいベニテスに未来を託した他の枢機卿たちの善意にも希望を感じる。創作物は社会をリードすることがあるので、そういう意味でもよい作品だと思う。

修道女を演じていたのはイザベラ・ロッセリーニだったのか。すごい存在感だった。
(2025/05/09 TOHOシネマズ高知2)

パディントン 消えた黄金郷の秘密

『パディントン 消えた黄金郷の秘密』の感想を毛筆で書いた画像

やっぱりおもしろい

最後の最後に前作の立役者ヒュー・グラントが登場(^o^)。愛されているなぁ。それとも出演作で『パディントン2』が最高傑作かもしれないと言っていたらしいので、顔出しをアピールしたのかも(^m^)。
アントニオ・バンデラスはお年を召された感じだけど、行けてるよ。←ひいき目?
オリヴィア・コールマンの化けっぷりに感服。英国俳優は、すごいなぁ。

バスター・キートンへのオマージュは予告編どおりあった。ごろごろ岩に追いかけられるのは『インディ・ジョーンズ』?でも、『インディ・ジョーンズ』も他の作品を引用していたのかも。
陸海空のアクションはいいなあ。電子メールじゃなくて手紙の遣り取りもグー。パディントンが怒った顔をするところも(^Q^)。お父さんが蜘蛛が苦手という伏線が効いていて爆笑だった。
(2025/05/10 TOHOシネマズ高知5)

ムラサキカタバミ_紫酢漿草

我が家では雑草として引っこ抜く対象となっているムラサキカタバミ。今までは球根部分までしか見たことがなかったが、この度うえの写真のように球根の下の大きな根まで見ることができた。右端のものは、分球しているのではないだろうか?よくわからないが面白い。

ムラサキカタバミもやっかいだが、それに輪を掛けて最強とも思えるのが黄色い花のカタバミだ。ぶちぶち切れて球根にお目にかかったことがない。鉢の中に侵入されると鉢を乗っ取られてしまう。元々の植物が枯れてしまい、鉢の中はカタバミの根が回っていた。どんなに干からびていても一雨降れば復活する。
ドクダミもカタバミも爆発的に増えず、一定のところでおとなしく咲いてくれたら大歓迎なのだが、思いどおりになるはずもない。

他に由緒正しい雑草としてヤブガラシがいる。この冬の間は屁糞葛にかかりっきりで離れた花壇にいるヤブガラシのことを忘れていた。先日、南天の高いところに上っているのに気がついて「ヒッ」となって処分したが、1本は根元が木質化していた。これは数年の間、見落としていたのだと思う。カッコいい葉っぱなのに名前からして恐怖を覚える。

露草、田平子、仏の座(シソ科)あたりは根が浅いので気が楽だ。露草は好きなので花が咲くまで置いておくこともある。ちょっと困った感じなのが、野の花として植えたのに増えすぎて他の植物を浸食し始めた蛍袋だ。闘っているが地下茎がゴムみたいで少し気持ち悪い。球根植物の姫檜扇も種があちこちに飛んで立派な球根となり庭中で成長している。球根はけっこう深いところにあるばかりか、ガッシリと土をつかんでいる。種が球根に成長するまでは潜伏期間だったのだなぁ。一時期は石蕗だらけになったこともあった。アマドコロはちょっと減しすぎたかなと反省中。趣味の園芸家は、まったくもって勝手なものである。

石川寅治展/石元泰博展

生誕150年 石川寅治展 明治・大正・昭和を生きた画家(前期)

石川寅治展の広報ハガキの画像

高知市出身の画家(1875-1964)。88歳(亡くなる前年)まで年に2、3度写生旅行に行っていたという。1902年友人と渡米。水彩画二人展(このときの手書きポスターも展示されていた)で絵を売って、その資金でヨーロッパの美術館などを見学し1904年帰国。台湾、満州、朝鮮半島など当時の植民地へも写生に行き、日中、太平洋戦争時には海軍嘱託画家として中国や南方に派遣されたそうな。旅する画家だ。絵画教育にも尽力していたようで師範学校用の手本図画を編んでもいる。

入場して「出港」(1960油彩)が目に飛び込んでくる。第一印象は「うまいね!」。順路どおりに進むと若い頃から何を何で描いてもうまい。多分、構図が安定していて、色も形も実物そのままを描ける描写力の高さがあるからだろう。いわゆる正統派(オーソドックス)な絵だ。

今では見られない明治の風景などは懐かしい感じがする。自然はゆたかで民家は貧しい。皆、着物が普段着だ。そんな中「伯爵板垣退助像(60歳)」は、髭こそ白いが当時の60歳にしては大変若々しいと思った。服装や髭に比べてあんまり偉そうな感じがしないのは、何か憂いのある表情だからだろうか。

見終わって印象に残っているのは裸婦の絵だ。特に版画の「裸婦十種」は赤が効いていてデザイン性が高くモダンな感じ。版画を含めて、どの裸婦もふくよかでボリュームがあって、西洋画の裸婦に引けを取らない。署名の多くは「Ishikawa」に、朱書きの「寅」の字を四角で囲って落款印のようにしてある。明治維新後の西欧化の波に乗っていても日本人であることを常に意識していたのかもしれないと思った。
また、晩年は「うまい」から「面白い」に転じた絵もあって「寄せる波」の白い塊(波)に赤い断崖など、梅原龍三郎風味が入っていた。

石元泰博 コレクション展「落葉と空き缶」(前期)

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このシリーズは好きなシリーズだ。詩人のアーサー・ビナードさんは、ぺちゃんこの空き缶をコレクションしているそうで、このシリーズのことをご存じであろうか?写真で落葉と空き缶をコレクションしている石元泰博に詩心を感じる。観ていて私は死んでミイラ化した落葉と空き缶だと感じていた。残骸、死後の痕跡だと。ところが、石元さんによると「ぬれそぼった葉は踏まれ踏まれてアスファルトに食い込み、やっと葉脈だけがその存在を示していたりするその姿が、不思議にも「命ここにあり」と私に囁いているような気がしたのである。」とのことで、驚いた。八十を超えるとこのような感慨を私も持つようになるのだろうか。もしかして死後(失われた命)であっても「命がここにある」という感じ方だろうか。たしかに、葉脈だけとなった葉がアスファルトに食い込んでいるのは迫力があった。

コレクション・アラカルト

昨年から(だっけ?)シャガール部屋は、常設の油絵3点に絞って、残りのスペースに他のコレクションを展示する部屋になっている(ばんざーい)。贋作が確定したあの「少女と白鳥」も 昨年 2023年(県美30周年記念展だったと思う)ここで観ていた。「いいなあ」と思っていた。それはさておき、今期のアラカルトの主な作家は菊畑茂久馬、土方久功(♥)なのだが、平川恒太の「Trinitite 渡洋爆撃」があって「おお!」と思った。平川恒太 Cemetery 祈りのケイショウで観たヤツだ。そして、元の戦争画は石川寅治の絵なのだ。
(2025/05/05 高知県立美術館)