ALWAYS 三丁目の夕日’64

笑って泣いた。
鈴木オート家の六子も茶川家の淳之介も血のつながりはないけれど家族だった。家族っていいなぁ。
戦争が終わって約20年。高度成長期のただ中で時流の波に乗る人も乗らない人も、夕日の中それぞれの明日を見つめようとする。
大津波の後、それぞれがあらゆる言葉の意味を見つめ直す。そんな状況とどこか呼応しているぞ(?)。
さて、この昭和ファンタジーいつまで続くのだろう。40年代は三億円事件、万博までかな?

鈴木社長(堤真一)/鈴木トモエ(薬師丸ひろ子)/星野六子(堀北真希)/茶川竜之介(吉岡秀隆)/茶川ヒロミ(小雪)/古行淳之介(須賀健太)/宅間先生(三浦友和)/菊池先生(森山未來)/富岡(大森南朋)/たばこ屋のおばちゃん(もたいまさこ)

監督:山﨑貴
(TOHOシネマズ高知7 2012/01/22)

君を想って海をゆく

ビラル(フィラ・エヴェルディ)が、めっちゃイイ子で(涙)。マンUでサッカー選手になるんやとー。ミナ(デリヤ・エヴェルディ)に会いに行くんやとー。『汚れなき悪戯』「ステイ・ゴールド」石川遼。

シンプルな作品なんだけど実に繊細。たとえば、なぜ、シモン(ヴァンサン・ランドン)は、ビラルを助けたのかにしても答えは一つだけじゃない。難民側に立たなかったことで別居中の妻オドレイ(マリオン・ダナ)に「あなたに失望した」と言われたこと、独りアパートの寂しさ、ビラルたちの若さ、助けてみるとよい子だし、事情を聴くとミナに会わせてやりたい気にもなる(自分は未練たっぷりの離婚をしたし)。難民への支援は犯罪みたいに言われると反発もある(関わりたくなかったはずなのに)。
オドレイの気持ちも昨日今日のものではないと察しがつく。程よい距離を持って付き合うには大好きなシモンなんだけれど、いっしょに暮らすとダメなんだ。何度も思い知らされていたんだね。
ミナの家族の描き方も「家父長」バーン。わかりやすいし、きめ細かい。身動きとれなさ具合が、ひしひしと伝わってくる。
カレーの浜辺ののどかさとはまったく異なる暗い波間に見え隠れする大きな船と小さなビラル。ワイドスクリーンが生きる。

私の頭には「なぜ?」という言葉が点滅し続ける。難民を扮装中の本国へ送還はしないというのは肯けるのだけれど、そのまま放置、支援は犯罪って???(カレーの難民
そして、おしまいに玄関マットの比ではないタイトルが。私には強烈なパンチだったが、フランスの市民はどう受けとめただろうか。

WELCOME
監督:フィリップ・リオレ
(シネマ・サンライズ 2012/01/20 高知県立美術館ホール)

ロボジー

面白かった~。クスクス笑いどおしだったような気がする。
和久井映見ちゃん、母親役が多くなったね。

鈴木重光(五十嵐信次郎)
佐々木葉子(吉高由里子)
小林弘樹(濱田岳)
太田浩二(川合正吾)
長井信也(川島潤哉)

監督:矢口史靖
(2012/01/15 TOHOシネマズ高知7)

ヒミズ

感動した。
園子温は、やさしいなぁ。
住田祐一(染谷将太)を茶沢景子(二階堂ふみ)が救う。『20世紀ノスタルジア』で生死の瀬戸際に立っていたチュンセ(圓島努)をポウセ(広末涼子)が救った、あの変形版だ。チュンセと終末感漂う東京が重なり合っていたように、住田くんと東日本大震災後の日本が重なる。「がんばれ」という言葉だけなら虚しいが、傍にいて何があってもいっしょに居続けてくれる人が、大好きな人にどうしても言わずにはいられない言葉ならどうだろう。同じ言葉が異なる意味を持つ。魂の発露としての言葉についての映画にもなっていた。

青々しい物語に瑞々しい俳優。ツボだ。(このごろよく感じることは、子どもは社会の生命力ってことだ。夜野(渡辺哲)らの登場人物が、住田を見守り気遣い試しているのは、作り手にもそういう視点があるからだろう。)
それに、性と暴力とお笑い。映画の王道だねぇ。でも、暴力は苦手なんだよな~。父ちゃん、殺すのはいいけど(?)。(園作品はリアルなようでリアルでない。非現実のようで現実的。何か変な絶妙なバランスで成り立っているような気がする。)

ただでさえ葛藤の多いお年頃に、毒親のおまけ付きで、父親殺しというハンディキャップを背負っての再スタート。伴走する茶沢さんに私は「母親になりすぎないでね」と今は思ってしまうのだが、東日本大震災後の日本を変え得るのは母親パワーかもしれない。

監督:園子温
(2012/01/14 TOHOシネマズ高知5)