御園座10月

昼の部(10月21日)
 毛抜
 色彩間苅豆かさね(いろもようちょっとかりまめ)
 権三と助十
夜の部(10月20日)
 鳴神
 達陀(だったん)
 義経千本桜 川連法眼館の場
◎毛抜
 毛抜を観るのは2回目のせいか、それとも演じる役者のおかげか、セリフがよく聴き取れた。
 以前観た海老蔵の粂寺弾正は、民部の弟秀太郎や腰元巻絹に色事のちょっかいをだして振られたときの驚愕(?)ポーズが傑作だった。歌舞伎らしい大仰さが漫画的で可笑しく、かつ、そのまま錦絵になりそうな美しさだった。
 松緑の粂寺弾正は如何にと、そのポーズを楽しみにしていたら、意外とあっさりしていて拍子抜けだったが、これが型の違いというものかと勉強になった。
 毛抜の幕切れは、弾正が名探偵ホームズよろしく、小野家のお姫様の奇病の原因を突き止め、お家のっとりのたくらみを暴き、意気揚々と花道を帰っていく。その松緑の表情が大変よかった。心の底から満足しており、一働きした清々しさに満ちていた。
 それにしても、弾正の衣装の模様は、なぜ、碁盤に碁石なんだろう。囲碁に目がないキャラクターなんだろうか。
◎かさね
 美しい~。海老蔵、菊之助は一人一人でも美しいが、二人が寄り添うと「ほぉ~」と口が開く。花道でのツーショットの舞台写真がなかったので、見るたび涎をぬぐう必要もなくなったわけで、それはそれでよかったかもしれない・・・・。
 歌舞伎役者の三十路は、芸がある程度こなれてきたうえに、時分の花ともいうべき美しさが保たれている頃で、さぞよい10年あろうと、これからのご両人が益々楽しみだ。
 お話は、父の敵の与右衛門(海老蔵)を好きになったかさね(菊之助)に父が祟る。そして、与右衛門はすがるかさねを殺す。
 菊之助は、かさねの悲しみをよく表現できていたと思う。与右衛門に鏡を差し出され、自分の顔の変化に気づいたときの息を飲む音に胸を衝かれた。
 しかし、これも型なんだろうか。殺された後、逃げる与右衛門を逃すまいと引き戻すしぐさは、執念らしきものが感じられない。横たわって片腕だけ上げ、手首より先で「おいでおいで」するだけとは、あまりにもあっさりしすぎではないだろうか。これは、手先だけでも充分に引き戻す力があるということだろうか。それとも、花道の与右衛門に注目あれと、控えめな演技に止めているのだろうか。
 また、鎌で切りかかる与右衛門から逃れたり、切られても追いすがったりする場面では足を引きずっているが、その引きずり方がピョコピョコといった速いテンポでおどろおどろしさがない。舞踊だからか、音楽には合っていたけれど、こんなに怖くなくていいものだろうかと思った。
 海老蔵は捕り手と戦う場面で、工夫をしていたように思う。どんな工夫だったか忘れてしまったが、「工夫をしている」と思わせられたということは、あまり自然な演技とは言えないだろう。でも、意欲的でよいことだと思う。
 与右衛門は色悪だけど、海老蔵は性悪には演じてなかった。私は海老蔵のこれぞ色悪というのを観てみたい。三十路でぜひ!
◎権三と助十
 「源氏物語」の弘徽殿の女御を観てからというもの大好きな田之助さん、これに出るってんで楽しみにしていたら、最後の締めにチラっと。もっと大きな役で観たかったけれど、うれし泣きに手のひらで顔を覆うしぐさに、人のいい小間物屋の人物像が現れていて、名人はちょっと出るだけでもよい!と思った。(田之助さんの弘徽殿の女御がどれだけ素晴らしかったかは、以前書いたものがありますので、ぜひ、ご覧くださいまし。)
 そのほか、権三(團十郎)も助十(菊五郎)も家主(左團次)もあたりまえによかった。権三のおかみさんを演じた魁春は、こういう役がうまいなぁ。「芝浜」でもおかみさんの役で、あれは感動したもの。
 「権三と助十」は、話自体はさほどではないが、江戸の風物がのんびりと、人間関係がちゃきちゃきと面白く、ほのぼのとした味わいがあった。子どもが走り回る長屋のにぎやかさもよかったし、特に井戸替えの面白さったらない。何だか知らないけれど、皆が「そーれっ」と綱を引っ張って、上手から花道へ走って出てくるのが愉快で、出てくるたびに笑わせてもらった。

ピーター55

母と「ピーターvs池畑慎之介」へ行ってきた。
第1部は池畑慎之介がお蔦を演じる「一本刀土俵入り」、第2部はピーターの「レビュー」となっており、なんだかお得な公演だ。
「一本刀土俵入り」での池畑慎之介は、さらりと上手い。話自体もいいので安心して観ていられる。(と言いつつ、眠ってしまった。他の主要な俳優さんが、いかにも芝居をしている感じだったのが残念。母は英太郎が出番は少しなのに存在感があってよかったと言っていた。)昔観た前進座の芝居と若干台本が異なるようで、お蔦と先輩酌婦(英太郎)の別れの場面が加わったりしていた。
「レビュー」の方は、かなり楽しかった。4人の男性ダンサーを従えて、歌って踊るピーターは妖しい魅力がいっぱい。「一本刀土俵入り」では、池畑慎之介が男性であることを忘れて観ていたが、「レビュー」ではピーターが男性であることを常に意識させられた。見た目はまるっきり女性なのに。艶然と手をふる姿は大女優の貫禄なのに。
腰までスリットが入ったロングドレスから、にょきりと足がのぞくたび、男性なんだよね~と思ったし、男性ダンサーとの絡みにも男性同士なんだよね~と思った。
つまり女性にしか見えないから、「実は男性」と脳内で確認作業をしていたわけだ。そして、ドレスから女性の足が見えるより、男性の足が見えていると思った方が妖しい。その足が西田敏行のものならと想像すると、妖しく思われる男性の足は限られてくるけれど。
おしゃべりも楽しく、大いに笑わされたし、なかなかのエンターテイナーだと思った。55歳になったばかりだそうだが、これからも元気で末永く(美しく)楽しませてほしい。ありがとう。がんばれ~。

ジャズコア・フライブルグ2

高知市ではチケット完売だったそうだが、須崎市民会館は1階は満席、2階は20人くらいだった。
先日のレニングラード国立バレエの公演も、昨年の松本幸四郎、市川染五郎親子の「勧進帳」も2階席は埋まらなかったので、須崎市民会館の満員御礼はなかなか難しいことなのかもしれない。
ジャズコア・フライブルグの須崎市公演で面白かったのは通訳だった。おそらく素人の即席通訳だからだろうと思うが、指揮者のベァトランド・グレーガー氏が言うことをほとんど訳せなかった。でも、会場ではおおよそどんなことを話しているか見当はついたので特に問題はなかったし、かえって手作りコンサートの雰囲気があってよかったかもしれない。それに、グレーガー氏が、自分が話したセンテンスより極端に短い日本語訳に「(訳せているか)怪しいぞ」という感じでユーモラスにしゃべるのが可笑しくて、思わぬところで笑いが取れて愉快だった。
また、アカペラの始まりでは、ピアノで最初の音を弾くのだが、何と言う曲でだったか、いざ歌いだすと音が取れてなくてグレーガー氏がピアノのところまで走っていき、ポロロンと奏でいそいそと指揮の場所までもどる身のこなしが、ショーマンやなぁ(笑)!
アコースティック・インスティンクトの口太鼓ソロのときも、太鼓を叩く振りの指揮だったし。何気に楽しくさせてくれる。
アンコールは何曲やってくれたんだっけ。アンコールが30分近くあったのには驚いたけど、本当に「ありがとうねー」と言った感じでよかった。
そうそう、客席で手拍子はもちろん、指笛も出た!私も鳴らせるものなら鳴らしたかった、でござる。

ジャズコア・フライブルグ

昨晩、フライブルグ市(ドイツ)の市民ジャズコーラスグループのコンサートへ行ってきた。なかなか楽しく盛り上がり、ノリノリで聴いた。
個人的には3曲目の“Here we are”を1曲目にすれば、1曲目から乗れたのにと思う。それだけ“Here we are”が気に入ったし、つかみの曲にピッタリ。
ジャズコーラスというのが、想像がつかなかったけれど(なにせ総勢30名、指揮者、ピアノ、コントラバス、ドラムスを含む)、なるほどジャズコーラスだわ。コーラスをバックに、女性スキャットのソロが映えたり、アカペラもささやき、吐息、地声あり。
ジャズコア・フライブルグの演奏だけでも結構変化に富んでいて(なにせユーモアのある指揮者だし)楽しかったと思うが、北欧の歌姫トールン・エリクセンと口パーカッションの3人組アコースティック・インスティンクトとの共演がこれまた非常に楽しく愉快だった。
トールン・エリクセンは、パンフレットには「深くなめらかで絹のような声を持つ」と書かれていたけれど、ちょっとハスキーに聞こえた。前のめりの姿勢で、リズムもメロディも彼女の体の中かから繰り出される感じ。クワを持てば畑をたがやせそうな、あの独特の乗り方はこちらにも伝染する。見ていると自然と乗ってくるのだ。彼女の持ち歌“Joy”は美しい曲だったが、やっぱり前傾姿勢は健在。
アコースティック・インスティンクトは、一人が同時に数種の音を出せる。「ポカッ」「スカッ」「ドン」と、どつき合いをアニメっぽいコミカルな味付けにしているのが、あまりの調子のよさに思わず笑ってしまった。
フライブルグのメンバーの衣装は、デザインはバラバラだが、前半では赤と黒で、休憩を挿んだ後半では白と黒で統一されていて、視覚的にも楽しませてもらった。(気がつくとミニスカートの女性の足に目が行くねぇ(笑)。)
それにしてもドイツ人はデカイ!
アコースティック・インスティンクトの3人は若いしスリムなので、舞台上では小柄に見えたのだが、サイン会場で間近にすると大きかった。舞台で小柄に見えたのは、他の出演者との比較のうえで相対的に小さく見えていたのだった。