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暗闇愛好家  ムービー・リポート


今年3月に高知にっかつで封切られた 『JFK』は何と3ヶ月のロングラン。いつもは上映開始までに5人いるかいないかの劇場にわんさとつめかけ立ち見が出る始末。混雑するのはあまり好きではないが、いつも劇場に足を運んでいる者としてはやはり嬉しかった。ほとんど支配人か従業員の心境で、お客さん一人一人に「ありがとう、ありがとう」と涙ながらに握手して回ったものだ。(心の中でだよ。)続いて公開された『氷の微笑』も立ち見が出る盛況ぶり。これで高知にっかつが潰れる心配は当分ないだろう。
映画について言えば『JFK』はたいしたことはなかった。ケビン・コスナー(オリバー・ストーン監督)が声高々に「真実追究の手は緩めない。私の代で駄目なら孫子の代までかかっても真実をつかむ。」と力めば力むほど見ている方はしらける。でも、まあ、気持ちは汲んだやってもいいかなと思わせるパワーはあった。 『氷の微笑』(ポール・バーホーベン監督)は『ラマン』でえもいわれぬ快感を味わった後では、話題のセックスシーンもまるで格闘技にしか見えずあまりの健全さに腹の底からフツフツと込み上げてくる笑いを押えるのに苦労した。でも、まあ、大枚はたいた脚本だけあって話はおもしろかった。


ツイン・ピークス  ローラ・パーマ最期の7日間(デイヴィッド・リンチ監督)
清く正しく健全に生きてきた私もついにリンチの毒牙に掛かってしまった。序章を合わせて全30話のテレビドラマで、あの赤いカーテンの部屋や巨人や小人やセクシュアルな暴力シーンをぞくぞくしながら見た今となっては、無駄な抵抗はやめてリンチワールドの住人となるほかない。私の周りではテレビドラマを見ていない人に否定的意見の多かった映画だが、ビデオを見て下地のできていた者にとっては、いつまでも延々と見ていたい、終わってほしくない映画だった。この映画の魅力は奇妙な静けさ、かそけきユーモア、夢かうつつか、うつつか夢か、非現実的なイマジネイションの世界に陶酔できること。後日『地球に落ちてきた男』を思い出したと言えば雰囲気が伝わるだろうか。ただ、テレビドラマのマデリーン(ローラの従姉妹)殺害シーンに匹敵するシーンがないのは寂しかった。究極の暴力である殺人がかくもセクシュアルで良いものか。悪寒がやがて快感となるこんなシーンがあれば、自らが持つ欲望と攻撃性を自覚する人が増え、人類の平和共存のため、いささかなりとも有効な認識を与えることができたのに・・・・・などと思うわけない。そんな見方はリンチに対して敬意を欠くというものだ。リンチの映画を見るときは「ちょっとドラッグをやりたくなってね」ぐらい言うのが礼儀だろう。


イン・ベッド・ウィズ・マドンナ(アレック・ケシシアン監督)

向上心のあるエンターテイナー、セクシーな顔のマドンナ。アルバムの一枚持っているわけではないが、私はマドンナは好きだ。このドキュメンタリーで初めてコンサートの模様を見たのだが、すっごくおもしろい。スーパースターなわけよ、と再認識。ところがプライベートシーンのマドンナは涙なくして見られない。もっと肩の力を抜けば楽なのに、その真剣さは苦行の果てに殉教しそうな修道女のよう。もっとも、この修道女はかなり「はすっぱ」である。同時に純真な少女でもあり、正真正銘、慈愛に満ちた聖母でもあり、いくつもの顔を持つマドンナであるが、本質は「愛ある人」だと思う。この映画は彼女の「愛の証」なのだ。私はそう思ってみていたが友人は「マドンナは自分を見せることに長けている」と言った。なるほど。自分らしく振る舞おう、ありのままの自分を見てもらいたいという意識はあったかもしれない。スターだもの、振る舞いが演技のように見えるのは人並み以上の自意識のなせる技でしょう。「人々を愛したい、世界中の人々に愛しあってほしい」そう思い、自らをさらけ出したマドンナ。いじらしいと思うのは私だけなのでありましょうか。


サンタ・サングレ 聖なる血(アレハンドロ・ホドロフスキー監督)

実生活でマザコン男性に遭遇するのはなるべくなら避けたい。でも、映画や小説なら大歓迎だ。なぜなら、そこでの主人公はたいてい私好みの腺病質の美少年(?)だから。この映画の主人公フェニックスは鼻が大きいけどまずは合格ライン。一方、マザコンの核である母親は強烈!故あって両肩から先までがない母はフェニックスに手の代りをさせている。二人羽織の要領で食事もピアノもあくびをふさぐ手もすべて息子の手。母の命令は絶対でフェニックスは自分の意志に反することまでやってしまう。そう、フェニックスが女性に関心を示すと母が割って入り「手」に「殺せ」と命令するのだ。彼は感受性が強く殺生できるタイプではないので大いに苦しむ。それはそれは、かわいそうだが、主人公がかわいそうなほど映画は楽しい。嵐のようなクライマックスから真相解明ともいえるワンシーンを経て結末もベリーグッド。父親をアメリカ人、母親をイタリア人(マンマ・ミア!)にしたところや、一家はサーカスの一座であるなど設定もおもしろく伏線も絶妙。ゲゲッとなるシーンが2、3あるがユーモアもあるので帳消しにして、これをマザコン、エディプス・コンプレックス映画の決定版としよう。


髪結いの亭主(パトリス・ルコント監督)

ワイドスクリーンに初老の男性のアップが映し出される。優しい目をしている。鏡に向って自分の顔を見ているのだろう。(あるいは観客が鏡に映った彼を見ているのかも。)彼は長年、髪結いの亭主になるのが夢だった。夢がかない若くて美しい女性と結婚できた。彼女は彼を無条件で愛し、彼も彼女の愛さえあれば何もいらない。そんなことを思い出して、またアップになった彼の瞳は嬉しそうだ。だが、やがて彼はバリカンで前髪を刈り始める。表情が少し変る。そこで私たちは不幸があったのだなと思い至る。果たして、それはどんな不幸か。とにかくビデオで見るのはもったいないというくらい映画的な不幸(悲劇)だった。愛情が絡んだ悲劇は誰それが悪いと断言できない。それぞれに、そうせざるを得ない事情心情があって、原因をたどっても「悪」がみつからない。これを名付けて「神の完全犯罪」という、と渋谷陽一氏はのたもうた。それならばこれは、恐れ多くも神の犯罪=不条理を描いた喜劇的悲劇といえる。(悲劇的喜劇?あるいは、どちらでもないというのが正解かも。)見る前にチラシなどを読んで、「奇妙だとか何とも言えないだとか・・・・え〜い、評論家なら曖昧な言葉使うな!」と思ったが、今はひそかに同情している。最高に「変な」映画だった。


バットマン・リターンズ(ティム・バートン監督)

やみに  か〜くれて生きる  おれたちゃ  よ〜かい人間なのさ 
ティム・バートンに「妖怪人間ベム」を見せてあげたい。アメリカ映画界きっての怪奇おたくはきっと気に入るだろう。『バットマン・リターンズ』はおたくによるおたくのための映画である。夢々『スーパーマン』のようなヒーロー活劇を期待してはいけない。第一作ではバットマン=ブルース・ウェインのネクラ度おたく加減が余すところなく描かれ、暗闇愛好家を狂喜させた。『リターンズ』は第一作には遠く及ばず人様にお薦めできないが、尋ねられたら「幼稚な『フック』よりはマシ」と言ってやった。一作目に及ばずとはいえ、奇形ゆえに両親に捨てられたペンギンを始めネクラのキャラクターは健在。特に、昼間はドジで内気な秘書だが夜は鬱積した憤懣を爆発させセクシーな悪役ぶりを発揮するキャットウーマンは、バットマンとは似た者同士でブルース・ウェインの孤独な魂を救えそうな気配。でも、キャットウーマンは死んじゃったし「つづく」の文字もない。ファンとしてはアメリカの方角に手を合わせ「『バットマン・フォール・イン・ラブ』(仮題)の制作にかかれ〜」とひたすら念力を送るのみである。

他にも書きたい映画はいっぱいあるけど、これでおしまい。ワープロは疲れるのであった。
 

おまけ
1月『男はつらいよ』『釣バカ日誌』1年間分稼がせてもらいます。
2月『外科室』加藤雅也の高ゲタ姿。今にも足をくじきそうだった。
『魚からダイオキシン!』映画未満。飽きかなったけどね。
5月『シコふんじゃった』これはいい!さわやかな感動。青春映画ここにあり。
『ミンボーの女』こと井上まひる。ねちっこい伊丹の映画に清涼飲料水のような宮本信子。たすかります。
『女殺油地獄』樋口可奈子、藤谷美和子、堤真一。役者で見せる映画の見本。
6月『橋のない川』疲れてたので眠ってしまった。音楽はミスマッチ。
7月『紅の豚』及第点。

日本映画よ奮起せよ!
『いつかギラギラする日』深作欣二
『未来の想い出』森田芳光
『課長 島耕作』根岸吉太郎
に期待する。
(1992年9月号)


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