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■鬼の対談>スイミング・プール |
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■■ラストシーンの謎■■ (シューテツ) お茶屋さん、こんばんは。 昨日、代休とって『スイミング・プール』観に行ったのですが、足を怪我して痛み止めの薬を飲んだのが悪かったのか、面白かったのに途中睡魔に襲われ何度か落ちてしまい、記憶に穴ぼこがボコボコ開いていて、ラストシーンの意味が解かりません(爆)。 ネタバレになってしまうので、メールでもなんでもいいのですが、申し訳ないですが結局あれはなんだったのか?教えて欲しいのですが・・・・。f^_^;; それとこの作品なんか評判が悪いのか、お茶屋さんの感想は別として褒めてる感想をまだ見かけないのですが、それ程悪い作品ではないですよね。(私が言える資格はないのですが・・・・。)純粋にミステリーとして観るとどうなのか解かりませんが、これってそういう映画ではないでしょう。(というか、強いてジャンルをつけるとオゾン映画ですよね。) しかし、この監督『まぼろし』でも感じましたが、確実にシャーロット・ランプリングに惚れていますよね。 (お茶屋) シューテツさん、こんばんは。 睡魔に襲われたとは残念でした。 また、ネットで褒めている感想に未だ行き当たらないというのは意外でした。 私は、映画館主・Fさんのレビューしか読んでいませんが、褒めていたと言ってもいいと思います。私からすると思いがけない感想でとてもおもしろかったです。まさしく「オゾン映画」としてのレビューでした。 私もシューテツさんと同じで、ミステリーとは思いませんでした。ミステリーの味付けはしてあると思いますが。 それと、オゾン監督、『まぼろし』といい、この映画といいシャーロット・ランプリングの魅力を最大限に引き出していますよね。これは、シューテツさんがおっしゃるとおり、惚れていると言ってもいいのかもしれませんねぇ。 (シューテツ) それも変質的な惚れ方の様な気がします。老いや衰えと同等に魅力も描写するという変則技ですよね(笑)。 (お茶屋) 変質的・・・・(笑)。新しい美の発見者と言ってやってくださいよ(笑)。老いや衰えがマイナスイメージではなく描かれているのって、なかなかの技ですね。 さて、それでは、ラストのネタバレです。 編集者の娘(本物)が登場したことによって、それまで編集者の娘と思われていた人物は、ランプリングの創作であったことがわかるというのが結末です。 (シューテツ) では、好意を寄せていたカフェの兄ちゃんを殺したのも実は(創作?それとも)ランプリング自身が殺したという事? (お茶屋) 私は創作だと思うけど。いろんな解釈ができそうですよね。 (シューテツ) あっ、やはりその辺りはどのようにもとれるような作りだったのですね。 (お茶屋) そうですね。どこまでが事実でどこからが創作か、作家と作品ってこの映画の主人公に限らず受け手は、いくらでも想像できるもんね。 (シューテツ) Fさんのレビューにも書かれていましたが、あの二人の行動がだぶるシーンが何箇所かあったのですが、最後の別荘の管理人との絡みの部分だけはランプリングだけだったように思いましたので、あれは本当だったのかなって思ったのですが・・・・。 (お茶屋) そうかもしれないし、そうでないかもしれません。 いずれにせよ、そのとき(あるいはそれを書いたとき)の主人公の気持ちが重要なんでしょうね。 とにかく、自伝的な作品を創作したわけですから、いろんな想像がふくらみます。 (シューテツ) Fさんのレビューも拝読し記憶の穴も大方塞がったのですが、こうしてみるとウトウトしてよく憶えていない部分って結構少ないのかも知れません。f^_^;; (お茶屋) そうそう、Fさんのレビューは記憶の穴をふさいだり、記憶を鮮明にするのに役立つんですよね〜。 (シューテツ) 全くそうでして、いつもはストーリーの部分は読み飛ばしているのですがf^_^;;、今回はじっくりと読ませていただきました。 (お茶屋) 見なおして、それほど寝てないことに気づくことって私はよくあります。でも、ちょっとでもウトウトすると、もやもやしますよね〜。 (シューテツ) 物凄くモヤモヤする性質です。潔さがない(笑)。 |
■■オゾン監督の変質的「愛」■■ (シューテツ) それにしても、悪い意味ではなくこの監督作品には、かなり変質的「愛」の描写を感じますよ。その「愛」の思いが強すぎるので好き嫌いが分かれる監督かも知れませんね。 (お茶屋) そうですか。かなり変質的「愛」ですか。 ちなみにどんなところですか?いまいち、「変質的」の意味が計りかねるのですが。確かに健全な愛ではなさそうですね。 若い監督なのに、老成していて可愛げないな〜と思ったりするのですが(^_^;。 ヴィスコンティだって、可愛いとこあったのに(笑)。 (シューテツ) 「ちなみにどんなところですか?」に対する回答を考えていて返事が遅くなってしまったとは申しませんが、やはりどう説明していいのか解からないですね(爆)。 この人の作品を観ていて感じる私の「皮膚感覚」のようなものなので・・・・。 (お茶屋) 皮膚感覚でいくと、『まぼろし』『8人の女たち』『スイミングプール』と3本見て思うのですが、私はオゾンは合わないんですよね〜。 (シューテツ) あっ、そうなんですか。 (お茶屋) なんか微妙でしょ。薄いベールのうえから触っているような。直接的でない微妙さが、いいところでもあり・・・。 (シューテツ) やはりよく分かってらっしゃるって感じで、私が言いたかった「陰の変質性」も大体そんな意味合いですよ。f^_^;; その見つめる視線にほんの少し尋常ではない部分も感じられるとでも言っておきましょうかね。 (お茶屋) う〜ん、ランプリングのヌードだけではないということですね。 (シューテツ) それと、私と共通した部分も多く見出せて、それは大っぴらに人に言うようなモノではない(個人的には少し恥ずかしいような)部分を結構刺激するんです。(益々気になりますか?(笑)) (お茶屋) そりゃあ、もう!(笑) (シューテツ) ルコントの視線の様な(男にとって)心地よい解かり易さ(陽の変質)ではない「陰」の部分を垣間見るとでもいいましょうか。 (お茶屋) う〜ん、なんだかわかったような、わからないような、微妙な感じ(笑)。 (シューテツ) なんだか、消化不良のレスで申し訳ありませんでした。m(_ _)m (お茶屋) 私の変態性のアンテナにはかからなかったけど、シューテツさんのアンテナにはかかったということかな(爆)? ランプリングのヌードシーンって、お医者さんごっこみたいな感じがしました。妖しいシーンですよね〜。 オゾン監督は、大人のお医者さんごっこをしていたのかもしれませんね??? (シューテツ) まあ、人に対する愛情が豊かで深い人だとは思うのですが・・・・、 (お茶屋) うん、愛情豊かというか、深い人ですね。人間の機微がよくわかっている人だと思います。不気味なくらい、わかりすぎているんじゃないかしら。だから、老成した感じがするのでしょうね。 (シューテツ) 「老成した感じ」が、そのもの「陰の変質性」ですからね(爆)。 「結局、お茶屋さんがまとめてしまった」って感じですかね(笑)。 (お茶屋) まとめてしまってスンマそん(笑)。 前回のコメントをアップしてから思ったことですが、大人のお医者さんごっこというのは、ランプリングと登場人物のごっこじゃなくて、ランプリングとオゾン監督のごっこなんですよね。そのことに気がついて、初めてシューテツさんのおっしゃる「陰の変質性」ってこれかなと思いました。 やっぱり、シューテツさんに言われるまでは、この映画にそんな変質性がひそんでいるとは、私はわからなかったです。 紆余曲折の末(?)、わかってよかった(^_^)。書込み感謝です。 『スイミングプール』は、当地では、今のところ上映の予定がないですが、シューテツさんと私のやりとりを読んだ方々が、益々この映画に期待を募らせるのではないかしらんと、なんだかニコニコ気分です。 |
■■現実と虚構のあいまいな関係■■ (スーダラ) 亀レス&横レスですいません(^_^;)。 自分の感想をそろそろあげようと思っているのですが、さぼってます。 僕は「何が本当なのか?」という解釈をしてもしなくても、十分に面白い映画で、自分の感想ではその問いは出来るだけ触れないことにしたのですが・・・。 僕の感じたままに言うと男を殺したのはランプリングですが、殺した相手はカフェの店員ではなくて、娘の父親である編集者だと思いました。つまり創作上の当てつけの殺人です。カフェの店員が別の女性(編集者の娘)に手を出した途端、その娘によって殺されるというのは、編集者と新しい有望な作家に対しての当てつけだったと見ました。またカフェの店員が知性的に見えて実はサディスティックな男だったという描写も(サド公爵の屋敷の話も出てきた)編集者のイメージと繋がります。 それから、お医者さんごっこ系のセクシャルな描写については、現実だと思いました。それだけでなく、入れ替わり立ち替わり違う男を連れこんでいたのもランプリングだったのではないでしょうか。 そうした行為の全てが「殺人を成立させる為」「作品を成立させる為」にあり、創作者=神である彼女にとっては全ての行為が正当化されるという傲慢なまでの自負の現われだったのではないかと感じました。 彼女が滞在した部屋に飾られていた十字架がそのあたりを象徴しているようにも見えました。 ダラダラとスンマそん(^_^;;;。 なかなか面白い映画だったと僕は思いました。 (お茶屋) スーダラさん、いらっしゃいませ。 書き込み大歓迎です。 スーダラさんの感想、拝読しました。 「フランソワ・オゾンはこの映画を作るに当たって「現実」と「虚構」の関係を十分に意識していたのでしょう。」というところ、そうなんですよね、多分。だとすると、オゾン監督は、「何が本当なのか」一応の解答は用意して作ったのでしょうね。解答があるなら、観客が「何が本当なのか」解釈を行うことに意義があるような気がしてきました。でも、監督の用意した解答に近づかなくても一向に構わないんですけど(笑)。だって、みんなの解釈というか感想が、バラエティに富んでいて本当におもしろいんだもの。 スーダラさんの書き込み「何が本当なのか」も、すごくおもしろいです。ご自分の感想に追記されてはいかがでしょう。ぜひ、そうしてほしいと思いますですよ。ここの掲示板の下へと沈んで行くにはもったいないです。 スーダラさんの解釈を読んで、また、『スイミングプール』を改めて見たいという気持ちが強くなりました。 スーダラさんも他の人の感想を読んで、また見たいと思われたのではないでしょうか。 (スーダラ) 「現実」と「虚構」の関係なんですが、僕の捉え方はお茶屋さんとはちょっと違うかもしれません。現実と虚構の関係を意識しつつも、やはりこの映画の本質は「何が本当だったか。」という問いとは別の所にあると思うのです。 この映画は虚構が現実に包含された途端に、納得(と共に失望)してしまう種類のものではないということです。 メタファー責めで伏線張りまくった話の全てが実は虚構(夢)だったという所謂“夢落ち”ならば、虚構はその存在価値を急速に失い、パズル合せのように謎解きだけをすれば良いという事になるのですが、この映画は違います。 夢から覚めたあとにこそ、現実と虚構の両方が存在感を増し、輝き出す。 そこには現実と虚構を自由自在に操る作家、芸術家としての強烈なプライドが込められていました。 僕が、この映画が面白いと思った最大の理由は、そこにあります。 「謎解きの面白さ」も楽しいのですが、やはり面白さとしては前者に譲ると思い、自分の感想にはそのことだけを書きました。 お陰でこちらで、言い残した事を発散させてご迷惑をおかけしてるんですけどね(^_^;)。スンマそん(^_^;;;。 (お茶屋) 現実と虚構の関係ですが、私も「何が本当か」に重きを置いているわけではありません。ただし、本当と思っている部分が人によって異なるし、それによって受け止め方もかなり異なるので、そういう意味でオゾン監督の思いを受け止めるためには、監督がどの部分を現実のつもりで描いているか知るのは重要かと思いました。 でも、それを突き詰める気力は、全くないですが(^_^;。 私は、自分の感想ではネタバレしないようにとの思いからどの部分を現実と思っているかを書かなかったのですが、カフェでの店員との遣り取りや庭師との○○は現実かもしれないと思っています。そして、あの若い娘の所業は、すべて虚構だけど主人公の若い頃がかなり反映されている(つまり過去の現実の脚色)と思っています。 いずれにしても、スーダラさんがお書きになった「現実と虚構を自由自在に操る作家、芸術家としての強烈なプライド」は、私も感じました。みなさん感じるみたいですね〜。 私の思った「中年女性が自分の若い頃を振り返り、今後の人生の糧にする」というテーマを、虚構と現実を交えた重層構造で描くなんて、ホントにあっぱれと思いましたもん。 それと、スーダラさんはお分かりだと思うので、一旦は書くのをやめたのですが、自分がもやもやするので確認の意味でやっぱり書きます(^_^;。 シューテツさんと話していたお医者さんごっこというのは、庭師との○○だけを指すのではなくて、シャーロット・ランプリングを相手にしたオゾン監督のまなざしが、お医者さんだな〜とまあ、そういう話だったと思います。 「お陰でこちらで、言い残した事を発散させて」って、うひょー、それはラッキーな掲示板になりましたわ(嬉)。 他に言い残したことはありませんか? この際、全部、ぶっちゃけてくださいよ(願)。 私もずいぶん、発散させてもらってますし(笑)。 (シューテツ) お茶屋さん、こんばんわ。 居眠りしての質問から始まったこのツリーですが・・・、 (お茶屋) あーそうだ!そうでした!!! ほんと、シューテツさんの居眠りのおかげで(笑)りっぱなツリーになりました。ありがとうございます。 (シューテツ) スーダラさんの書き込みでグンと立派なものになっちゃいましたね(笑)。 なんだかもう一度早く見直したくなってしまいましたよぉ〜。 解かってないのは私だけ。 (お茶屋) 見直したいというのは、ほんと。同感同感。 みんなの感想がちがうんですが、それを許容する懐の深い作品ということですよね。 シューテツさんやスーダラさんの視点からも見直してみたいです〜。 (スーダラ) 僕も「何が現実か?」を突き詰める根性がありません(^_^;。 どうやら小説版を読むとすっきりするらしいのですが、僕は分からなかった映画を小説で確認する作業ってあまり好きでない(実は単なる活字嫌いかも)ので手を出す気は今のところなしです。シューテツさん同様、再見のチャンスを待つ事にします。 (お茶屋) へー!小説があるんですか?オゾン監督が作者なんですか? と言って、読む気は起こらないのですが(^_^;。 (スーダラ) 「俺はこの映画の全てを理解してる。」という人物が現われてくれると良いんですけどね。 (お茶屋) そうですね〜。それは、どんな人なのか、その人物に興味あり(笑)。 仮に、オゾン監督が正解のようなものを示したとすると、この映画が小さくなるようなの気がするので、ここは謎のまま、見た人の数だけ解答があるみたいなのがいいような気もします。 (スーダラ) お茶屋さんの「若い娘の所業は、すべて虚構だけど主人公の若い頃がかなり反映されている」というのは、これは実は僕は全然考えていませんでした。 で、自分としてはあの娘と母親の関係とか、彼女が残した日記とかをどう整理すれば良いのかと悩んでいたのですが、お茶屋さんのコメントでちょっと視界が開けてしまいました。 作家にとっては自分の過去も、母親も全てが創作の為の「啓示」だったのかもしれませんね。 「オゾンお医者さん説」も新鮮でした。(僕もこの映画の“事実”に殆ど近づけていないんですよ(;^_^A ) とても参考になりました。ありがとうございます。 (お茶屋) 私もスーダラさんの「創作上の当てつけの殺人」というのは、思ってもみなかったことで、言われてみるとそう取れるかもと感心しました。 これが、みんなで映画を振り返る醍醐味なんですね〜! ありがとうございました。 |
<<編集後記>> 当地でも9月18日から上映されている『スイミング・プール』。さっそく封切日に2度目の鑑賞をしました。そして、パンフレットを購入しました。このパンフレットの表紙(裏表紙)は、半透明の紙が重ねられていて、「薄いベールのうえから触っているような微妙な感じ」を醸し出していました。直接表紙を見るより、この半透明の紙を通して見た方が断然妖しい(笑)。 ●映画館主・Fさんのレビュー ●スーダラさんのレビュー ●特別企画:オゾン監督最新作『スイミング・プール』特集 takagiさんによる翻訳サイト。フランソワ・オゾン監督、シャーロット・ランプリング、リディヴィーヌ・サニエのインタビューが翻訳されています。有益! 2004/9/21 |
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