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ヘヴン
愛は罪人を救う
Heaven
監督:トム・ティクヴァ|脚本:クシシュトフ・キェシロフスキ&クシシュトフ・ピエシェヴィッチ|
音楽:アルヴォ・ペルト
フィリッパ:ケイト・ブランシェット|フィリッポ:ジョヴァンニ・リビージ|
父:レモ・ジローネ|弟アリエル:アレッサンドロ・スペルドゥーティ

美しい〜!これまで見た映画の中で最も美しいと思いました。
のっけから謎の女が人殺しをしようとするので、そのサスペンスにドキドキしました。これで映画にぐぐーーーっと惹きこまれること請け合いです。その後、謎の女は、憲兵(警察官)のフィリッポと出会い、フィリッポはこの哀しい人殺しの女(フィリッパ)に恋をしてしまうのです。

登場人物の澄んだ心。動く絵(映画)としてのパワー。愛は罪人を救う、天国は地上にありという物語。よかったですね〜。
あまりに美しくて哀しさを覚えるほどですが、常識や法では裁けない心(愛)の世界に飛んでいくという力強さも感じさせてくれました。

●ネタバレ感想
登場人物の心に濁りがないです。みんな自分に正直。自分の犯した罪や恐ろしさ(汚れ)を知ったうえで、澄んだ心を持っていられるというのは、嘘やごまかしがないからでしょう。
あらゆるシーンがそういう美しさに満たされていましたが、最も印象に残るシーンは、フィリッポの父に「息子を愛しているか」と訊ねられたフィリッパが、「愛しています」と答えるシーンです。フィリッポを救うため(彼が彼女の逃避行にこれ以上ついて来ないように)「愛していない」と答えることもできたでしょう。でも、それはフィリッポを救いたいと思う自分自身のためにはなっても、フィリッポのためにはならなかったでしょう。
このシーンのお父さんも素晴らしい。元憲兵隊本部長のお父さんは、息子のためを思うばかりで世間体のことなど念頭にありません(世間体のことを思いついた私の方が恥ずかしい(^_^;)。それどころか、息子を連れて帰る(息子の命を救う)ことすら諦めます。息子を連れて帰ることが自分のためであって、息子のためにはならないことがわかっていたのかもしれません。

このお父さんが、本当によくってね。初登場シーンの表情を見た瞬間に、息子のことが心配で心配でたまらんのだとわかりました。この子はうまく世渡りができるだろうか、憲兵の仕事をこなせるだろうかと、ずーっと心配している顔でした。
息子のフィリッポも、またよくってね。あんまりセリフがないのに、純粋さと一途さとが後姿からもわかってしまう。小さい頃、体が弱くて親に心配をかけたのかもとか、いろいろ想像してしまいました。
(弟とフィリッパの親友もきれいだし、本当によい表情の出来る俳優がそろいましたね〜。)

それにしても心の世界では、常識や法を超えて罪人って許されるものなんですねぇ。フィリッパは、フィリッポに許されているのです。(親友にも許されていましたね。)フィリッポも殺人を手伝って逃げるという罪を犯していますが、父親に許されているのです。愛は罪人を許すんですね〜。
そして、罪人が救われるのは、罪人自らが誰かを愛せるようになったときなんですね。

フィリッパとフィリッポが愛し合ったところ、そこは、もはや天国なんじゃないでしょうか。二人はこの世で愛し合ったんだから、天国はこの世にあるのだと思います。
ただ、二人が愛し合うには、「私は何の罪もない人を4人も殺してしまった。」「私はもう生きる値打ちはない。」という気持ちを乗越え、追いかけてくる憲兵隊からも逃れ、何かと乗越えなければなりません。

ラストシーンは、飛べる高度に限界のあるはずのヘリコプターが、どんどん空に昇って行って見えなくなります。これは二人が死んだということを意味しているのかもしれませんが、私は二人が常識とか法を超えた自由な心(愛)の世界へ行ったようにも思えました。
二人のようなしがらみのない純粋な愛に至るには、この世からあの世に行くくらい乗越えるべきものがあるのかな〜と思ったり。フィリッパとフィリッポという似た響きの名前で、誕生日もいっしょ?うっそー!って、そういうウソみたいな偶然が、この世に起こることがあるよな〜と思ったり。
ティクヴァ監督が喜ぶかどうかはわかりませんが、まるでキェシロフスキ監督の作品のようでした。

シャンテ・シネ(東京日比谷) 2003/04/23


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