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■かるかん>オペラ座の怪人|レイクサイド・マーダーケース
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オペラ座の怪人
浪漫派ミユージカル・声の魔力
The Phantom of the Opera
監督:ジョエル・シュマッカー|脚本、作曲:アンドリュー・ロイト・ウェバー(2004年/アメリカ/2時間23分)
ファントム:ジェラルド・バトラー|クリスティーヌ:エミー・ロッサム|ラウル:パトリック・ウィルソン|マダム・ジリー:ミランダ・リチャードソン|カルロッタ:ミニー・ドライヴァー|フィルマン:シアラン・ハインズ|アンドレ:サイモン・カロウ|メグ・ジリー:ジェニファー・エリソン

おもしろかったですー!大満足。
肉体の傷は、心の傷。顔に傷を持つというだけで心の痛みは相当なものがありますが、子どもの頃、ファントムの受けた仕打ちはあまりにひどい(涙)。そりゃ、人も殺しますわ。(って、殺しちゃいけませんが。)
クリスティーヌとラウルが、愛を歌い上げるその後ろで嫉妬に悶えるファントム。あるいは、クリスティーヌがファントムに惹かれ、舞台上で二人の世界を作り上げているのを客席から見て涙するラウル。登場人物が、苦しんだり哀しんだり。よろしいですね〜(嬉)。
そして、ファントムと暮すか、さもなくばラウルを殺すかという究極の選択を迫られるクリスティーヌ。この場合、選択を迫られるクリスティーヌよりも迫るファントムの方が、より追いつめられた感じで胸が痛いです〜。いや〜、ツボです、ツボ。浪漫派です〜。

クリスティーヌがファントムに惹かれるのは、亡き父が遣わした音楽の天使と思いこんでいるからというわけじゃなくて、声の魔力なのですね。お声のよろしい殿方は、自信をお持ちください。ほんと、う〜っとりですわよ。

エミー・ロッサムは、心もとない演技力を歌唱力と清々しさでカバーし、ジェラルド・バトラーは、声の魅力がやや足りないのを演技力とフェロモンでカバーした感じ。総合すると、皆さん、やはりうまい。どの曲もいいし。
老後のラウルは、よく似た俳優を使っていると思ったら、老けメイクだそうで。メイクの技術は、たいしたものですね。
ミランダ・リチャードソンは、いくつなのでしょう。全然、年をとりませんねー。
シャンデリアは、なかなかスペクタクルでした。あのシャンデリアが落ちた後に、シャガールが天上画を描いたのかなどと思いを巡らせるのも楽しかったです。
唯一の不満は、パンフレット。歌の題名一覧がないのです〜。CDを買えということなのかな。

TOHOシネマズ高知4 2005/2/5


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レイクサイド・マーダーケース
大人はわかってくれない (わかりたくても……)

監督:青山真治|原作:東野圭吾(2004年/日本/118分)
並木俊介:役所広司|美菜子:薬師丸ひろ子|舞華:牧野有紗|藤間智晴:柄本明|一枝:黒田福美|直人:村田将平|関谷孝史:鶴見辰吾|靖子:杉田かおる|拓也:馬場誠|津久見勝:豊川悦司

ものすごく面白かったです。
舞台劇のような演出で、やや大袈裟な台詞回しが、全く違和感なし。俳優の演技も申し分なし。(薬師丸ひろ子と役所広司は、似合いのカップルではないけれど、ちゃんと夫婦の雰囲気と子を持つ親の雰囲気が出ていました。また、鶴見辰吾と杉田かおるが夫婦というのが、お似合い。金八先生じゃん(笑)。柄本明も可笑しいし。似合ってないストーンズのTシャツを着ているところ、役作りですね〜。昔は不良に憧れていたってことでしょうか。)

お話が、これまた面白く、推理ものが苦手な私でもよくわかる筋立て。真犯人がわかるまでも、わかった後も面白かったです。
受験を控えた子どものプレッシャーと親の期待を描いて、浮かび上がるのは、現代の親の心もとなさというのも面白い。親子関係について深く考えさせられます。
そして特筆すべきは、青山真治監督の映像センス。見終わって時が経っても、鮮明な映像を脳裏に活写できます。

●ネタバレ感想

この映画は、不健全なことがらを描いた健全な映画だと思います。
あえて言いますが、あの親たちの選択は、明らかに間違っています。更に言えば、お受験合宿や試験問題の買収など、まったく持って不健全。
しかし、恐ろしいのは、あの悲痛な叫び「自分の子どもが、わからない!」を聞いた後では、私も並木(役所広司)のごとく、グレーゾーンにずぶずぶと。間違いとは思っても、あのような選択をしたことが心情的に理解できます。わからなくても子どもが可愛い。すべては子どもに良かれとの思い。

それにしても、この親たちの自信のなさは、なぜなのか。私もまだ小さい二人の甥っ子に接するとき、叱り過ぎではあるまいか、甘やかし過ぎではあるまいかと、イマイチ自信なし。貧乏子沢山の昔はよかったですね。自信があるの、ないのと言うヒマなしで。ヒマはないけど、今ほど競争もないから殺伐とはしてないし。子どもが悪いことをしたら性根を叩きなおす!という単純明解な健全さがあったでしょう。
でも、この映画では、子どもが悪いことをしたらという前に、親が欺瞞性に溢れた面接練習を率先してやっているのですから、健全なんて望むべくもないのです。
善悪の判断をあいまいにし、間違いとわかっていてもやってしまう(又はなにもしない)。このような不健全な軟弱者は、この映画の親たちだけではなく、私も含めて世の中には数多くいそうです。
暗い夜道でつまずく人が一人なら、それはその人の不注意でしょうが、同じ場所で皆がつまずくなら、不注意だけではすまされません。原因をつきとめ改善しなければ。

すべては子どもに良かれとの思いが、子どもを幸せにするとは限らないというのも、ちゃんと描かれています。
「(親を)憎くはない。だけど、とても哀しかった。」という元受験生で今は塾の先生、津久見の叫び。「自分の子どもが、わからない。」と対のように胸に響きました。

ラストシーンは、犯罪ものにはお決まりの落ちではありますが、誠に健全であると思います。

TOHOシネマズ高知8 2005/2/5


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