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愛を読むひと
読む人が語る人に
監督:スティーヴン・ダルドリー/アメリカ、ドイツ/2008年/124分
ハンナ・シュミッツ:ケイト・ウィンスレット|マイケル・バーグ:レイフ・ファインズ、デヴィッド・クロス|教授:ブルーノ・ガンツ|ローズ・メイザー/イラナ・メイザー:レナ・オリン

緻密に作られた奥深い作品だと思います。こういうのを名作と言うんだろうなぁ。
少年の感性の瑞々しさ、読み書きができないということは何を意味するか、ハンナというキャラクターのオリジナリティ、裁判で真実を明らかにすることの難しさ、加害者の事情を知るということなどなど、様々な思いを触発させられましたが、何てったってレイフ・ファインズですから、心の中に1958年夏という期間限定の女性が棲む男性の浪漫派恋愛映画にちがいないと思ったわけです。
心の中に別の女性がいると知ったら、相手がいくらレイフ・ファインズ似の男前の紳士であっても、それは女性の方から去って行きます(・_・)。でも、娘は去るわけにも去らせるわけにもいかないので、苦い恋愛話をして、娘にまで距離を置いてしまうこんな自分になったわけを知ってもらおうとしているのだなと思ったのでした。

ところが、ファーストシーンを見逃したとばかり思って再び観に行って、恋愛映画というよりも、ナチスに荷担した一般市民を戦後生まれの若者が厳しく断罪することを描いて、「過去の失敗を現在の視点から断罪することに益なし」という普遍性を持たせた作品に見えてきました。
したがって、主人公が娘に語って聞かせようとするのは、苦い失敗談だと思えてきたのでした。愛する娘に自分のような失敗はしてほしくない、その一念。むむむ、恋愛映画ではなく、父子愛映画でしたか(笑)。

ハンナたちが被告となった裁判を傍聴した若者が、ハンナたちのみならず、ナチスへ荷担しながら裁かれずに潜んでいるであろう何千(何万?)という人々をも激しく断罪します。マイケルはハンナと愛し合った過去があるので、身内のことを断罪されている感じがしたと思うのですが、実際は身内ではないわけで、おそらく彼女と関係があるということを知られたくなかったのでしょう、迷ったものの結局、ハンナに面会に行きませんでした。感情ではなく法に従いたまえという教授のアドバイスがあったにもかかわらず。

二度目の面会(ハンナの出所1週間前)のときは、彼はカタルシスを求めていました。ハンナからの「ナチスに荷担したことを後悔している。出所はしても一生を掛けて償う。」みたいな台詞を期待していたのでした(多分)。それで後には、一方の当事者、生き残りのユダヤ人メイザー(レナ・オリン)に「カタルシスを求めているなら映画や小説をご覧なさい」と言われるのですが、その頃には彼は「贖罪と許し」のようなカタルシスは求めてなかったと思います。
だって、ハンナは死んじゃったでしょう。死んでからハンナが贖罪の気持ちがあったとわかったし、そんな彼女に追い打ちを掛けるような問いをしていたなんて(彼女には自分しかいなかったのに)と後悔もしただろうし、「死んだ人は帰らない」と言ったハンナの気持ちもわかったでしょう。
メイザーに会いに行くのはハンナの代わりに許しを求めてではなく、ハンナの願いを叶えたい一心だったのでは。むむむ、やっぱり恋愛映画か(笑)。

斯くして、娘に聞かせる失敗談。それは恋愛話であり、戦争にまつわる歴史の話になるのだと思います。

TOHOシネマズ高知2 2009/6/20
 
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そして、私たちは愛に帰る
トルコ・アイデンティティーでグローバル・スタンダードな映画
監督:ファティ・アキン/ドイツ、トルコ/2007年/122分

死に目に会えない親子は、世の中にたくさんいるでしょう。人間、いつ何時に死ぬかわかりませんから、愛し合っているなら会えるうちに会って、その思いを伝えるべし。そして、親子の愛情にイスラムもキリストもなし、というお話だと思いました。また、例外はあるにしても、親子の愛情こそグローバル・スタンダードじゃないの?と思ったり、それを描いて世界の観客に通じる映画は世界共通語だと感じたり。会い(愛)に帰るって洒落ですか、とも思いました(^_^;。まあ、とにかく見事なストーリーテリングで、トルコとドイツの三組の親子がメロドラマ的に絡み合う展開の面白さに目が離せませんでした。
また、EUにおけるトルコの実情(移民の問題とか、ドイツの刑務所は個室だけどトルコは雑居とか、反政府活動をしている組織に学生が多数加わっており60年代ぽいとか。EUとは関係ないけど、チェルノブイリの影響で人気歌手が死んだとか。)も垣間見え、現在のトルコを描いているという点でも面白く観ました。
それにしても、ここに登場する母親は二人とも可哀相です。逆縁はねぇ(涙)。娼婦もねぇ(涙)。同郷(イスラム教ってことが大きいのかな?)の女性が売春していると知って、二人のトルコ人が「やめないと殺す」と脅しにかかるのですが、買った方もトルコ人なのにねぇ。
そうそう、トルコのドイツ語書店で、前オーナーが壁に貼っていたのはオスカー・ワイルドのポスターだったような。主人公である孝行息子がオーナーとなってからは、ゴーギャンのポスターになっていたような。お茶が出る書店っていいな。
ラストシーンで浜辺に舞うポリ袋は映画的でとてもよかったので、意図して舞わせたのか、偶然飛んできたのをこれ幸いと映したのか、監督に聞いてみたいです。

あたご劇場 2009/6/28
 
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