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きまぐれ日記8月8日
(ベルナルド・ベルトルッチとエリック・ロメール)


今日は昼休みにヤマちゃんと会った。 ヤマちゃんから拝借しているシネマノート綴りに『シェルタリングスカイ』があって、 その感想が私の感想と正反対だったので、かねてから伝えようと思いながら忘れてい たのをやっと話すことができた。すなわち、ヤマちゃんはポートとキットの愛の不毛 を感じ、私は究極の愛を感じていたことである。
何だか「鬼の対談」に発展しそうなネタだと思うけれど、もし、この映画について話し 合うとしたら、まずは「愛とはなんぞや」という共通概念から詰めておく必要があるの ではないかと思う。これは怖い。それだけで収拾がつかなくなる可能性がある。まあ、 相手がヤマちゃんだから、そんな心配はないかもしれないが。
で、短い昼休みに『シェルタリングスカイ』の話が出来るはずもなく、監督のベルトル ッチの方に話題は飛んだ。ヤマちゃん曰く「近年のベルトルッチはひどかったが、『シ ャンドライの恋』には期待している。」とな・・・。「ブルータスよ、お前もか!」と 私は思った。
多くの人が、ベルトルッチは『ラストエンペラー』あたりから怪しくなり、『リトル ・ブッダ』でわけがわからんなり、『魅せられて』で灰になったという。これに対する 私の思いは、「自主上映情報8月」の『シャンドライの恋』の欄に書いているが、一言 で言うと「くさっても鯛」なのである。
それはヤマちゃんも認めた。ついでながら、黒澤明も弱ったし、アンゲロプロスもかつ てのパワーを失い弱くなって来ているが、やっぱり「鯛」ということであった。 もちろん、ベルトルッチにしても、黒澤、アンゲロプロスにしても、作品のことを言っ ているのだと思うけれど、その背後に、人間は盛りを過ぎると後は衰退していくのだと いう意識があるのではないかと思う。
私は「くさっても鯛」と言いながら、復活の可能性があると思っているが、ヤマちゃん はどうなのだろう。もう一花、二花咲かせることはあっても、かつてのような圧倒的な 力を持つ作品を作るには至らないと思っているのだろうか。
仮に、そう思っているとしたら、なぜ、そう思うのだろうか。監督業はかなりの体力を 要するがゆえに、年を取って体力が衰えると作品の出来にも影響するということだろう か。それとも才能の枯渇が原因か、あるいは感性の鈍磨により映画を作る動機が弱くな る結果、作品も弱くなるということだろうか。もう少し尋ねてみたかったが昼休みは短 い。
いずれにせよ、作品に力がなくなってくるのは、年齢のせいではなさそうだ。エリック ・ロメールはベルトルッチより10才くらい(???)年上だと思うが、今もって飄々 と傑作を撮り続けているのだから。←ま、この考えに対しても異論があるかもしれない が今日はここまで。

今年こそ「まんが甲子園」の観戦を果たしたかったが、日曜から残業つづきで無理だ。 明日はよさこい祭の前夜祭で花火大会がある。どーん、どーーーーんという賑やかな 音を耳にしながら仕事をするのもオツなものである。って、どこがーーーー(涙)。

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