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暗闇愛好家 ムービー・リポート


ある年は、独り映画を愛でまくり、自己満足のベストテン。またある年は友達同士ベストテンを披露して、互いの趣味を再認識。はたまたある年は侃々諤々、二人で選ぶ恐怖の喉枯れ大作業。年末(年始)恒例のベストテン・ゲームは、もはや映画ファンの性。今年は少々趣向を変えて「1993 キャラクター・ベストテン」をやってみた。順位は特になし、基準は好みと印象の強さです。


盲目の女(ベアトリス・ダル)
ナイト・オンザ・プラネット(ジム・ジャームッシュ監督)5話のオムニバス
ジャームッシュが脚本の段階から目当ての俳優を想定してキャラクターを作っているだけあって、魅力的な人物ぞろい。特に好きなのは、ニューヨーク編の完全無欠のニューヨーカー、ヨーヨーと東欧からの移民で元道化師のランプシェード氏のコンビにヘルシンキの労働者たち。そして、パリの盲目の女の強烈な個性!盲目であるがゆえ、乗ったタクシーの運転士から好奇のまなざしで見られる。運転士の青年は自分が黒人だから馬鹿にされがちだと意識しており、自分より弱者である盲目の女に対しては優越感を持ちたい。ところがどっこい、それを感じた女は反対にやり返す。こてんぱんにやられた運転士は、さすがに優越感に浸ろうなどという気は失せて優しさを見せる。ところがこれまたどっこい、運賃を負けようとした彼に「だれがあんたのお情けなんか。バカにしないで。」と釣り銭も受け取らず、「気をつけて」という言葉にも「自分こそ気をつけて」。並々ならぬ感覚の鋭さと確固たる自己を持っていて、馬鹿にされたら倍返し、毅然として生き、誰よりも自由の匂いのする女。『ベティ・ブルー』一本で消えたかと思っていたベアトリス・ダルが白目を剥いて、ダルその人と思えるような女を演じきった。


エドワード二世の王妃(ティルダ・スウィントン)
エドワードII(デレク・ジャーマン監督)
玉座(じゃなかったかもしれない)に着いた義弟の首筋に、後ろからキスをするかと思いきや、頚動脈を食いちぎり、これで王座は息子のものと平然としている。こんな女に誰がした。かつては夫に触れてももらえず、よよと泣き崩れていたものを。しっかり愛人を作り、貴族とつるんでガベストンに夢中の夫を排斥する。果ては頚動脈だものねー。美しいだけに怖い人。タイトルは『王妃』でもよかったこの映画、同性愛者への差別と偏見とあからさまな攻撃に対するデレク・ジャーマンの闘志をうかがい見ることができる。でもそれより抑制した動作と囁くような台詞回しに高ぶる感情を滲ませた演劇的様式と、突然アニー・レノックスが壁にもたれて歌い出したり、エドワード二世とガベストンが再会の喜びをダンスで表現するなど前衛風味がない混ぜになって、伝統と革新のイギリスを地でいったところがおもしろい。


イングリッド
ダメージ(ルイ・マル監督)
暗い過去を持つゆえ魅惑的な女アンヌ。もし、最初のキャスティング通りレナ・オリンが演じていたら、このベストテンに入っていたかもしれない。父親の道ならぬ恋に気付いた少女や、上司のいつもと違う態度にすべてを見通したような目の秘書など無言の脇役まで良い俳優ぞろいの映画に、アンヌ(ジュリエット・ビノシュ)の子供っぽさは惜しい。でも、致命傷にはならなかったので努力賞をあげよう。前途洋々、家庭円満な男が息子の恋人に恋をして堕ちるところまで堕ちてしまう。自分でも知らず破滅願望を持つ男の陰りは、こよなく悲劇が似合うジェレミー・アイアンズにお任せだ。破滅が成就した男のからっぽの不思議な明るさもいい。彼はそれでよかったかもしれないが、夫に裏切られた上、息子にまで死なれたイングリッドは夜叉になるしかないだろう。アンヌと関係ができたとき、なぜ自殺しなかったのかと夫を責め立てる姿は、それまでの上品で知的な姿からは想像すらできなかった。主人公と同じくらい痛々しかったのが強く印象に残っている。この様にこの映画は切なく辛く苦しい。しかも半端じゃなく、たっぷりと胸が痛い。のめり込んで見てしまったが、最後の最後で現実に引き戻されてしまった。男が思い出の写真を見るのだが、この写真が壁いーっぱいに引き伸ばされているのである。瞬間、彼がどうやって写真を運び、壁に貼ったのか想像してしまった。マル監督ともあろうお方が噴飯もののラストシーンだ。


娼婦(テレサ・ラッセル)
ボンデージ(ケン・ラッセル監督)
ある娼婦が観客に向って話し続ける。若い頃、酒場で知り合った男と結婚し一男に恵まれたが、男の酒癖の悪さにたまりかねて家を出たこと。生活のために娼婦になったこと。ヒモ付きの辛さ、でもヒモが乱暴な客から娼婦を守っていること。ヒモから逃げようとする娼婦、用済みとなった娼婦は殺されゴミのように捨てられること。彼女の独白でいろんな事がわかってくる。男たちがなぜ彼女たちを買いに来るのか。買った彼女をどんな目にあわせるのか。それはなぜか。いじめの構造によく似ている。男達は上司や家庭から逃れてやってくる。仕事で抑圧された反発心の復讐を彼女たちで果たすため。家庭で得られなかった安らぎを彼女たちに求めて。いじめられた(抑圧された)人間がさらに弱いものをいじめる。でも、娼婦が誰かをいじめることはない。ただ、眉間の皺が深くなり爪を噛む指先がボロボロになるだけだ。そして、息子を陰から見守り涙を流す。軽妙で乾いたタッチの映画で、主人公は最悪の事態からとりあえず救われ、ちゃんとカタルシスを与えてくれる。いろいろ考えさせられる映画だが、暗くもならず頭痛もしないのは、どん底にあっても前向きで、たくましく健気に生きる彼女のお陰だ。


ミッチー・リアリー(ジョン・マルコヴィッチ)
ザ・シークレットサービス(ウォルフガング・ペーターゼン監督)
任務を遂行できなかったためアイデンティティを喪失した男と、任務を遂行し続けたため人格破綻者となった男の対決。自分のエラーが原因で甲子園で負けた過去を持つ元球児が、野球の話になるのを恐れてひたすら野球部員だったことを隠し続ける、なんて話しを聞く。だったらケネディ大統領を守りきれなかった罪悪感が、人生に大きな影を落としているシークレットサービスっていうのも有りだ。方や元CIAの殺し屋で命令により(CIAの言い分は違うが)親友を殺したミッチ・リアリーは、半分狂気の世界に。自分を殺人鬼にしたのは大統領だといって暗殺を企む。さて、この対決、軍配はどちらに?それは、より可哀想で可愛くて気持ち悪く超セクシー、おまけに七変化で楽しませてくれたミッチに決まっておる!なんせ行司が『プレイス・イン・ザ・ハート』以来の "ジョンマル" ファンなもんで、いささか公正を欠くかもね。


ファーガス(スティーブン・レイ)
クライング・ゲーム(ニール・ジョーダン監督)
ファーガスは一応IRAの戦士だ。人質交換のためイギリス軍の兵士を誘拐し見張りをしている。彼の素朴な人柄と優しさのせいで人質とお友達になってしまい「俺が殺されたらディルに愛していたと伝えてくれ」と頼まれる。で、ディルと会って彼女に恋をするのだが、彼女の真実の姿を知って愕然とする。でも、それを乗り越えて本当に彼女を愛するようになる。それがこの映画の新しいところ。まだ見ぬ人に細かいところや話のひねりをばらさないでと、監督に折り入って頼まれているので、あまり詳しく書けないけれど見なきゃ損だよー!昼行灯のような風貌に無垢な魂が宿り、この上なく優しくて危害や苦難からとことん守ってくれるファーガス。ディルにからむ男に蹴りを入れるところなんか「かっちょいー!」。日頃、暴力反対なんて言っているのも忘れて、痺れてしまったのであった。


アントニオ・ロペス(本人)
マルメロの陽光(ビクトル・エリセ監督)マルメロとは花梨に似た果実
アントニオは庭先のマルメロを見えたとおりに油絵にしようとしている。マルメロが刻々と色合いを変えれば塗り直し、日に日に熟れて重くなり位置が変れば描き直す。だから絵の完成は夢のようなものだ。さすがスペイン人、ドン・キホーテの国の人。果敢な挑戦である。これを「できっこない、ばっかじゃないの」と言った人もいるが、私などロマンを感じてしまう。凄いことだと尊敬してしまう。映画の中のアントニオは品格があり瞳の奥にユーモアがあって、見ているだけで嬉しくて優しい気持ちになれるので、とても馬鹿とは思えない。また、見えたままにこだわるなら写真に写せばよいという人がいるだろうけど、写真は見えた通りには写らない。奇麗だと思ってシャッターを切っても出来上がった写真はそうでもない。たまにいい写真が撮れたと思ったら、それは見えたままではない。精神的なものを抜きにしても色合い、光の反射、形さえ(立体物ならなおのこと)見えた通りに映らない。本当はこんなことを話すより、登場する人がみんないい顔をしていることや、アントニオとエンリケが一緒に歌うところ、マルメロが地面でしわしわになって腐っていくところや、「私に見えているものが他の人にも見えているのだろうか」という言葉について語り合いたい。崇高な感じのする映画であるにもかかわらず、詩的で可愛らしく映画と親密になれたような気がする。


連邦保安官補(トミー・リー・ジョーンズ)
逃亡者(アンドリュー・デイビィス監督)
画面に初登場の保安官補は赤いベストも粋だった。その次は赤いマフラー。そのまた次は赤いネクタイにジャケットも似合うじゃんと思ったら下はGパン。アメリカだねー。でも、ロングコートを翻しリチャード・キンブルを追う姿は、やっぱりかっこいい!しかも頭脳明晰、統率力も抜群。職務遂行のためには鬼にもなるが、実はとっても優しい照れ屋。なんてチャーミングなおじさんなんでしょう。『逃亡者』の主役は彼だったのだ。

(1994年3月号)


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