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■鬼の対談>春の日は過ぎゆく |
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■ 救いの無い物語の中の救い ■ (シューテツ) 私は『ピアニスト』がハネケ初体験だったので、おニ人のように比較しての作家論は解らないのですが、ひょっとしたら私の掲示板で話題になったキシェロフスキなんかと比較しても面白い作家かも知れませんね。 (お茶屋) えーーーーー!ハネケとキェシロフスキ?それは、キェシロフスキに対して失礼な(笑)。 (シューテツ) 救いの無い物語の中の救いってテーマでね。(笑) (お茶屋) う〜ん、そうきましたか(^_^;。 (シューテツ) これを書いた後、偶然レンタルビデオで『春の日は過ぎゆく』って韓国映画を観たのですが、この作品もこのテーマで話したくなるような複雑な気持ちになりましたよ(笑)。 こちらはアジア的な温もりを感じる一見救いのあるラストなんですが、(アジアの映画にしては)人間に対してかなり厳しい(冷たい?)見方をしている作品のようにも感じました。 (お茶屋) あれ?そうでしたか? よかったら詳しくお聞きしたいです。 (シューテツ) って、まずお茶屋さんはこの作品ご覧になられていましたっけ?。確か「かるかん」の方には綴っていませんでしたよね。もし、ご覧になられていないのならあまりネタバレしたくないのですが…。f^_^;; とりあえず当たり障りのない程度に言いますと、観終わってからヤマさんところの日誌から直リンクされている人達の感想を読ませていただいたのですが、私の感想に一番近かったのはFさんの感想かも知れません。f^_^;; これ以上の話はお茶屋さんがこの作品をご覧になっているのかどうか、聞いてからにしましょうか。f^_^;; (お茶屋) お気遣いいただきましてありがとうございます。 『春の日は過ぎゆく』は、わたくし観ておりますです。感想を書かなかったのは、あまり心を動かされなかったからです(爆)。 で、シューテツさんの感想に近かったというFさんの感想を読んできました。すごい!大変興味深い感想でした。 |
■ 『ピアニスト』と『春の日は過ぎゆく』に共通点があったのだ ■ (シューテツ) まず、何故『ピアニスト』(ハネケ)をひきあいに出したのかというと、映画的な「装い」からすると、この作品と『ピアニスト』は全く正反対なのですが、(恋愛不能者の)私からすると鑑賞後に残る(突き刺さる)ものが殆ど同じだったということです。 (お茶屋) う〜ん、突き刺さったのですか。ということは、その感想をこの掲示板で書こうとすると、身を削ることになるのでは? (シューテツ) いやいや、そんなことはありませんよ。 私はずっと逃げてばかりの人間だから、それに対する引け目は感じますけどね。 それにここでは感想より、何故私が『ピアニスト』と比較するのかを書きたいのですけどね。f^_^;; (お茶屋) おお、どうぞどうぞ。そうでしたね。 (シューテツ) おそらく両方ご覧になった方も、あまり共通性を感じていなかったのではないのかと思いますし、最初に言った「救いの無い映画の中の救い」って事と映画の「装い」についてもう少し比較しながら考えたいと思ったのです。 まず、『春の〜』の方は一見恋愛映画の装いですよね。でも、私にはそう見えなかったですね。この辺りFさんが仰っていたニュアンスの恋愛を否定しているように私にも感じられたのです。 「恋愛映画」って一応恋愛肯定(?)映画でしょ。だから私はこの作品を恋愛映画としては見ていません。この作品を(ほろ苦い)恋愛映画としてご覧になられた方は『ピアニスト』との比較なんて、あまり意味無いかも知れませんね。 シチュエーションが逆なんですが、観客が女性の場合『ピアニスト』の彼は非常に嫌な奴であり、観客が男性の場合『春の〜』の彼女は非常に嫌な女と感じた人が多くいたと思うのですが、両作とも主人公は恋愛に対してあまり免疫の無いタイプで、むしろ嫌な奴と感じた方が現実にはごく普通に多くいるタイプですよね。 映画でなければ、目くじら立てて怒るほどの人間でもなくかなりの普通さでしたよね。 (お茶屋) 私は『春の〜』の二人は二人ともざらにいるタイプだと思うし、『ピアニスト』の方の二人は二人ともあんまりいないタイプだと思うので、シューテツさんのおっしゃることがピンと来ませんが・・・。 (シューテツ) だからこの両作は、かなり観客を選ぶ作品になっているような気がします。 要するに主人公側に身を置けるタイプの人間には尋常ではないほど感情移入する可能性があります。 (ただし、主役が『ピアニスト』では「ちょっとヘン」、『春の〜』では「一見普通の好青年」と描かれていましたので感情移入の度合いはかなり違ってくるかも知れませんが…) そして選ばれた観客には、この主人公のラストに対して希望や救いが見えたのかどうか?、自分ならどうなのか?、己の切実な問題として考え込んでしまった事でしょうね。 この辺り、作り手の意識が(表現は違いますが)私にはかなり近いように思えたのでした。 (お茶屋) なるほど、主人公に感情移入した人にとって、それぞれの映画がどう見えたのか、どう受けとめられたのかがシューテツさんにとっては重要だったのですね。 作り手の意識というと、ハネケは情け容赦ないというのは明らかですが、ホ・ジノもそれに近いのですかね〜?よくわかりません。 (シューテツ) その辺りが映画の難しいところでもあり、面白いところでもあると思うのですよ。 大体の作品には、作り手の意識というものは明確にあるものだと思うのですが、鑑賞者個人のそれぞれの人生観や価値観でその解釈や受けとめ方に微妙な違いが出るのは当然で、それはそれで良いのではないでしょうかね。f^_^;; (お茶屋) もちろん、良いでしょう。 (シューテツ) 明らかな誤解や聞き間違いや見逃しは、別問題ですけどね。 この点についてはネットなどでよく論争になる原因の上位にランクされるものだと思うのですが、私はこの点に関してはかなり無頓着というのか、その人がそう感じたたらそれで良いと思ってしまう性質なんですよね。(笑) だから、私にはホ・ジノにもそう感じたということだけの話なんです。 作品というのは、出来あがった時点でそれはそれぞれ鑑賞者の(即ち私の)モノになってしまう訳ですよね。 (お茶屋) 作品は一つでも、各人にとっては別個のモノとして存在するわけですね。 で、シューテツさんは『春の〜』をご覧になって、恋愛を肯定した作品とは受けとめられなかったのですね。主人公は、失恋の感傷に浸るどころか、傷心という言葉で表せるほどの生易しい傷つき方ではないと。もしかして、彼は恋愛はもうこりごりかもと。←これなら確かに容赦なくて、ハネケ的かもしれないですね。 それにしても、主人公に感情移入しないと、作り手の意識も伝わってこないものでしょうか。 (シューテツ) これもよく解りませんね。反って作り手の意図から遠くなる事だってあると思いますよ。 |
■ 純粋無垢な恋愛vs大人の恋愛 ■ (お茶屋) 私は別れのシーンで、ユ・ジテがイ・ヨンエを振ったとき、同じことの繰り返しを避けたユ・ジテは、これからは一つ大人の恋ができるであろうと思ったんですよ。 (シューテツ) この辺りですかね、私とお茶屋さんの恋愛観の違いは…。(笑) 要するに「大人の恋」自体が私には重荷なんですよ。だからそれは希望や憧れの対象にはならないのですよね。f^_^;; (お茶屋) 「大人の恋」が重荷なら「純粋無垢な恋」も重荷では? (シューテツ) この辺り私のイメージで云うと「純粋無垢な恋」は初恋に近いので一種の熱病の様な感じで、「大人の恋」って云うのは、そういう熱病やら失恋を繰り返して尚、思い煩ってしまう恋の病ってところでしょうか?。f^_^;; だから「純粋無垢な恋」の場合、重荷なんてことを考える前の段階の様な気がします。 「大人の恋」の場合は既に恋の痛みも学習済みであるにも関わらず、病と知りつつ落ちてしまうもののように感じています。 この作品の場合ユ・ジテは「純粋無垢な恋」、イ・ヨンエは「大人の恋」として最初からボタンのかけ違えのドラマだと思えば良いのかも知れませんね。 (お茶屋) そうそう、そうですよね。 でも、大人の恋をして純粋無垢な恋が出来なくなるのは、ちょっと寂しいとも思いましたが。私は、この映画は純真無垢な恋へのレクイエムであって、恋愛を否定しているとまでは思わなかったな〜。 (シューテツ) 多分、私もお茶屋さんの解釈が多数派のような気はしますが、「純真無垢な恋」と「大人の恋」に違いがあるとするならば、その違いの部分に対して私は否定的なのかも知れませんね。 (お茶屋) まあ、恋愛に限らず人間関係って煩わしいものですからねぇ。 (シューテツ) いくら人間嫌いであって、対人関係を煩わしく感じていても、「恋」って感情は突然に襲って来るものですから、もっと本能的なものかも知れません。 それとちょっとヘンな例えをすると、花粉症って体内の免疫力が過敏に働きすぎる結果の症状だと言われていますが、私が恋愛に対して臆病であったり、煩わしく感じたり、憧れの対象でなかったりするのは、一種この花粉症に似た症状なのかも知れません。 (お茶屋) アレルギー体質なのですね。 実は私もこの『春の日は過ぎゆく』を「やれやれ」と思いながら観ていました。だから、シューテツさんがハネケに似ているとおっしゃるのも理解できそうな気がしてきたところでしたのよ。要するに、『春の〜』もハネケ作品と同様にとっても現実的な映画で、私が楽しめなかったのはそのせいかもねと。 (シューテツ) 人間ドラマとしては優れた作品だと思うのですが、最初にも言いましたが「恋愛映画」(恋愛肯定映画)として期待して観てしまうと痛い目に合いそうな作品と云えるでしょう。 (お茶屋) この映画を楽しめなかったんだから、自覚がなかったけど(笑)、私も恋愛アレルギーかも。 日本語のテレサ・テンの歌なんか「げげげげげ」といった感じです(笑)。 (シューテツ) ははは、私は元々テレサ・テンの声が好きだから歌詞なんて殆ど聞いていませんでした。f^_^;; (お茶屋) テレサ・テンの声は私も好きです。『ラブ・レター』では中国語で歌っていたので、とても気持ち良かったです。メロディーもいいですね。 しかし、現実的な恋愛映画はもういいよ(笑)。恋愛映画はロマコメか一大悲劇にしてもらわないと(笑)。 (シューテツ) これが、今回の結論ぽい解答のようですね。(笑) 「恋愛映画」っておそらく多くの人にとっては、現実の(恋の)痛みを忘れる為の幻想を見るためのモノですからねぇ。f^_^;; (お茶屋) そうですね。トリップできる幻想をいっぱい作ってほしいですね。とアレルギー患者は思いますσ(^_^)。 (シューテツ) という方には、やはり『過去のない男』は超オススメ作品です。(笑) おそらくお茶屋さんを幸せな気分にしてくれると思いますよ。私も幸せな気分に浸りました。 ということで、今回は色々と話にお付き合いしていただきありがとうございました。m(_ _)m やはり人と対話するということで色々な発見が出来ましたし、私なりに頭の整理が出来ました。 (お茶屋) 私の方こそありがとうございました。 『春の日は過ぎゆく』が私にとって、なぜ、つまらなかったかわかりましたので。 『過去のない男』を観て早く幸せな気分に浸りたいよー(笑)。 |
●お二人のように=ヤマちゃんとお茶屋のこと。この二人が前回の鬼の対談で『ピアニスト』のミヒャエル・ハネケ監督について話していたことを指している。 もどる↑ ●Fさんの感想=DAY FOR NIGHTのレビュー『春の日は過ぎゆく』のこと。主人公とホ・ジノ監督、そしてFさんが一体化した結果生まれた素晴らしい作品論、監督論。まだお読みでない方は、ぜひ、お読みください。 もどる↑ 2003/06/28 |
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