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■ひきだしバレエ(ダンス)覚書>Noism04(2004)


 

金森穣が率いるNoism04の公演へ行って来ました。
なかなか興味深い公演で、公演後のトークを含めて刺激を受けました。(プログラムは、下の表をご覧ください。)

●ダンサーの技術と才能
コンテンポラリー・ダンスは、クラシック・バレエにも増してダンサーの技術や才能が必要だと思います。
というのは、クラシック・バレエには物語があるので、仮に踊りが美しくなくても楽しめますが、コンテンポラリーの場合、物語がなかったりすると踊りの美しさを求めることになるからです。

今回の公演では、美しい動きのダンサーがおらず、踊り自体に心を動かされることがなかったのが残念でした。そういう風な踊りで、振付の意図を伝え切れているのだろうかという疑問も残りました。
しかし、最後の演目“black garden”の金森穣の踊りには目を奪われました。金森さんの踊りは、一つ一つの動きが大変美しく、適度な緊張感があり、身体の輪郭がくっきりと見えたのです。

他のダンサーの皆さんには、更なる精進をしてほしいと思いましたが、Noism05のメンバーを募集するチラシに1年契約とあったので、踊り自体の美しさを追求する団体ではないのもしれません。(いや、いちがいにそうは言えないか。公演後のトークで「オーデションでの選考基準は?」という質問に、金森さんは「そのときの技術よりも練習を続けて行ける精神力」と答えていましたので、更新契約によって1年以上所属するダンサーがいるのかもしれません。ということは、踊りの美しさを追及しているのかも。)

●観念的な演目
“black wind”、“black ice”、“black garden”の三作品とも観念的だと思いました。それゆえ、難解であると思います。
案の定、公演後のトークで観客から「何を表現したかったのか」と質問され、金森さんは「表現したかったことはもちろんある。しかし、それを作り手みずからが言ってしまうと、観客の解釈を限定してしまうので答えたくない。」とのことでした。
これを聞いて私は、心の中で拍手をしました。(連句アニメ『冬の日』(※)の解説版を見てから、観客の立場から同じことを思っていたからです。)

で、以下に三作品について私の感じたことを書きますが、こういう観念的な作品を作るのは正直に言って「若いな〜」と思いました。
「若いな〜」と言ってバカにする気は全くありません。ただし、刺激的であっても楽しさには欠ける公演でしたので、「若いな〜」に少々不満の意が含まれているのであります。

●black wind
開演前からダンサーが舞台で柔軟をしているのがおもしろいです。「こうやって、始めから舞台に立って、お客さんが入るのを眺めながら柔軟していると、緊張して上がることはないかもね」と思っていましたが、さすがに直前になると緊張感が漂っていました。
この演出の意図は、舞台と客席の境界線をとりのぞくことでしょうか。この舞台は客席(日常)の延長線上にあり、ダンサーも観客と同じ普通の人間ですよということかしらん。
舞台を白いゴムで手前と奥とに2分割しているのは、奥を外界、手前を人間の内面として表現しているのだと思いました。ゴムの境界線を超えて内面に侵入してくるもの、境界を行き来するものなどがあり、おしまいには閉じこもっていた魂が外へ向って行くように感じました。(手前側のダンサーが奥の方へ向かっていき、ゴムが船のへさきのように三角になっていくので。)

●black ice
ソロやユニゾンで踊ったり、一番ダンスらしいおもしろい作品でした。モノリスのような物体(白くて、とんがっているんだけど)に映し出される映像もおもしろかったです。ガラスの板のうえで踊っているダンサーを真下から捉えたような、足跡マークのように体重の掛かった部分だけが青白く映っている、実際に舞台で踊っているダンサーとシンクロした映像です。
これだけ踊りと映像がおもしろければ、踊りにも映像にも意味がなくてもよいと思いました。絶対音楽ならぬ絶対ダンス。
もっとも、「意味がなくてもよい」とはあまりの言草かも(すみません)。これだけおもしろかったら繰り返し見たいと思いますから、何度も見るうちに作り手が何を表現したかったか、意味が見えてくるかもしれませんね。

●black garden
“black wind”と同様に演劇的要素の強い作品です。天上からにょろにょろとぶら下がっているのは、植物の根でしょうか。私にはどうも土の中のように思われます。
この土中には、不平不満や悩みや負のエネルギーが渦巻いているようです。
音楽は金属音を含み、暗い心のささやきや叫びを幾人もが次々と発し、それらの反響がいやがおうでも神経を逆なでします。(『M・I』(※)の上映会のようと言えば、わかる人にはわかるかな。)

これらの暗い心のささやきや叫びを体現するかのようなダンサーは、やがて皆“black wind”のときと同じ位置につきます。そして、3作品に共通して出てきた“black”な人(?)に触れられる(語りかけれられる)と、はらはらひれほれ〜と舞台から消え去ります。同時にセットはスタッフによってどんどん片付けられ、舞台の奥の能楽堂(県立美術館ホールの能楽堂を初めて見れたわ〜い。)や袖が丸見えになります。裸になった舞台で“black”な人は衣を脱いで金森穣になって(やっぱり君だったか)、前述したように見事に踊ったのでありました。

これは様々な解釈ができますが、“black”な人は悩みを持つ人たちを勧誘しているんですね〜(?)。でも、逃げられるんです。心を閉ざした人はおいそれと誘いに乗ってくれません。“black”な人って頭巾の中も真っ黒で死神然としているしね〜。逃げるのは無理ないと思う。
で、結局“black”な人は、孤独に踊るわけですが、ダンスって素晴らしいと思えるような踊りなわけだから、みんな逃げずについて来ればよかったですね。死神でもいいじゃん(って、無責任な(^_^;)。

終了後のトークで、セットを片付けるところを見せた演出について、観客から「気が散るが、舞台をシンプルにしていく意図はわかるので、踊りながら片付けてはどうか」というユニークな意見がありました。
私は“black wind”で始まる前から柔軟しているのと呼応する形で、ダンスのドキュメンタリーを狙っているのではないかと思っていましたが、案外、片付けをすませておくと早く帰れるからだったりして(ありえないー)。

※関連リンク
かるかん・・・・・・『冬の日』
かるかん・・・・・・『M・I』

UP:2004年12月6日




 
■Noism04 black ice
2004年11月27日(土)18:30〜20:40
高知県立美術館ホール
「black wind」
音楽:池田亮司(Op.1[Prototype]I II III IV)
演出:金森穣
振付:Noism04
映像:高嶺格
衣裳:堂本教子
照明デザイン:金森穣、山口暁
青木尚哉、井関佐和子
木下佳子、佐藤菜美
島地保武、清家悠圭
高橋聡子、辻本知彦
平原慎太郎、松室美香
中野綾子、金森穣
休憩15分
「black ice」
音楽:権代敦彦(The Beginning of the End/After the End)
演出・振付:金森穣
美術・映像:高嶺格
衣裳:堂本教子
照明デザイン:金森穣、山口暁
井関佐和子、佐藤菜美
松室美香、島地保武
平原慎太郎、金森穣
休憩20分
「black garden」
音楽:権代敦彦、MERSBOW(BLACK MASS)
演出・振付:金森穣
美術:高嶺格
衣裳:堂本教子
照明デザイン:金森穣、山口暁
青木尚哉、井関佐和子
木下佳子、佐藤菜美
島地保武、清家悠圭
高橋聡子、辻本知彦
平原慎太郎、松室美香
中野綾子、金森穣
(島崎満理奈、島崎勇輝)


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