こうすればよかった『イグジステンズ』
(結末をばらしています。ご注意ください。)
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やはり、パイクル(ジュード・ロウ)を
もっといじめてやればよかったでしょう(^o^)!
パイクルが追われる者から追う者になって、
おしまいには殺す側にまわってしまうなんて、
ゆめゆめ、あってはならないことでした。
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パンフレットによるとクローネンバーグは、
ある芸術家がその芸術作品ゆえに命を狙われている
事実に衝撃を受け、『イグジステンズ』の着想を
得たといいます。
だから、この映画では、ゲームに反感を持っている
人たちが、ゲームの設計者を殺す結末にして、
「これって、許される?」と問題提起をしたのでしょう。
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でも仮に、これを殺す側ではなく殺される側を主人公に
したなら、ゲーム作家(←もちろん、ジュード・ロウ)が
彼の作品に反感を持つ者に殺される "悲劇" となり(私の
望むところでもあるし)、観客は「ジュード・ロウが
可哀想」→「ゲームに反感を持っていても、作った人を
殺すことはないだろう」と思うのではないでしょうか。
そうすれば『イグジステンズ』は問題提起にとどまらず、
「芸術家がその作品ゆえに殺される
ことがあってはならない。」という確たるメッセージを
持った作品となったでしょう。
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ああ、なんだか、
"こうすればよかった『イグジステンズ』"
というよりも、
"こうしてほしかった『イグジステンズ』"
になってしましました。
これでは「私のために映画を作ってくれ〜!」
と言っているみたいですね(笑)。