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■かるかん>ギャラクシー・クエスト|処刑人|ゴッド・アンド・モンスター
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ギャラクシー・クエスト
銀河系の彼方から笑いと涙がやってくる!感動のコメディ
GalaxyQuest
監督:ディーン・パリソット
ネズミス(タガート艦長):ティム・アレン|グエン(マディソン中尉):シガニー・ウィーバー|
アレックス(ドクター・ラザラス):アラン・リックマン

おもしろいです。これぞ一級の娯楽作。こういうのを観るとアメリカ映画って本当にいいなと思います。感動させてくれるとは本物のコメディですね。お話?これを言っちゃうと、ネタバレになるからな〜。ビデオのパッケージのストーリーも読まずに見ることをおすすめいたします。10人中9人は楽しめるでしょう!

●ネタバレ感想
なんといっても感動するのは、野心も潰え惰性の日々を送る俳優たちが、サーミアン星人といっしょに戦うことによって輝きを取り戻したことです。この達成感、爽快感は、元気の出る映画ナンバーワンといえるでしょう。冒頭で「俳優だって人間だ」というところを、手際よく、かつ、核心を突く演出&演技で見せられていたため、おしまいでは本当に感動させられました。
また、人を楽しませることの楽しみがこの映画から伝わってきて、娯楽作品を手がける者の心意気を感じ、それにも感動しました。更に、娯楽作品をとことん楽しむ観客を上客として篤く遇しているのも微笑ましいことでした。
それから、サーミアン星人は、テレビのSF冒険番組を本物と思っていたわけですが、彼らを笑えませんよね。なぜなら、ラストのイベント会場での格闘は本物だけど、作中の観客は主催者の演出(作り物)だと思っています。サーミアン星人も映画の中の観客も本物と作り物の見分けができてないわけでして、それは私たちだって同じでしょう。
昨年9月11日に世界貿易センタービルに航空機が突っ込んで行くシーンを「映画みたい」と思った私でありましたが、作り物であるはずの映画に「本当みたい」と感じたり、あるいは「本物だ」と思い込むことだってあるわけでして、作り物だってあなどれません。その数あまたある作り物の中で、人を楽しませようという善意から生まれた娯楽映画。「娯楽映画ばんざい!ギャラクエありがとう!!!」であります。


DVD 2002


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処刑人
法が裁かぬ悪を討つ。必殺、兄弟参上!
The Boondock Saints
監督&脚本:トロイ・ダフィー
コナー・マクマナス:ショーン・パトリック・フラナリー|マーフィー・マクマナス:ノーマン・リーダス|
ポール・スメッカー:ウィレム・デフォー

主役のマクマナス兄弟、二人とも男前!カッチョイイーー!この映画は、マクマナス兄弟が神の啓示を受けて悪人を成敗していくアクションものです。彼らはアイルランド系なので、音楽から始まってアイルランドテイストが見所の一つとなっています。そして、特筆すべきは、法の番人のスメッカー(ウィレム・デフォー)刑事でして、エレガントで頭も身体もスマートな彼が、エキセントリックに華麗なる(?)転身したことに胸を打たれました(^_^;。ただし、この映画は、暴力シーンが苦手の人やお子さまには向かないし、欠点もあります。

●ネタバレ感想
兄弟お揃いの服や同じ仕草で(女っ気なくて(笑))、便器を引っこ抜くシーンとかじゃれ合うシーンなどで仲がよいところを見せてもらって、兄弟もの好きの私は満足満足でした。
スメッカーは、彼なりに大変まじめなキャラで、(笑っちゃって申し訳ないけど)苦悩の果てにぷっつん切れたところが気に入っています。

最後の最後で、超法規的に悪を成敗した兄弟の行動の是非について様々な人がコメントした場面をくっつけていますが、あれは蛇足だと思います。
このコメント集は、作り手が、観客の「悪い奴とはいえ暴力で制することを肯定する作品を作ってよいものか」という批判をかわすために先手を打ったものだと思われます。そういう批判には「娯楽映画だからいいんです。」と開き直ればよかったのに、開き直れなかったのは、「ハードな暴力シーンを入れちゃったからな〜(^_^;(ぽりぽり)。」という負い目があったのでしょうか?
また、現実にマクマナス兄弟がいたとしたら、彼らの行為(超法規的な暴力による制裁)は許されることじゃないにもかかわらず、まじめくさって許されるか否かを問うコメント集をつけるのは馬鹿げています。(ここまで書く私の方が馬鹿げているような気もしますが(笑)。まじめだからね〜。お許しください。)

ともあれ、兄弟がアイルランド系ということで、アイルランドからの移民が多いというボストンを舞台に、音楽もそれらしく、聖パトリックのお祭り日に事件の発端があったなどアイルランドテイストが嬉しかったです。また、死者の目玉に銀貨を置くのはカソリックの慣わしだということを知り、「えーーー!それじゃ、『ヒッチャー』のジョン・ライダー(ルトガー・ハウアー)はカソリックだったの!?」と思わぬ収穫があったことでもあり、なかなか楽しめた作品でした。

DVD 2002


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ゴッド・アンド・モンスター
思いよ届け、心の友へ
Gods and Monsters
監督&脚本:ビル・コンドン
ジェームズ・ホエール:イアン・マッケラン|クレイトン・ブーン:ブレンダン・フレイザー

誰もがみんな知っているフランケンシュタイン。この怪物のイメージを決定づけたのが映画『フランケンシュタイン』(1931)です。原作を読んでなくても、当の映画を見ていなくても、フランケンシュタインをイメージ出来るのは、映画『フランケンシュタイン』のおかげと言っていいでしょう。『ゴッド・アンド・モンスター』は、その『フランケンシュタイン』を監督したジェームズ・ホエールの失意と孤独の晩年を描いた作品です。彼は同性愛者であり、庭師の青年に絵のモデルになってくれるように頼みます。そして、もっと哀しい願い事を青年に叶えてもらうべく、謀をめぐらすのですが・・・・。心の友と思える作家(アーティスト)がいる人は必見です。

●ネタバレ感想
ホエールは孤独です。彼は、病気のため、自分はやがて完全に自制心を失うのではないかという不安におののきながら生きています。そんなことをおくびにも出さず、かつてのホラー映画の巨匠としてインタビューを受けたりしていますが、頭の中は幼少の頃から父親に異端視されたことや、自分が本当に作りたかった戦争映画を作れなくて失意のうちにハリウッドを去ったこと、そして、戦場で死んでいった特別な友のことが浮かんでは消え、消えては浮かびしているのです。切ない映画です。
けれども、この映画がどうして作られたかということを想像すると、切ないだけでなく、『フランケンシュタイン』ファンの愛情が満ちあふれた映画だと思えるようになります。

この映画の監督&脚本を務めたビル・コンドンは、映画『フランケンシュタイン』が大好きで、ホエール監督に興味を持って調べていったのではないでしょうか。そうしていくうちに、ホエールが同性愛者であることや第一次世界大戦のトラウマの持ち主であること、また、晩年を失意のうちに過ごし自殺したことを知ったのでしょう。
それらの事実からコンドンは、ホエール自身が映画作家(クリエーター=創造主)であると同時に怪物でもあったのだと思い至ったのではないでしょうか。怪物フランケンシュタインは、異端視され孤独だったホエール自身が投影されたものだったのだと。
そして、コンドンは『ゴッド・アンド・モンスター』の中で、ホエールにクレイトンを引き会わせました。クレイトンは、ホエールほどに孤独でもないし、トラウマになるような体験をしているわけでもないけれど、『フランケンシュタイン』の孤独に共感することができます。クレイトンは、ホエールの「ともだち?」という問いかけに、胸を張って「ともだち」と答えます。ホエールはクレイトンにひどいことをしたので、それでもまだ「ともだちでいてくれる?」という思いがあったのですが、クレイトンにとってホエールはすべてひっくるめて敬愛する作家であり心の友なのです。

というわけで、クレイトンってビル・コンドン自身を投影していますよね。ファンは作品を通して作家に触れた(つもりになった)りするのですが、コンドンは自分の作品を通して敬愛する作家に触れたのです。
ただ、悲しいことにホエールは既に鬼籍の人。自作の映画を通して「あなたは、私の心の友です。」と打ち明けても、その思いは届きません。ホエールは、これほどの信奉者がいること(生まれたこと)を知らないままこの世を去ったのです。それが、劇中の「ともだち?」の「?」に現れているようで泣けてきます。「私のこと、覚えていてくれるよね?」・・・・・・「?」・・・・・・やっぱり、切ないの〜。
(ところで、原題が複数形なのはなぜですか?さっぱりわかりません。私は一応、作家(Gods)と作品(Monsters)だと思っているのですが・・・・。コンドンはフランケンシュタインを通してホエールと出会い、ホエールはクレイトン(=フランケンシュタイン)を通してコンドンと出会った。私たちも作品を通して作家と出会う。)

DVD 2002


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