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■かるかん>9デイズ|ダスト|たそがれ清兵衛
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9デイズ
素人CIA大活躍のおふざけ作品
Bad Company
監督:ジョエル・シューマカー
アンソニー・ホプキンズ|クリス・ロック|ピーター・ストーメア

暇つぶしに映画を見るのは何年ぶりでしょうか。けっこう、笑えました。アンソニー・ホプキンズ率いるCIAと、ピーター・ストーメア率いる悪者軍団に、それぞれカッコイイ人が一人ずついて嬉しかったし、CIAの皆がクリス・ロックに対して、ため息まじりの微妙な接し方をしているのが可笑しかったです。特にロックのアホぶりに対するホプキンズの脱力ぶりはおみごと。ひっきりなしにしゃべる人といると本当にあんなになります。ロックがふざけた奴で、それ以外の皆は大まじめで、バランスが崩れながらも可笑しい変な映画でした。

高知松竹2 2002/11/6


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ダスト
兄弟愛と物語賛歌
Dust
監督&脚本:ミルチョ・マンチェフスキー
ジョゼフ・ファインズ|デイヴィッド・ウェンハム

私の大大大好きな『プリンセス・ブライド・ストーリー』については、いつか思いの丈を綴りたいと思っているのですが、『ダスト』はその『プリンセス・ブライド・ストーリー』に匹敵するくらいの物語賛歌だと思います。
それは、借金だらけで空き巣に入り心も荒んでいた若者が、物語りに魅了され、自らも壮大な物語を語るようになったからです。
物語はその人の生き方に影響を及ぼし、人生を豊かにし得るものだという確信に基づいて、この映画は作られていると思います。
また、語り手が話を中断すると、物語の登場人物は死んだままという描写からは、監督&脚本のマンチェフスキーの物語狂ぶりがうかがえます。

この映画の物語の中味は兄弟愛ものです。語り手は、自分の父と伯父の話を語るわけですが、それは彼女が生まれる前の話ですから、主に父親が話して聴かせたことが素になっていることでしょう。彼女の話の内容から観客は、彼女の父がその兄をどれだけ愛していたかを間接的に知ることが出来ます。

以上のように、兄弟愛の物語であり、かつ、物語賛歌であるこの映画は、まさに私のツボ。大好きな作品になるはずでした。
ところが残念ながら、執拗な残虐描写に辟易としてしまいました。また、再々現代のニューヨークに引き戻されるため、肝心の兄弟愛の物語に没入できませんでした。

それでもマンチェフスキー監督は、私に次なる物語の種を与えてくれました。それは、敬虔な牧師の娘であった人が、なぜ、泥棒にも動じないような、又上品とは言い難い言葉遣いのハードボイルドな婆さんになったのか、彼女の人生はいかなるものであったのかという「謎」です。もしかしたら、聖書ばかり引用する父親への反発と伯父へのあこがれから、あんな婆さんになったのかな?

MovieJunky 高知県立美術館ホール 2002/11/6


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たそがれ清兵衛
生活者清兵衛、藩命によりて命を賭すの巻
監督&脚本:山田洋次|原作:藤沢周平|脚本:朝間義隆
清兵衛:真田広之|朋江:宮沢りえ|余吾:田中泯

いや〜、すんばらしい。厳しくも人肌のほどよいぬくもりが感じられる、しみじみとよい作品でがんす。家族、武士、女性、百姓、殺陣、美術、原作、脚本、俳優、監督と、いろんな切り口で語り合えることでしょう。
貧しくとも家族との生活を愛しむ様子や、理不尽な藩命を受けざるを得ない状況を丹念に描いているからこそ、生死を賭けた決闘シーンがものすごい緊張感をもって迫ってきます。緻密に計算され尽くされた映画ですが、計算倒れになっておらず、窮屈でもなく、芯がありながら柔らかさも持っている、完璧と言ってよいのではないでしょうか。


●ちょっとだけネタバレ感想
それにしても、武士って嫌ですね。藩命には逆らえないもんね。清兵衛が余吾を斬るということは、自分を斬るも同じではないでしょうか。
でも、考えてみると、今の世の中も大して変わらないかもしれません。雇われの身は何かとつらいですよね。

それからもう一つ。余吾は、清兵衛が竹光で来たと知って馬鹿にされたと憤ります。私はこの余吾の憤りが痛かった(涙)。馬鹿にされたら人は怒ります。私は馬鹿にされたときは怒らないかんとさえ思います。だから、余吾の怒りは正しい。
もちろん清兵衛は馬鹿にしていたわけではありません。馬鹿にされたというのは、余吾の勘違いです。でも、その勘違いよりも何よりも、つくづく武士の世界が嫌になっているはずの余吾が、武士であるという「誇り」を捨てきれない。というより、武士という職業イコール自分自身という人格にまでなっている。こういうのを根っからの武士というのだろうと思いますが、なんかちょっと悲しい気持ちがしました。余吾が武士の世界に絶望していなければ、また、私の気持ちも違っていたとは思うのですが・・・・。武士に絶望しながら武士でしか居れないというのが涙なのです。

高知松竹1 2002/11/10


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