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ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還
読者の想像力を超えた映像!
THE LORD OF THE RINGS [THE RETURN OF THE KING]
監督:ピーター・ジャクソン|原作:J.R.R.トールキン|撮影監督:アンドリュー・レスニー|美術:グラント・メイジャー|音楽:ハワード・ショア(2003年 アメリカ 3時間23分)
ブロド:イライジャ・ウッド|サム:ショーン・アスティン|アラゴルン:ヴィゴ・モーテンセン|レゴラス:オーランド・ブルーム|ギムリ:ジュン・リス・デイヴィス|メリー:ドミニク・モナハン|ピピン:ビリー・ボイド|ガンダルフ:イアン・マッケラン|セオデン:バーナード・ヒル|エオメル:カール・アーバン|エオウィン:ミランダ・オットー|デネソール:ジョン・ノーブル|ファラミア:デヴィッド・ウェンハム|ボロミア:ショーン・ビーン|エルロンド:ヒューゴ・ウィービング|アルウェン:リヴ・タイラー|ガラドリエル:ケイト・ブランシェット|ゴラム&スメアゴル:アンディ・サーキス

いや、もう素晴らしいです〜。こんなに心を躍らせてくれた映画って、『二つの塔』以来です。(その前は言うに及ばず、『旅の仲間』(笑)。)ちょっとうるうるしたし、笑わせてももらいました。
私は『旅の仲間』を見終わった後、続きを知りたくて原作を読みました。それでわかったことですが、改変された部分は『王の帰還』が一番多かったです。しかし、この改変は、原作の本質をついたもの、映像による効果を増すためのもの、上映時間という制約がある限り原作を端折るのはやむを得ないと納得できるものでした。
そして、私が原作で最も好きな部分を端折っているにもかかわらず(また、3作品を通じて荒削りなところがあるにもかかわらず)、読者の持つイメージを凌駕する映像と、そのスケール感と迫力、登場人物の魅力は、傑作というにふさわしく、感動させられ、大いに満足いたしました。
願わくば、3本続けて映画館で堪能したいです。是非に、是非にぃ〜。休憩時間込み10時間半上映、弁当お茶付き、4500円でいかがでしょう?


●ネタバレ感想
何と言ってもこれから書かなきゃ。ゴンドールからローハンへ連なる嶺々を次々と狼煙があがる雄大、かつ、壮麗な場面に身体が震えました。映像におけるハイライトですね!(私は、『旅の仲間』のホビット庄の輝くばかりの緑とともに、脳内で映写しつづけています。)

原作と比較してみても、指輪の恐ろしさがちゃんと描かれていたし、フロドとサムの道行きの悲壮感が出ていたのもよかったです。また、ゴラムの末路をしっかり描いたことによって、「生き死には神に任せろ」といいますか、どんな者にもそれなりの役割があるという原作の持つ雰囲気が出ていたと思います。

原作を読むと誰もが、争いが嫌いで欲がなく、食いしん坊で生活を楽しむ術に長けており、いざというときには勇敢になれるホビットを大好きになって、私たちもかくありたいと思うようになると思います。(人間の理想の姿かもね〜。) 少なくとも私には、そういう思いがあるものだから、名実ともに王となったアラゴルンが4人の小さき人の前に跪いたとき、嬉しかったですね〜。
アラゴルンは、4人の大活躍に対してのみ跪いたわけではないのですね〜。ここのところは、読んでなくてもわかるかしら?わかるとしたら、アラゴルンを演じたヴィゴ・モーテンセンの尊敬と慈しみの表情のおかげかな(^_^)。

ヴィゴの話が出たついでに、アラゴルンについてもう少し。
いや〜、かっこいー!というか、エオウィン姫に「あなたは先頭に立って指揮をとれる御方。」と言われても自信なさそうに視線をそらすのが、よかったわ〜!声もあいかわらず、ふにゃふにゃ声だし(笑)。
それが、エルロンドからアンドゥリルの剣を受けとって腹をくくってのち、黒門のそばでローハンの軍に檄を飛ばすまでになって・・・・・。しっかりした声、出るじゃん!(笑)
ホビットだけでなく王の成長もしかと見届けましたぞ。

原作と大きく違うのは、指輪を棄却した後のホビット庄掃蕩記が省略されている点です。これは時間の関係もあってやむを得ないと思います。ちゃんと灰色港まで描いていたのでよしとしましょう。

灰色港からどこへ行くのかというと、不死の国へ行くんだけど、エルフやビルボ、フロド、ガンダルフが死んだと思っても構わないと思います。不死の国へ行くというのは、表舞台から降りた(死んだ)という意味と、物語として語り継がれる側の(忘れられない=死なない)人となったことを意味すると思います。
そして、ビルボが書き、フロドが書き加え、サムに託した本によって、ビルボやフロドは表舞台から降りたけれど、物語自体はまだまだ続くということを表していると思います。
おしまいにサムが「今、帰ったよ」というのは、まだまだ物語は続くけれど、ひとまずこの物語は終わりましたということでしょう。
ここまで本当によくぞ描いたと思います。大満足です。

原作では、上記のことについて、わかり易く言及してありまして、その部分(評論社の文庫本「指輪物語/二つの塔(下)」の「八 キリス・ウンゴルの階段」(270〜274ページ))が私は大好きなので、映画では端折られて残念です。

ゴラムの案内で険しい階段を上っていく途中で、フロドとサムは、自分たちを物語の主人公に見立てて「物語の中の一番こわいところでにっちもさっちもいかなくなってるところなんだよ。」となどと話しています。まとめると・・・・、

深い意義のあるお話では、主人公は冒険をしたくてするわけではない。途中で引き返す機会はあっただろう。途中で引き返した者があったとしても、その連中のことはわからないだろう。忘れられてしまったろうから。語り継がれるのは、そのまま道を続けた者たちのことだ。ただし、それが全部めでたしめでたしで終わったわけではないだろう。めでたしというのは、家に戻ってきて何も変わりがないということを見つけることだ。

う〜ん、まとめたとは言えないかも。全部書いちゃった(笑)。
これを読むとわかるように、フロドはめでたしとは言えない物語、サムはめでたしと言える物語でしょうか。
うえのまとめはサムの台詞なのですが、原作者トールキンの物語観(歴史観)と言ってよいかもしれません。この部分を読むと、ひょっとしたら私たちも物語の途中を生きているのかもしれないと錯覚します。
特に逆境に立たされたときなんかに読むと、語り継がれることのない死すべき定めの人間に、厳しくも勇気を与えてくるような一節ではないでしょうか。


くりからもんもん『ロード・オブ・ザ・リング』完結記念すごろく

高知松竹1 2004/2/17

●追記
うえで原作を引用して(というか、まとめて)いるところですが、『二つの塔』のラストでちゃんと描かれていました。昨日、テレビ放映されたものを見てわかりました。私は『二つの塔』は吹替版を見なかったので、字幕だけではわからなかったようです。改めて、『ロード・オブ・ザ・リング』の吹替版は、重要だと思いました。(2004/12/12)



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