ケン・ローチ監督の作品には、ハズレがありません。この作品もやっぱり、大きく心を動かされました。
1993年英国の国鉄が民営化されて、新会社の下っ端管理職が注意事項を述べる場面は、大勢の鉄道員とともに私も大いに笑いました。組織が換わっても仲間の連帯感と仕事への意気込みは変わらない、そんな暖かく頼もしい雰囲気が横溢しており、見ているほうも自然と笑みがこぼれるのでした。
けれども、注意事項で「年間の死者は2名まで」というのを聞いて、鉄道員は爆笑だったけれど、さすがに私は笑えませんでした。それは、最近の土佐くろしお鉄道宿毛線での大事故や、民営化されて数年のうちだったと思いますが、信楽での事故が思い浮かんだからです。鉄道だけではありません。自動車のリコール隠しにより死者が出ているし、その他もろもろ、利潤を優先したためと思われる事故が脳裏をかすめました。
命より利潤という経営者の意識が露わになった注意事項は、近年の日本の現実を目の当たりにしている者には笑えるはずがないのです。
その点、彼ら鉄道員たちは、そういう現実にこれから突入していくところだから、まだ何も知らす笑っていられたのでしょう。
そして、水から茹でられる蛙のように、じわじわとのっぴきならない方へ追い詰められていくのですが、これがねー、ローチ監督、実にうまい描き方で、身に詰まされながらもけっこう笑える場面が続くので、見ている方も茹で蛙だったんですねー。
最後の最後で「ずしーーん」と来ました。
以下、この映画を見て考えたことをアトランダムに。
この映画で派遣社員となった鉄道員が、労働三権を行使できず、安全管理に対してさえ口出しできないのを見て、日本(の国会議員?役人?)はなぜ規制緩和と言って派遣会社を認めたのか改めて疑問に思いました。
普通に考えると、派遣会社という口利き屋みたいなものを間に入れるより、働いている企業に直接雇用してもらう方が賃金は多くなるはずだし、雇用も安定するし、労働条件も改善される可能性が広がるのに。
「誇り」という言葉には「自慢」という意味もありますが、私の気持ちとしては、いかなる不利益をこうむろうとも自分の信念を通す(良心に従った行動をとる)ときに使いたい言葉です。
仕事を失い生活できなくなるという不利益の前に事故を偽装した鉄道員。もし、自分が彼らの立場だったらと考えると、彼らを責めることはできません。彼らの誇りを粉みじんにしたのは誰なのか、そちらの方を責めたいと思いました。
誇りを失っても良心を失ってない鉄道員たちは、これから事故を引きずって生きるのでしょうね(涙)。
それにしてもケン・ローチ監督は、映画作りがうまいです。
タイトル・バックで鉄道の保線が危険な仕事だとわからせ、大勢の鉄道員の連帯感と心意気を冒頭でバーンと印象付け、小ネタで笑わせ、おしまいは3人の鉄道員の後姿です。(厳密には3人の他に、会社に残ったけれど失業が決まっている仲間と、心情的には労働者側に立つ中間管理職がいました。)冒頭の大勢の鉄道員とラストの3人の鉄道員の対比が強烈に効いて、胸がふさがる思いがしました。
ケン・ローチは、あいかわらず登場人物へのまなざしが暖かいです。一方で記録映画のような客観性を感じます。
しかし、ラストの救いのなさは何なのでしょうね。
考えてみたけれど、嘘をつかず物事に誠実であろうとすれば、あれ以上は描けないのかもしれません。
あ、そうそう。前作(『ナビゲーター』)が救いがなかったので、『スイート・シックスティーン』では、姉から主人公に電話を掛けさせて救いのあるラストにしたとかなんとか、インタビューで言っていたような気がします。
いずれにしても、ヒューマンな映画です。見た直後は「ずしーん」と重たい気持ちになりましたが、しばらくすると人間が愛しくなってきます。人間は蛙じゃないです!ゆで蛙なんて言って……(反省)。