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バッド・エデュケーション
恋する神父はきれいさ〜(恋する"元"神父は奴隷さ〜)
BAD EDUCATION
監督、脚本:ペドロ・アルモドバル(2004年/スペイン/105分)
イグナシオ、アンヘル、ファン:ガエル・ガルシア・ベルナル|エンリケ:フェレ・マルチネス|マノロ神父:ダニエル・ヒメネス・カチョ|ベレングエル:ルイス・オマール

濃ゆいです〜。チラシの濃さは伊達じゃなかった。
次から次へと謎が謎を呼ぶ、息をも吐かせぬストーリー展開。美男が、わんさか登場。おもしろかったです。

私が最も好きなシーンは、少年イグナシオが食卓の前に立たされて歌っているのを、マノロ神父がうるうると見つめているシーンです。美少年を本気で好きになってしまった神父の哀れが美しかったです。子どもに手を出しちゃいかんでしょうと思いながらも、ついつい「美しいって罪だなあ」と神父の側に立ってしまう自分を困ったものだと思いました。

この少年期の物語は、イグナシオが書いた小説中の彼の体験を基にした部分でして、おそらく相当に美化されていることと思います。イグナシオの現実は、そんなに美しいものではなかったのではないでしょうか。

●ネタバレ感想

いったい、少年時代の初恋の相手を、別れた後も十数年間も思い続けることが現実にあるでしょうか?ないとは言いませんが、多くの場合はエンリケのように新しい恋を見つけ、初恋は淡い思い出として胸にしまっておくのではないかと思います。
でも、イグナシオの場合は、エンリケを想い続けていました。これはイグナシオの現実が、あまりにも辛いものだったから、初恋を思い出としてではなく、美しい夢として見続けていないことには、生きるのが困難だったということではないかと思います。
自己犠牲により恋する相手を救おうとするも、悪魔のような神父に裏切られ、別れざるを得なかったというのはロマンチックでさえあります。イグナシオには、小説の中で少年期を美化することが必要だったのではないでしょうか。

イグナシオの小説では、十数年経った今でもマノロ神父はイグナシオを忘れることができずに、ひきだしの中に少年イグナシオの写真をしのばせていたりします。
これって、イグナシオの願望じゃないですかね。今でもイグナシオを愛している神父に復讐の鉄槌を下すのは、復讐の効果が倍になるというものです。
しかし、現実は、マノロ神父は神父を辞め、編集者となっており、妻子がありながらイグナシオの弟に恋する節操のなさです。イグナシオ自身も、整形とドラッグで身も心もボロボロ。
こんな現実の中で、エンリケだけを希望として生きていたのですね。

アンヘル(イグナシオの弟でイグナシオを騙っていた)が、エンリケに「君は僕の知っているイグナシオとは思えない。あまりにも変わった。」と言われて、「変わらなければ、今ごろ死んでいる」と返した言葉。真相がわかってから振り返ると胸に痛いです。
ファン(後のアンヘル)の虜となった元神父のベレングエル氏、哀れです。好きになった方が負けですねぇ。(私の友人は、「イグナシオにしてもファンにしても思いを遂げられて、一番幸せや」と言っていましたが(汗)。)

エンリケは、ちょっと悪魔的なところがあります。イグナシオ(アンヘル)に「『僕たちの少年時代を描いた』と言われたときは焦ったけど、読んだらいい話でホッとした」ということは、本当の少年時代はもっと悪いこと、やってるね(笑)。
アンヘルがイグナシオでないと知ってからも泳がせておいた(しかも、愛人にしていた)理由は、エンリケ本人が言っているように「好奇心と君の嘘にどれだけ耐えられるか」ですが、「こいつめ。」と思いながら惹かれていたのだと思います。マルティン(恋人)との関係からもわかりますが、エンリケって恋をしても自分が優位に立ちたい人ですね。ベレングエル氏みたいに、恋の奴隷にはならないタイプだと思います。ということは、あんまり哀しい思いをしたことは、ないのではないかしらん。
そんな彼が、イグナシオにとって自分がどんな存在だったか知ったとき、どんな気持ちがしたことか。イグナシオの死後、その死因を知ったうえで、イグナシオの気持ちに気づくというのは。
悪魔的な部分があるのは創作者として有望ですが、それだけでは何かが足りません。哀しみを知ることが大切だと思うのであります。

MovieJunky 県民文化ホール(グリーン) 2005/9/26


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