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シンデレラマン
父は強し、職業ボクサー、アイルランド人
CINDERELLA MAN
監督:ロン・ハワード|脚本:クリフ・ホリングワース、アキヴァ・ゴールズマン(2005年/アメリカ/144分)
ジム・ブラドック:ラッセル・クロウ|メイ・ブラドック:レネー・ゼルウィガー|ジョー・グールド:ポール・ジアマッティ|マックス・ベア:クレイグ・ビアーゴ

現在、善きアメリカ人を撮らせてロン・ハワード監督の右に出る者はいないのではないでしょうか。最も安心して観られるアメリカらしいアメリカ映画を撮る監督が、慎ましやかな傑作を物しました。

命がけのタイトルマッチであるという試合前の緊張感を、戦う本人のみならず、家族、マネージャー、観客(教会で祈る人々を含む)にまで行き渡らせ、ボクシング場面は迫力があるだけではなく、試合の中にもストーリーを持たせ、ボクシング場面だけを取ってみても充分な見応えがありました。(カット割が速すぎて、どっちが殴っているのか殴られているのか、わからなかったけどー。動体視力を鍛えねば。)

しかし、もちろん、この映画の一番のよいところは、ブラドック一家の貧乏どん底暮らしの描写にあると思います。食べるものがない、仕事はない、電気は止められ、子どもは凍えて発熱。
それでも夫婦仲がよく、どんなに貧しくても子どもをどこへもやらないと親が約束してくれれば、子どもにとっては充分幸せな家庭だと思います。
家庭をメインにしているおかげで、ジム・ブラドックが、ボクシングを家族を養う一つの職業としてとらえていることが鮮明になって、普通のボクサーとちょっと違うところも面白かったです。

●ネタバレ感想

貧しくて子どもを他に預けざるを得ない家庭がある中、ジム・ブラドックは決して子どもを手放しませんでした。そのためには、彼から選手権を剥奪したボクシング協会へ赴いて、心ならずも無心をしました。
このときのジムの心持を想像してみるに、みじめじゃないと言ったら嘘になるかもしれませんが、誇りを捨ててと言ったらおそらく間違いだろうと思います。彼の態度は、みじめだったけど卑屈ではありませんでした。
もし、ジムの誇りが、他人の力を借りず自分自身の力で生活をするところにあるならば、保護局でお金の給付を受けたり、ボクシング協会でカンパをしてもらうというのは、彼の誇りをくじくことだったろうと思います。
けれども、ジムにとっては、子どもとの約束(子どもを手放さない)を守ることが最重要事項だったから、その重要事項のために無心をしても、彼の誇りに傷はつかないのではないでしょうか。
いずれにしても、愛情の前には誇りは虚しいというか、どうでもいいことのように思えます。

ジムは、ボクシングで生活が多少なりとも潤うようになってから、保護局へ給付されていたお金を返しました。これは、おそらくブラドック一家よりも貧しい家庭があることを意識してのことだと思います。自助努力のみを促すのは、どん底にある者には過酷です。私は、この場面は、相互扶助の精神が描かれていると思い感心しました。

ジムとメイ(妻)とボクシングの関係については、さもありなんで、あまり新鮮味がなかったので、感想は割愛。それより、マネージャーとの運命共同体具合がよかったですね〜。ポール・ジアマッティ、アカデミー助演男優賞受賞決定(太鼓判)!
ラッセル・クロウは、また主演男優賞を受賞しても不思議はない演技でした。

ちょっと古臭くも思えるような古き善きアメリカ人(アメリカの家庭)を、今このとき描く意義というのは、この映画自体の中には描かれてなかったと思います。1930年代のアメリカを見事に描いていますが、現在につながるところを私は発見できませんでした。そこが少し物足りない点ではあります。
でも、ロン・ハワード監督は、映画を観ている間だけでも、アメリカ人ていいな、アメリカの家族っていいなと思わせてくれます。私はこういう映画を観てきたからこそ、アメリカの庶民と政府の要人の異なることを、引いてはどの国においても庶民と政府の要人の異なることを知ったのであります。

TOHOシネマズ高知7 2005/9/17


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