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■かるかん>あなたになら言える秘密のこと|パフューム
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あなたになら言える秘密のこと
打ち明ける人は選びましょう

なかなかに惹きつけられて見ましたが、欠点もあるし、妙に凹まされて好きな作品ではありません。

ハンナ(サラ・ポーリー)がジョゼフ(ティム・ロビンス)に打ち明けた秘密の内容は、彼女がセルビアvsクロアチアの戦争中どんなひどい目に遭わされたというもので、むかむかと胸が焼けると申しましょうか、はらわたが煮えくり返ると申しましょうか・・・・。その後の彼女が他人と没交渉になってしまい、生き生きと生きられないのは無理からぬことのように思えました。
それにしても、このような秘密を打ち明けられて、それに耐えることができるジョゼフを選んだことは大正解。ゆめゆめ私のような軟弱者には打ち明けてくれるなと思います。もし、打ち明けられても、胸が焼けようが、はらわたが煮えくり返ろうが、無力なことにかわりなく、何も行動しないのであれば同情するのが偽善のように思えてきて、そこはかとなく凹みます。(もう既に凹んどる(汗)。)

欠点と言うのは・・・・。ジョゼフが回復後、コペンハーゲンにいるハンナの主治医に会いに行くのが不自然で、主治医も守秘義務を無視してハンナの写真を見せるなんて、いっきに覚めてしまいます。
しかし、この無理を承知(?)の展開にしたのは、「戦争で生き残った者は、生き残ったという負い目を乗り越えて、その悲惨さを伝えなければ、人々は戦争があったことを忘れてしまう(皆さん、忘れないで)。」ということを言いたかったからでしょう。
また、サラ・ポーリーとティム・ロビンスは、絵面上、似合いのカップルには見えず、ハンナとジョゼフが結ばれるという結末に違和感があったのも残念なところです。(この違和感、私だけ?)
ただし、実際にハンナのような人が存在することを思えば、彼女にはジョゼフのような伴侶が現れることを願わずにはいられません。希望ある結末は納得できるものでした。

おしまいに謎の声について。
私はガラスの十代の一時期、自分の頭上1メートルくらいのところから自分を見ていたことがありまして(←とくに辛いこともないのに〜)、あの声もハンナを離れたハンナ自身の声だとピン(?)と来ました。性暴力によって一度殺されたハンナの声か、水子の声か。とにかくそういう者になって、自分を客体化してこそ何とか生きていられるということでしょう。だから、そういう声なくして生きていられるようになるのが一番なのであります。

TOHOシネマズ高知 2007/3/1
 
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パフューム ある人殺しの物語
消えるが花

エログロです〜。正に物語です〜。好きです〜(笑)。
昔の知人に「街でいい匂いの人とすれ違うと付いて行きたくなる」という人がおりまして、私はその頃、花の匂いは嫌い、人工の匂い(香水)はなおさら嫌い(でもトンネル内の排ガスの臭いは好き)という変わり者でしたので、その知人の気持ちがさっぱりわかりませんでした。
しかし、それからうん十年、ようやく人並みに花屋の店先で深呼吸、春は梅の香、秋は金木犀というふうに甘い匂いも好きになり、かの知人の気持ちも理解できるようになりました。それに前々から匂いには敏感な方。いろんな匂いを識別するのは楽しいです。
ただし、匂いって消えるからいいのではないでしょうか。悪臭は無論、いい匂いであっても、いつまでも嗅いでいたい匂いって私の場合はありません。
ところが、この物語の主人公ジャン=バティスト・グルヌイユ(ベン・ウィショー)は、目まいがするような(エロティックな)匂いをいつまでも嗅いでいたい人でして、そのために次々と殺人を犯すのでございます。

●ネタバレ感想

ジャン=バティストは、感情移入ができる人物ではありませんが、可哀想なのは愛されずに育ったせいで、愛しかたが全くわかってないことです。本能でいい匂いのする女性に付いて行き、弾みで殺してしまいます。そして、その最初の女性が時おり匂いの記憶としてよみがえるのです。
自分に体臭がないと気づいてからは、彼の記憶の中のその女性に自分の姿を見つけてもらえず、自分は存在しないかのよう。かくなるうえは、究極の香水を作り、その匂いでもって自分の存在を知らしめるしかないと決意します。
そして、数々の殺人の末に究極の香水作りに成功し、殺人鬼は処刑しろと息巻いていた人々も、ひとたびその匂いを嗅ぐと「彼は天使」と崇めだします。すると記憶の中のあの女性が、彼を見つけて微笑むではありませんか!
しか〜し、喜びもつかの間、彼の香水を嗅いだ人々が匂いによって忘我の境地で(彼をそっちのけで)「イイこと」をしはじめると、彼は気づくのです。彼女はもういないと。涙が頬を伝います。・・・・可哀想ねぇ(笑)。←って、笑っているのは、一緒に泣けるほど感情移入できる主人公ではないってことです(汗)。

さて、ジャン=バティストが上記のごとく初めて孤独を感じた刑場の場面(以下、「孤独の刑場」と言います)、これが見終わって最大の謎でした。冒頭の刑場と全く異なっています。冒頭の狭くて煤けた刑場より孤独の刑場が広いし、司教が列席したりで華やかです。
見終わるまでは、孤独の刑場で絞首刑を免れ、その後パリへ戻り再び殺人を犯し捕えられ、冒頭の刑場場面につながるのかと思っていましたがさにあらず。孤独の刑場を後にしたジャン=バティストは絶望のうちに「消滅」してしまいます。
これをどう解釈するかは観客にまかされているわけでして、私も色々考えてみました。

一つは、「消滅」はあくまでも比喩で実際には生きており、パリをさまよっているうち再び捕えられ、今度は冒頭の刑場で間違いなく処刑された。
二つ目は、実際には冒頭の刑場で処刑されたが、作り手の思惑により「物語」としては孤独の刑場で刑を免れたことにした。

私にとっては断然二つ目の「作り手の思惑」が有利です。そもそも孤独の刑場に向かう前に拷問を受けており、香水瓶を隠し持てるのが不思議です。というわけで、「作り手の思惑」が四つ思い浮かびました。
一つは、ジャン=バティストの孤独と絶望を描きたかった。これが「消滅」にうまくつながり一番しっくりきます。

もう一つは、匂いの魔力を描きたかった。いい匂いを嗅ぐと「処刑しろ」なんて血なまぐさいことは望みません。皆「イイこと」をしたくなっちゃう。世界平和は匂いから。

更にもう一つは、作家としてのジャン=バティストを称えたかった。彼を香水という物作りの作家としてとらえると、処刑するには忍びません。作品のためなら人をも殺す作家の狂気は、映画の作り手にも理解できたというわけで、素晴らしい作品をものしたジャン=バティストを称えたかったのです(?)。モチベーションが尽きる時こそ作家の死であり、処刑なんかで死んでたまるものかということを表現したかったのかも(ちと苦しい)。

おしまいの一つは、ジャン=バティストを匂いそのものとして描きたかった。もし、裁かれるのが香水だとしたら、香水に罪はなく、天使のような匂いをふりまき、後は消えるのみ。

TOHOシネマズ高知2 2007/3/10
 
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