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■かるかん>愛の流刑地|マリー・アントワネット
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愛の流刑地
疑似体験ならず(笑)

実生活で何もかも捨てて性愛に狂うことは、なかなか理性が許さないと言う人が多数派だと思います。あるいは何もかも捨て得る相手(性愛)に恵まれない人の方が多いと言うべきでしょうか。う〜ん、私が知らないだけで、本当はそんな人ばかりかもしれませんが(笑)、少なくとも私は実生活で性愛に狂うのはちょっと困ります。だからこそ、美男美女が物語の中で狂い、死んでくれると実に楽しい(笑)。疑似体験できるってわけです。

『愛の流刑地』では、美男美女とは言いがたいけれど、物語の主人公としては充分に魅力的な男女が、なかなかに狂ってくれておりました。しかも女(寺島しのぶ)は、病的なまでに狂い命さえも捨て、男(豊川悦司)を独り占めにしようとします。
しかしながら、この映画、楽しさを感じさせてくれるほどには浪漫がなく、真に残念、かつ、俳優に気の毒なことに、せっかくの性愛シーンも高揚感がありませんでした。それに弁護士と検事役のお二人が浮いているのもいただけませんでした。

それでも私が面白く見たのは、性愛については女の方に主導権があり、男ってそれに従っているだけよみたいな主張が(目新しくはないけれど)、主人公の小説家(=原作者)の言い訳のように思えて可笑しかったこと、「裁判では本当の冬香はわかってもらえない」という心情に真実味があったこと、そして、冬香の母(富司純子)の娘を思う気持ちに胸を打たれたことがあったからです。

それにしても、冬香、甘いね(チッチッチ)。生き残った菊治が、残りの人生を彼女のためだけに費やすとも思われません。時が経てば彼女は思い出の中の大切な人となり、菊治は新しい恋をするのではないでしょうか。やっぱり、「究極の独占は心中に限る」と思った次第。(片方が生き残っても心中と同等の重みがあった映画として、『シェルタリング・スカイ』『愛のコリーダ』が即座に思い浮かびます。)
なお、富司純子は演技賞ものでした。娘を殺された憤り、娘の心を理解しての哀しみなど複雑な気持ちが伝わってきました。声の調子を寺島しのぶに合わせているので、本当に親子らしく感じられました。

TOHOシネマズ高知7 2007/1/15
 
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マリー・アントワネット
少女の成長、女の一生、本質は田舎の主婦

ダメな人はダメらしいですが、私はけっこう面白かったです。
ソフィア・コッポラ監督作品は、登場人物を身近に感じられる手作り感覚が特徴のような気がします。『ヴァージン・スーサイド』しか見ておりませんが、『ロスト・イン・トランスレーション』もなんだか小品ぽいですし、手芸映画という感じ。
『マリー・アントワネット』はベルサイユ宮殿など、小品のS・コッポラというイメージからは意外なほどスケール感のあるロケーションでしたが、手作り感覚はそのままでアントワネット(キルステン・ダンスト)を今時の十代の女の子のように感じることができました。

末っ子(?)で可愛がられて自由に育ち、何も知らず嫁ぎ、乙女の清廉さゆえにルイ15世の愛人を好きになれず、母の忠告に割と素直に従って世継ぎを産むプレッシャーに耐え、孤独と息詰まる宮廷生活の鬱憤を晴らし、母となり妻となり・・・というお話。
自分を偽らず他人を傷つけず生きている彼女の姿が私には好ましかったです。プチ・トリアノン(田舎)での生き生きした表情を見ると、普通の主婦なら幸せになれたのに王妃になっちゃってと可哀想でもありました。

アントワネットも母として妻として成長していきましたが、ルイ16世(ジェイソン・シュワルツマン)も暴動の際にはさっと妻子を守る体勢を取るまでに成長しました。二人が仲睦まじい夫婦になっていくところもよかったです。王にも王妃にも向いていない二人。なにも処刑しなくても・・・・という気にさせられました。
S・コッポラは暴力がお嫌いなようで。歴史上の人物伝として血の通った優しい作品だったと思います。

TOHOシネマズ高知7 2007/1/23
 
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