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■かるかん>残菊物語|西鶴一代女
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残菊物語
芸の道、女の道は険しい

行ってきました「溝口健二映画祭」二日目のAプログラム。『元禄忠臣蔵 前編』は、言語考証が徹底しているらしく、言葉使いが難しいせいか眠ってしまいました。しかーし、『残菊物語』は、芸の道も女の道もとんでもなく険し〜いというお話を、健気な奉公人女性と一途な歌舞伎俳優で描いておりまして、画質も音もなんのその、「とことん突き詰める」というパワーの見事さに圧倒されました。

芸の道は本当に厳しいものです。菊之助(花柳章太郎)は梨園の御曹司。世辞や追従を言う人はあっても、厳しく言う人はおりません。甘言ばかり耳にしていては、自分の芸に自信がなく不安になるのはごもっとも。そんなところへ、奉公人お徳(森赫子)からの忠告を受け、砂漠で水を持つ女神に遭ったがごとくやる気になったところ、周りの反対にあい、別れさせられ、家を飛び出て上方へ。追ってきたお徳と共に、旅回りにまで身をやつし、苦労を重ね芸に磨きが掛かっても、そこまで落ちると桧舞台に返り咲く機会は全くなし。

一方、お徳は日陰の女。身分違いの恋であり、ただただ若旦那に次代の菊五郎の名にふさわしい芸を身につけてもらいたい一心で、尽くし励まし支えになって、晴れて大歌舞伎に返り咲いた暁には、そっと身を引く覚悟なのです。
いつもの私ならこういう古いタイプの女を歯がゆく思うところですが、今回ちっともそうは思いませんでした。どうしてだろうと考えてみまするに、お徳が菊之助の精進を願う心に一点の曇りもなく、また、菊之助の方でもお徳を本当にありがたく大切に思っているので、二人の関係に美しさを感じていたのだと思います。

しかし、旅回りを数年続けた頃には、荒みそうで怖かったですわ。とことん落とすな〜、溝口はんは(笑)。
歌舞伎の舞台、囃子、楽屋、奈落、船乗り込みと、芝居関係の見所聴き所も多く、西瓜、火鉢、虫の声と季節感もいっぱい。スタンダードサイズなのにビスタとかシネスコなどの横長のスケール感があります。芝居小屋など奥行きを感じさせるし、二階へ鏡台を運ぶ場面など高さを感じさせる場面もあります。見終わったばかりのときは、物語と人物の力だけかと思っていましたが、映像としての力も相当なものだと思います。
私の贔屓菊之助(五代目)や同輩の海老蔵(十一代目)の精進も願いつつ。

高知県立美術館ホール 2007/1/7
 
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西鶴一代女
全世界、全女性の不幸を背負った一人の女

行ってきました三日目のBプログラム。『お遊さま』は、ぐーぐー寝てしまいました。妹(乙羽信子)が、姉(田中絹代)のために夫(堀雄二)とは清い関係のままでいる、夫もそれを承知するなんて、そんな話、谷崎潤一郎らしくて好きだけどぉと思いつつ、ぐーぐー。
しかーし、『西鶴一代女』は見終わって、サドや、サドや、ドSや〜〜(Mでもあるかも)と繰り返しつぶやいてしまいました。とことん落としますな〜、溝口はんは!

かつては御所勤めをし、大名の側室になったこともあったお春(田中絹代)が、遊郭に身を落とし、果ては私娼となる波乱の人生。お堂で倒れておしまいかと思えば、なんとまだまだ辛い憂き目が待っていました。
どんどん落ちていく不幸つづきの人生を、時おり笑いを織り交ぜながら「これでもか」というほど「じっくり」描いていることに唸りました。
その「じっくり」ぶりたるや、始めから終わりまで徹底しています。冒頭では手ぬぐいで顔を隠したお春の後姿を延々と追いかける。おしまいでは我が子を追いかけるお春を延々と追いかける。追いかけるのが好きですなぁ、溝口はんは!

お春は、何の悪いことをしたわけではありません。それなのにどうして落ちていったのか。勝之介(三船敏郎)を好きになって関係したのは、当時としては飛んでる女だったでしょうが、そのせいばかりではないと思います。
女三界に家なし( 幼少のときは親に、嫁に行っては夫に、老いては子に従わなければならない)の封建社会にあっては、お春のように自我を持った女性は生きにくいものです。生きにくいというより、女性にとっては理不尽な男性中心社会ですからねぇ。
そんな世の中で、お春は自我を通すばかりではなく、妥協をし、状況に順応するたくましさも持ち合わせていました。嫌々ながら父の言うとおり大名の側室となり、子を産んでからは進んで育てて行こうとしたし、花魁を首になりかけたときは心底困って、プライドを捨て金が全ての卑しい男からの身請けを承知したのです。それなのにどうして落ちていったのか。
運もなかったのでしょうね。遊郭にいたことを承知で嫁にもらってくれた扇屋の弥吉(宇野重吉)と幸せになれるかと思ったら、早々に死に別れるのだもの(涙)。遊郭にいたことがバレルと、ろくでもない男が寄ってくるし。女性の職業が限られていたし、頼れる人がいないと娼婦か尼になるしかないのですねぇ(涙)。

おしまいに・・・。淀川長治さんが、歌舞伎や文楽を見なさいと言っていましたが、溝口健二の作品を観て「なるほど」と思いました。『残菊物語』は、ずばり歌舞伎の芸道のお話でしたし、『西鶴一代女』は浄瑠璃なんだと思います。義太夫節で語って聴かせるのにピッタリの悲劇ですもん。(そういえば、大名屋敷では人形浄瑠璃が出てきました。)登場する上方の男性は、歌舞伎で言う和事とはこのことかと思うほどに物腰が柔らかいですし。日本の伝統芸能を素地にした映画は、今は少ないかもしれませんが、淀川さんの頃はたくさんあって、だから映画を理解するにも歌舞伎や文楽を見なさいと言っていたのかなと思いました。

高知県立美術館ホール 2007/1/8
 
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