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ああ、なつかしの活動大写真


去る4月16日「シネ・フェスタ高知」と題して映画誕生100年記念の上映会が催された。主催は高知市文化祭執行委員会。プログラムは無声映画『月世界旅行』『大列車強盗』品田雄吉氏の講演をはさんで『ジェルミナル』『ブロンクス物語』の上映という豪華なものだった。ところが1500人は入るホールに200人がせいぜいという観客数。映画ファンの私でさえ上映会を知ったのは前々日。おまけにサイレントに生演奏と弁士の解説がついているなんて会場へ来て初めて知った。逸早く映画を見て、おもしろかったら宣伝するのが我が使命と思っているおせっかいやきがいたとしたら、「もそっとしっかり宣伝せい!」と喝を入れるところだ。また、過去に活弁と生演奏の楽しさを味わったことのある人が、この上映会の中身をちゃんと知っていたら、おそらく友達の1000人や2000人引き摺ってでも連れてきたであろう。

ところで13年前「なつかしの活動大写真」という上映会があって、それも活弁と生演奏がついていた。当時のメモから拾い書してみる。・・・・「弁士の方々の名調子、楽団の生演奏と銀幕の俳優の動きがぴったりと合って、それは素晴らしい活写会だった。特に日本初公開の『チート』をこの日引退するという福地悟朗氏が活弁したが、映画もさることながら氏の美声、役者ごとに声音を変えたその演技がよかった。」・・・・う〜ん、満杯の観客の熱気が伝わらないのが残念。1本ごとに感想も書いてあって、たとえば『鞍馬天狗』は、20か21歳のあらしかんじゅうろうがいい顔をしていて、鋭い目つきを見ただけでワクワクしてくるだの、三味線に乗ってのチャンバラに興奮して、「最高の最高に盛り上がったところで『つづく』。く〜〜〜!続きを見たい!!!」だの。でも、あんまり覚えてない。覚えているのは名場面集の一片だったと思うが、息もつかせぬチャンバラで、わらわらとわいてくる追っ手を数十人、チャンチャンバラバラ斬っては走り走っては斬るスピード。それを俯瞰でとらえたショット。映画史にも残ると解説された場面だった。

それともう一つ、この日のハイライト『チート』も良かった。早川雪洲は金持ち日本人のトリイを演じ、借金の返済ができないと謝りにきた女をてごめにする。女の肌に鳥居形の焼き印を押すのだから、ひえ〜という感じ。サイレント独特の大仰な身ぶり手ぶりの演技者の中で、雪洲の視線は観客を焼き尽くすほどに冴えていた。抑えた演技がトリイの不気味さをきわだたせ、彼の演技だけが現代にも通用し今なお輝く。


●他にスクリーンで見たサイレント映画

『東への道』気を失ったリリアン・ギッシュが氷とともに流されていく。その先には滝が・・・という寒い寒いサスペンス場面しか思い出せない。

『散り行く花』L・ギッシュは父親に虐待される少女。中国人の青年だけが心の支えの淡い恋。斧を持った父親に追いつめられ、物置のドアは今にも破られようとしている。
『シャイニング』ではジャック・ニコルソンが斧を持ちシェリー・デュバルを追い詰める。
当然、『散り行く花』のL・ギッシュの可憐なクローズアップに見とれながらS・デュバルの絶叫クローズアップも確かに頭をよぎった。キューブリックよ・・・どうしてくれると思いつつ、無性に嬉しくなるのも事実。

『街の灯』御存知、盲目の花売り娘に捧げたチャーリーの涙ぐましい愛の物語。トーキーになってからサイレントの手法で作られた映画だからチャップリンの作曲した音楽がついている。テレビでは笑えないチャップリンもスクリーンで皆で見ると結構笑える。残酷で優しいラストシーン。

『海底王キートン』はっはっはっ。実はこれが本命なのだ。私はグラナダテレビのシャーロック・ホームズシリーズと『マルセルの夏』と『ジーザス・クライスト・スーパースター』は別としてビデオを欲しいと思ったことはないし、実際ホームズを一本購入しただけで『マルセル』も『ジーザス』も持ってない。でも、『海底王〜』を見てキートンのファンとなってからは、こつこつと彼のビデオを集めることにした。『カレッジ・ライフ』『キートン将軍』『キートンの蒸気船』5年で3本は寂しいかな。

『蒸気船』は傘がおちょこになるのは序の口で、生えている木も大きな家も嵐でふっ飛ぶ。このビデオを台風の日に見られたら最高だ。雨戸を閉め切った部屋で、停電になるなよぉ〜とか思いながら。空はごうごううなり、時折電線がひゅうひゅうと風を切る。看板や洗濯機のふたが飛ばされてがらがら音を立てる。するとビデオでもありとあらゆるものが飛ばされ、果ては洪水になる。台風は歓迎しないが、このシチュエーションにはそそられる。



名画座がなくなって昔の映画をスクリーンで見る機会が減った。サイレントとなると滅多に見られないし、弁士、生演奏付きはもはや夢の企画。ここからは品田氏の講演の報告になるが、サイレントからトーキー、モノクロからフルカラー、3Dが流行ったりスクリーンサイズも変ってきて、映画はこれからどうなるのか。バーチャルリアリティー?要所、要所で観客の意見(多数決?)を計り、希望のバージョンを上映していく、結末が見る人々によって異なるなんていうのも考えられるそうな。映画がどう変るか分からないが、潜在的観客もいるので無くなることはないだろう。また、技術の発達とともに今の状態とは違う映画になるのは間違いないとも断言された。ただし、品田氏の二つの経験(たった一人で試写を見てひどく味気ない思いをしたこと。試写を見逃したときビデオで見ることがあるそうだが、淀川さんが「僕らはわかるからいいよね」・・・スクリーンで見慣れているのでスクリーンに映った状態が想像できるからいいよね・・・と同意を求めてきたことから淀川さんもビデオで見る後ろめたさを感じていると思ったこと。)これらの経験から、「映写したものを大勢の人といっしょに見る」映画の本質は変らないだろう、というお話だった。今、私たちが見ている映画も何十年かしたら「なつかしの無臭(活動)大写真」などと呼ばれるのだろうか。映画の未来がとても楽しみであると同時に現在も捨て難いぞと思う。

(1995年7月号)


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