|
■かるかん>かあちゃん|リリィ・シュシュのすべて |
|
[←もどる] [すすむ→] |
かあちゃん 殺伐とした御時世に心洗われる人情話 |
|
監督:市川崑|原作:山本周五郎 岸恵子|原田龍二|うじきつよし|勝野雅奈恵|小沢昭一 |
|
ええ、話やな〜。こういう話に涙できるというのは、齢を重ねた証拠ですね 高知東宝3 2001/12/08 |
[うえ↑] |
リリィ・シュシュのすべて よい傷、わるい傷、切り結ばないでつける傷 |
|
監督&脚本:岩井俊二 蓮見:市原隼人|星野:忍成修吾|津田詩織:蒼井優|久野陽子:伊藤歩 |
|
観てから数日経ってやっと自分の感想を頭の中でまとめることができました。 観ている間、身に堪えたのは、そのいじめの過酷さでありました。そりゃ確かに昔からいじめる者といじめられる者はいました。いじめられた者は、死にも値する思いをしたことでしょう。でも、殺したり殺されたりはしなかったんじゃないかな〜。いじめを苦に自殺する者も今ほどはいなかったんじゃないかな〜。言い切れないところがつらいですが。 ところが、今は(といってもずいぶん前から)殺したり殺されたり自殺したりのニュースを散々見聞きします。そういう現実をニュースとしては知っていても、事件にいたるまでの当事者の心模様やいったい何があったのか想像してもみなかったことに、この映画を観て気づかされ、「人が死ぬに至るには、これだけのことがあるのだ。これほどのことがあれば、死んでも不思議はない。」と思い、まさに現実を突きつけられた思いがしました。 ただでさえ10代は苦しいことが多く、自分の殻に閉じこもり、音楽などに救いを求め、悶々と過ごす年代です。だから、この映画を観て自分の10代を思い出して共鳴する人がいるのは理解できます。しかしながら、私は共鳴しませんでした。掲示板の書き込みの詩的な表現に赤面しかかったほどでして。(赤面しかけたことが自分もそのようであったことの証かもしれませんが 他にも色々感じることはあったのですが、また、夜が更けてきたので、これまでにします。 以下は、観たばかりに書いた感想であり、作品に触発されて色んなことを考えたり連想したため、混沌とした頭で取り留めもないことを書いています。お見苦しいとは思いますが、既にアップしていたものでもありますので、そのままにしておきます。 いや〜、身に堪えました。いまどきの14歳ってこんなに重いものを背負っているの?知らなかった。ごめんなさい。 それは誰だってガラスの十代は、生死の境にいるといっても大袈裟ではありません。それだからガラスの十代は誰しも詩人なのです。『リリィ』の掲示板でも詩人がたくさんいましたね。「くま」さんのように十代とはいえない人もいるのでしょうが。掲示板に書込まれた心の叫びやつぶやきは詩になりなんとする言葉だと思います。このような痛みや苦しみは、通過儀礼といってもいいくらい誰しも経験のあることでしょう。そして、苦痛を和らげるために音楽や小説に救いを求めるのでしょう。 と、ここまで書いて時間となりました。(12時就寝を守らねばっ。)続きはまた今度。 以下は、単なるメモ(^^;。 少年及び少女たちの閉じこもり具合と、その描き方の詩的なことに、コンラッド・エイケンの「ひそかな雪、ひめやかな雪」を思い出した。リリィの3枚目のアルバム「呼吸」というタイトルに、ある小説の「あなたに必要なものは空気です。」というのを思い出した。生きるには呼吸して空気を吸わなくちゃ。青猫って萩原朔太郎?エーテルって『サイダーハウス・ルール』でマイケル・ケインが吸ってたのもエーテルだった。やはり、逃避するには麻薬的別世界感のあるものが必要なのか?それから、「<こころ>の定点観測」にあった「窓」の話。 岩井俊二の作品は、これまで観たものはどれも面白かった。けれども、私には今一つ本気を出してないように思われ歯がゆかった。『リリィ』では、監督の客観性は保たれながらも魂を見せてもらったと思う。 高知東映 2001/12/08 |
[うえ↑] |
|ホーム|サイトマップ|サイト内検索|リンク自由|byお茶屋(連絡先)| |