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セブンス・コンチネント
死とはテレビの砂嵐なり。
監督:ミヒャエル・ハネケ
オーストリア|1989年|カラー|35ミリ|111分

県立美術館冬の定期上映会「空想のシネマテーク」最終日の全作品を見て来ました。『100人の子供たちが列車を待っている』は、映画がどうやって出来あがるのかを原理から教えてくれる作品であるとともに、軍事政権下のチリの様子がわかるという1本で2度おいしい作品で、半分居眠りしてしまったのが「しまった」という感じでした。
シュヴァンクマイエルの『対話の可能性』は凝視しました。すごいパワーでした。
『極北のナヌーク』は、カヤックからぞろぞろとナヌークの家族が登場したときからつかみはオッケー!とても楽しい作品でした。
『ラ・ジュテ』は「ふ〜ん」という感じ。ちょっと寝てしまいました。フランス語は眠気を誘う(笑)。
ソクーロフの『ドルチェ〜優しく〜』は、眠れなかったのが悔しいくらい退屈でした(笑)。なぜ、『100人の子供たち〜』で寝て、ここで寝んのかっ!私は自分が許せましぇーん(苦笑)。

●ここからは『セブンス・コンチネント』のネタバレ感想です。ラストもばらしています。

んで、最後の『セブンス・コンチネント』は、一番緊張感を持って見せられてしまいました。作品が静かすぎるのと映像が鮮明で(したがって潔癖感のある)、カメラが被写体に近い(したがって執拗な感じもする)ため、妙に緊張感を高められ、ある時点までは結末が予測できず怖〜い作品でした。
一切の過去を清算して、新たな一歩を踏み出すため死を選んだ一家の話ですが、これが傍目にはごくごく普通の家族なのです。本当にあった話だというから周りの人やニュースで知った人は、順風満帆に見えた家族が、なぜ、一家心中したか不可解だったろうと思います。そこをハネケ監督は想像力を駆使して、「なぜ」というところに迫っています。
一家はなぜ、心中したのか。この夫婦は、食欲も性欲もあって不眠に悩まされている風もなく、一見何の問題もないようなのですが、実はお決まりの生活に満たされない感じを持っていて、生きている実感に乏しく、生きることに価値を見出せないという、衣食が足りた人間が患う文明病に侵されているのだと思います。多分、そういう気分が妻から夫に伝染しているのでしょう。(妻には弟から伝染したのかもしれません。)だから、世間とも断絶された感じで、白々とした実に冷たい気配に覆われた生活をしています。こういった状況をハネケ監督は洗車シーンによってうまく描いています。
(洗車中の車の中にいるというのは、閉所恐怖症気味の私には想像するだに嫌な感じなのを、クローネンバーグが『クラッシュ』でエロチックに描いてくれて、いいイメージが出来ていたのに、ハネケがおじゃんにしてくれました(笑)。)

生きることに絶望してこの夫婦は死を選んだのだとハネケは思ったのでしょう。ところが、夫が残した遺書には、自分の選択は前向きな選択であるという意味のことが書かれています。また、彼らはまるで過去を清算するかのように思い出の品々を粉々にして死んでいます。洗車機の中から外に出るように、きれいに過去を清算し、新しい一歩を踏み出すがごとく彼らは死を選んだのではないか。ハネケは、遺書と死後の状況からそう推理したのではないでしょうか。(オーストリアにもタブロイド紙があって、こんな遺書だったとか、死後の状況はこんなだったとか報道されたんじゃないかな〜?わかんないけど(^_^;。)
ハネケは、そういう風に「前向きな死」という印象を持ったからこそ、この絶望的な夫婦に「セブンス・コンチネント(第7の大陸)」を見せたのだと思います。ところどころで明るく美しい場所といった感じで水辺の風景がさしはさまれるのですが、これは現実に対して絶望している夫婦が、夢の場所として脳裏に描いている場所で、おそらくこれが第7の大陸(死後の世界)だと思います。
つまり、この夫婦は、死後の世界を信じていて、死ぬことに望みを託しているという風に描かれています。実際そんな人は、世界中に数多くいるでしょう。現実があまりにも厳しいので死に逃避したい人、あまりにも退屈で死んでみたいという人もいるかもしれません。
そういう人たちに対するハネケの答えがラストの砂嵐です。ラストの砂嵐は、ハネケが「死は死だ。それで終わりだ。」と言っているように思えてなりません。つまりこの映画は、「彼らは生きることに絶望し、第7の大陸を夢見て死んだのかもしれないが、そんなものは無い。死とはテレビの砂嵐。死は死なのだ。」という非情に厳しい、しかし、死に望みを託すことを否定した作品だということになります。もし、ハネケが心中した一家をニュースで知り、「ああ、ここにも文明病の犠牲者がいる」と同情し、「彼らは前向きに死を選んだのだ。夢の大陸に向かったのだと思おうではないか。」と言っているのであれば、それは優しさでもなんでもない、感傷でしかありません。しかし、死を選ぶことを否定することで「もっと生きよ。」といっているのであれば、そういう風に受け止めてみると、この映画は傑作になるのであります。


県立美術館ホール 2002/03/02


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助太刀屋助六
上州名物空っ風が吹いて桶屋が儲かる、軽妙洒脱の時代劇
監督&脚本:岡本喜八|撮影:加藤雄大|音楽:いいっす
真田広之|鈴木京香|村田雄浩|岸田今日子|小林圭樹|仲代達矢|岸部一徳

しゃれっ気満点です。助六の故郷上州といえば空っ風。空っ風が吹きすさぶ小さな宿場町に、今で言う警視総監が援護についたあだ討ち合戦のはじまり、はじまり。この警視総監、袖の下はふくらます、鼻の下は長い、権力を笠に着るの三拍子そろったひどい奴。主人公助六は、もちろんこの警視総監とは敵味方になる運命でして。それでもって、かかあ天下の尻にしかれるのも運命みたい(笑)。役者がみんないい。ただし、真田広之はちと目が暗い。市川雷蔵みたいな明るい目で演じてほしかったです。


高知東宝3 2002/03/03


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