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■かるかん>父親たちの星条旗|硫黄島からの手紙
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父親たちの星条旗
硫黄島からの手紙
戦友、家族、現場の声
FLAGS OF OUR FATHERS
LETTERS FROM IWO JIMA
監督:クリント・イーストウッド(2006年/アメリカ/『父親たちの星条旗』132分/『硫黄島からの手紙』141分)

いずれも立派な作品でした。イーストウッド監督の作品は、冷静で理知的で、対象に過度に入れ込まず淡々としています。この硫黄島二部作も戦場が主な舞台でありながら、汗臭さがなく、内臓が飛び散っても割合平静に見ることができ、私にとっては登場人物とともに体験する映画というよりは、一歩引いた場所から感じ、考えさせられる映画となっていました。

二本の映画には映像に統一感があり、また、二作品に共通する場面もあり、両作品を観ることによって、作り手の戦争についての考えがより鮮明になったと思います。
つまり、戦争は会議室から始まり、現場の兵士は敵も味方も無惨であるということです。アメリカ兵、日本兵を分け隔てなく敬意を持って描くことにより、双方ともに捕虜を惨殺することもあれば手厚く介抱することもあるし、家族への想いは同じではないか、国対国の闘いは無意味で、むしろ兵隊を英雄に祭り上げて軍資金を作ろうとする人たち(戦争をしようとする人たち)が問題ではないのか。作り手のそんな思いが伝わってきました。

●ネタバレ感想

『父親たちの星条旗』では、アイラ(アダム・ビーチ)に泣かされました。これは、もう多くを語らずともよいでしょう。
やられた場面は、冒頭のドク(ライアン・フィリップ)の悪夢の場面。焦土のあちらこちらから「衛生兵!」と呼ぶ声がする、不安、焦燥、孤立無援のあの感じ。鳥肌もので涙まで滲みました。
ただ一つ、私の腑に落ちなかったことは、ドクの息子が父親の語らなかった戦争を調べていることがわかるのが、終盤になってからだったことです。始めから息子が調べているということがわからなければ、「父親たちの」とした意味が薄れるではないかと思いました。父と息子の絆、引いては過去と現在の結びつきが、終盤になってクローズアップされても遅いな〜というのが見た当時の率直な感想でした。
しかし、そんな思いもマダム・DEEPのシネマサロン『父親たちの星条旗』(4回目の感想)を読んで氷解しました。
あのナレーションは、「いったい誰だ?」と思いつつも、「ドクだろう」と簡単にかたずけていたワタクシが浅はかでございました。あれぞ、正しく父親たちの声だったのですね〜。ドクの息子は、息子代表というか、現代人代表。これは確かに終盤にわかった方が、「そうか、父親世代が後世の私たちに語って聴かせていた話だったのか(本当は語りたくなかったのに!)」というインパクトがありますねぇ(唸)。
ワタクシ、今ごろわかった次第です(^_^;。

『硫黄島からの手紙』は、知らないことばかりだったので、たいへん勉強になりました。硫黄島に島民がいたことさえ知らなかったのです(汗)。栗林中将(渡辺謙)も西中佐(伊原剛志)も知らなかったですから、彼らがアメリカに居たなんて知るはずないですね(とほほ)。
部下との対立も、あそこまであからさまに命令違反をするなんて史実なんでしょうか。軍も末期になると、ありそうなことですねぇ。衛生兵を狙い撃ちする作戦も始めて知りました。
驚いたのは自決についての描き方です。西郷(二宮和也)の最初の上司(だっけ?)が栗林の命令を無視して、その上司の命令で部下が手榴弾で、負傷した西中佐がライフルで、それぞれ自決。そして、決死の覚悟の突撃というふうに、状況も心情も異なる自決のパターンが描かれていましたが、どれも作り手がよく登場人物の気持ちを理解しているな〜と感心しました。
昔の話を現在にいかにつなげるかというのは、史実を描く作品の最も大切なところで、戦争がらみでは『火垂るの墓』や『肉弾』が名ラストシーンと思っています。『硫黄島からの手紙』は控えめの演出でインパクトには乏しいですが、時空を超えて手紙を受け取ることの意味は充分伝わってくるのであります。

『父親たちの星条旗』TOHOシネマズ高知9 2006/10/28
『硫黄島からの手紙』TOHOシネマズ7 2006/12/16
 
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