ホームへ
・映画情報→ ・上映中&予定 ・カレンダー ・グループ ・ピックアップ
・趣   味→ ・くりからもんもん ・鬼の対談 ・ベスト・キャラ ・かるかん
 
■かるかん>アポカリプト|ダイ・ハード4.0
[←もどる] [すすむ→]
   
アポカリプト
汝、畏れるなかれ

う〜〜〜、メル・ギブソン監督、暴力描写がエグいです。暴力描写だけじゃなくバクを生け捕るところなんかも、う〜〜〜。動物でも人間でも内臓取り出すのが好きですね(?)。
しかしですね〜、首が転がるシーンを『300』のように面白がって撮るより、本作のように顔を背けたくなるくらい痛く撮る方が良心的ではあると思います。
群集シーンは素晴らしいです。今時、群集シーンと言えばCGですが、あれは生身の人間ですよね(?)。『イフゲニア』の群集シーンを彷彿させられ感心しました。あれだけ集めるなんて・・・・、あ、『パフューム』がありましたか。でも、『パフューム』は『アポカリプト』ほど生々しくなかったなぁ。『アポカリプト』は腐乱死体の山まで実に生々しかったです。

マヤ文明を題材にしたというので、いったいどんな映画だろうと興味津々でしたが、平和に暮す部族が襲われたー、捕虜になったー、生贄免れたー、でも、殺されるー、逃げるーという息をも吐かせぬアクション映画でした。
ただし、アクションだけでないのは「畏れるな」「文明が滅びるときは内部から」などの言葉が印象に残ること。恐れて攻撃的になって自ら滅びていく人々っていうのは、マヤ時代の昔に限ったことではないなと、まあ、チラチラと考えさせられました。(マヤ文明は、スペイン人の入植によって滅ぼされたかと思っていました。しかし、この映画で爆発寸前の民衆の心を、日食を利用して掌握するという綱渡り的統治を見て、「内部から滅びる」ということについて考えてみたいと思いました。)

「アポカリプト」とはギリシャ語で覆いを取ることを意味するそうで、おそらく「アポカリプス(黙示録)」と関係があると思います。(今、ウィキを見てきたら、アポカリプス(黙示)の「原義は『覆いを取る』ことから転じて『隠されていたものが明らかにされる』という意味」とありました。)なるほど、カソリック教徒であるギブソン監督らしさがここにあったかと思う次第。
主人公夫婦は海岸に現れた黒船を畏れず、自分たちの新天地を探しに行くわけですが、「覆いを取る=除幕」というよりも「幕開け」の印象が強いです。主人公夫婦の新たなる幕開けと、スペイン人がやってきたことによる新時代の幕開け。そういえば、黙示録も悪魔が跳梁跋扈した後に神の国が実現されるという幕開け感がありますね。

TOHOシネマズ高知6 2007/6/23
 
  [うえ↑]
   
ダイ・ハード4.0
娯楽の殿堂

わはははは!いや〜、おもしろい!シリーズ第1作に次ぐ面白さ。これは傑作でしょう!

80年代の日本はバブル期で円高で大企業はどんどん海外進出しておりましたので、ロサンゼルスのナカトミ・ビルヂングで事件が起こったのは時代を反映しておりましたのです。
そして、第4作ではヴァージョン「4.0」などとタイトルもIT(Information Technology)時代を反映しており、時代の恐怖を描いているのが素晴らしいです。今や社会的基盤はコンピューターにより制御されており、その制御が出来なくなったときのパニック状態。う〜ん、アナログの勝ちじゃないのぉ???(笑)

しかも、予告編で目力の衰えを見せられて心配していたジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)は健在で、山を越え谷を飛び、果ては○○機と格闘するという大アクション。
また、ハッカー兄ちゃんマット・ファレル(ジャスティン・ロング)の現代っ子非力ぶりと、マクレーンの娘ルーシー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)の跳ね返りぶりも頼もしく、悪役のガブリエル(ティモシー・オリファント)は知的でスタイリッシュ、その部下であり恋人であるリン(マギー・Q)は女ターミネーターかというくらい強く、キャラクターが揃っております。そうそう、悪役の配下の者(男性)の身体能力はジャッキー・チェンに匹敵しますね。

更に、「父と娘の関係性」と「普通の人間が英雄になる」という二つのテーマが心を温かくしてくれて、「この先の三人は・・・・?」という映画が終わってからのお楽しみも残してくれます。
『ダイ・ハード5』は定年退職後、事件に巻き込まれて、ぼやくマクレーンを見てみたいな。「もう、動けないよ。若くないんだからさ。」とか言いながら、孫をスライディング・キャッチとか(笑)。

TOHOシネマズ高知6 2007/6/23
 
  [うえ↑]
ホームサイトマップサイト内検索リンク自由|byお茶屋(連絡先)