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■かるかん>イントゥ・ザ・ワイルド|光州5・18
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イントゥ・ザ・ワイルド
レクイエム
監督、脚本、プロデューサー:ショーン・ペン|原作:ジョン・クラカワー
クリストファー・マッカンドレス(アレグザンダー・スーパートランプ):エミール・ハーシュ|ビリー:マーシャ・ゲイ・ハーデン|ウォルト:ウィリアム・ハート|カリーン:ジェナ・マローン|レイニー:ブライアン・ダーカー|ジャン:キャサリン・キーナー|ウェイン:ヴィンス・ヴォーン|トレイシー:クリステン・スチュワート|ロン:ハル・ホルブロック

「若さ」という一言で表される、純粋で繊細で好悪の念が激しく、自由を求め冒険心があり無謀で正義感にあふれ(社会や特に親に対して)怒りんぼで、観念が先に立ちながらも柔軟で様々なものをよく吸収し影響され、生き生きと輝いているというようなものを、主人公クリストファー・マッカンドレスは体現しています。
この映画は、そんな若い魂へのレクイエムであると同時に、泥をかぶり垢にまみれた人生のサバイバーに与えられた一杯の清涼な水です。

●ネタバレ感想

クリスは文明から切り離されたアラスカの荒野で自分一人の力で生活することが、真に生きることであり自由なのではないか、そこで何か真実を見つけることが出来るのではないかと期待して旅に出ます。尊敬できない両親の元から飛び出したいというのもあって。まあ、独立心が芽生えた青年が一人暮らしをしたいっていうののスケールの大きい版(?)。この辺は私も冷静で、「一人で生きて真実を見つけることは難しい、人と接してこその人生だよ」と思いながら観ていました。その一方でクリスの繊細さや熱さに「映画以外でも古今東西、若者を主人公にした作品はこうでなくちゃ」と清々しい思いでした。

2年間の放浪中、様々の人に巡り会います。この人たちが皆イイ!レイニーとジャンのラバートランプ、一人暮らしのロン翁はもちろん、コロラドの川下りで出会ったスウェーデン人カップルさえも。女性のトップレス姿に引き気味のクリス(笑)。トレイシーの据え膳食わぬ伏線にもなっていて見事です。失恋トレイシーの表情よかったね〜(涙)。
農場主のウェインの言葉。「頭でっかちだ」「子どもは親に厳しいもんだ」「アラスカには春に行け」、だよね、だよね〜。どんな悪事を働いたのか、サバイバーはいいこと言うね〜。大人のいいとこ取り〜(笑)。(むかし可愛かった)ヴィンス・ヴォーンをこの役に配するなんて、『プレッジ』のミッキー・ロークに次いでペン監督に感謝です。

こうした出会いがクリスの糧となったことは間違いありません。当初の目的地であったアラスカの荒野において、死ぬ間際の深い孤独の中で一つの真実を得ることになります。「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時だ」。私が何十年も掛かってわかったことを彼は2年で悟ったのです!さすが、秀才やねぇ。ってウソ。2年間の出会いと孤独が私のうん十年分だったということでしょう(多分)。

若くしてこの世を去ったクリス。世俗の垢とは無縁であったように思います。ペン監督は原作を読んで、この純粋さ「若さ」に、かつての自分を見たことでしょう。「運が悪ければ自分もあの時死んでいたかもしれない」というような若気の至りを思い出したかもしれません。
ショーン・ペンは、かつてはクリスのように若かったし、現在は人の親ともなっています。そんな彼にとって(また観客にとっても)、陽光の中、クリスが帰宅して両親と抱き合うシーンはどうしても必要だったのではないでしょうか。
パンフレットを買って映画館を後にしながら、リバー・フェニックスやヒース・レジャー、イラクで殺された香田証生さんを思わずにはいられませんでした。

シャンテシネ(日比谷) 2008/9/17
 
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光州5・18
市民の底力

ヴァイタリティあふれる力作です。元気が出る映画でした。
この映画を観てまず思ったのは、「光州事件っていうけれど、戦争じゃん。」でした。戦争の範疇じゃないかもしれませんが、少なくとも事件という規模じゃないと思います。
そして、繰り返される「俺たちは暴徒じゃない」という台詞。それは観ていてわかります。台詞でそんなに何度も言わなくても・・・・と思っていました。だいたい主人公が、ごく普通のタクシーの運転手。民主化なんて割とどうでもよくて弟と自分が事件などに巻き込まれず平穏に生きて、好きな女性に何とか思いを伝えたいというのが最大の望みなのです。そんな彼が、討ち死に覚悟の対軍部戦に残るまでになるのは相手が攻めてくるからであって、これは暴徒とは言わないでしょう。しかし、ラストの締めにもこの台詞が使われておりまして、それでやっと思い至りました。
暴徒は政権によって作られるということなんですね。マスコミなんかも政権の意のまま。政府が暴徒と言えば暴徒と報じる。「俺たちは暴徒じゃない」という台詞は、暴徒と言われた光州市民の悔しさを強調するためではなく、報道を鵜呑みにしてはいけないという作り手の戒めだと受け止めました。

とさりゅう・ピクチャーズ 自由民権記念館 2008/9/26
 
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