『チェンジリング』も『インビクタス』も上映されたのに、なぜ『グラン・トリノ』が当地で上映されなかったのだろう???というのは置いといて、イーストウッド盤石。手軽に作った手堅い娯楽作という感じなのだが、それだけに収まらずスケール感があってなかなかのもの。『チェンジリング』ほど作り込んでいなくて、くだけた感じが私は好きだ。
●ネタバレ感想
1995年、南アフリカ共和国で開催されたラグビー・ワールドカップの決勝戦。スプリングボクス(南ア)対オールブラックス(ニュージーランド)の激戦にジリジリと手に汗握った!そして、スプリングボクスが優勝した瞬間、反目し合っていた黒人と白人が抱き合って喜んでいる!スポーツがもたらす一体感に座席で飛び上がってガッツポーズしながら、人種の垣根を越えた光景に涙し、イーストウッドの演出力に感心すると同時にスポーツが政治的に利用される功罪についても思いを馳せた(忙しい・・・)。だけど、ネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)である。
このワールドカップ以前の描写で、マンデラ氏を多角的に見せてもらった後では、彼が何を利用するにしても、徳が高く視野が広く国民の幸福実現という理念を持った政治家をリーダーとすることの幸運を思わざるを得なかった。
多角的マンデラ氏。
マティバと呼ばれている。時間に正確。ユーモア満点。
囚われの身でも心は自由だという希望をよりどころに不屈の魂で牢獄を生き抜き、解放後、身も心も自由になり大統領という権力者になっても、己の心を律するだけでなく、報復に走ろうとする仲間を制する。(「インビクタス」ってどういう意味か知らなかったが、映画を観ていて「不屈」だとわかった。「私が我が運命の支配者、我が魂の指揮官」という一節には、心の自由と己を律する厳しさを感じさせられた。)
一人の人物としても指導者としても尊敬に値すると思うけれど、妻も娘も彼の元から去り、家族については彼は非常に寂しい思いをしている。なぜ、家族から見放されているのかは全く語られていないけれど、家族を犠牲にして黒人解放運動をしていたのではないかと想像した。
「利用できるものは金でも緑でも利用する」ということで、アパルトヘイト廃止後も敵対していると言ってよい黒人と白人の心を近づけるべく(まだまだ白人が経済的にも外交的にも実権を持っているので敵にすべきでないという実利主義からでもあるが)、ラグビー・ワールドカップを利用する。主将のフランソワ・ピナール(マット・デイモン)をお茶に招待したり、選手たちにPR活動をさせる。一回戦で敗退かと言われていたチームを優勝させるべく、持ち駒はフル回転だ。理念があって目標があって手段があって、これぞ政治家という感じ。
2月11日はマンデラ氏が釈放されてから丁度20年だそうだ。本物のマンデラ氏は南アフリカの現状をどう思っているだろう。それを思うと若干、ほろ苦くもなる娯楽作だった。