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■鬼の対談>A.I. |
結末までしっかりしゃべっています。 映画を観てから読んでね! |
K
『A.I.』観てきたで。 お茶屋(以下「茶」) どうやった? K おもしろかった。 茶 最後の「アレ」は何やったと思う? ネット界隈では宇宙人説とロボット説の両方があるがやけど。 |
宇宙人かロボットか
K うん。そこがポイントやと思うがよね。 どっちやと思うた? 茶 私は宇宙人やと思うたき、ロボットやという人がおってビックリしたがやけど。 K 僕は見た瞬間ロボットやと思うて、すごい怖かった。 茶 怖い? K うん。立場が逆転しちゅうろ。「いや、ロボットの世界になったがや!」と思うて怖かった。 茶 それが怖いかね〜? で、どうしてロボットやと思うたが? K 僕も前の仕事柄、「アレ」が発掘調査しゆうと即わかった。 それで、発掘しゆうということは、進化したロボットが自分らあのルーツを探る考古学をしゆうと思うたが。 自分たちがいかなる存在かの研究やきね。哲学的な要素があるで、この映画。 |
青い妖精が叶えた願い
茶 あれ、ハッピーエンドやと思う?デイヴィッドの願いは叶のうたと思う? 一応は、母親に愛されるというデイヴィッドの願いは叶のうたわけやけど、クローンやろ?作り物のお母さんやも。本当のお母さんは2000年前に死んじゅうやん。 なんか、願いが叶のうたという気がせんがよね〜。 それに、人間になりたいというデイヴィッドの願いは、叶わんかったわけやし。 K クローンでも元のお母さんの記憶は、あったろ。 茶 えー、クローンやったら元の記憶はないろ〜? 別個の人やろ〜? K まあ、現実ではクローンやったら別の個体やき、育った環境が違ごうたら考え方も違う別人やろうけど、この映画では元の記憶がある設定になっちょったろ。 ほんじゃーき、映画の中の設定でいくと、お母さんに愛されるという願いは叶のうたとしたもんやろね。 確かに人間になりたいという願いは叶わんかったけど、デイヴィッドは「REAL BOYにしてください」と言いよったろ。リアル・ボーイになりたいという願いは叶のうたと思うで。 茶 は??? どういうこと? K う〜ん、2000年前は有機体が本物(リアル)やったわけやろ。それで、メカは作り物やき、いじめられたりしたわね。 けど、2000年経ったら有機体はおらんなってロボットの世界になって、メカが本物で、髪の毛から再生したお母さんの方が作り物やろ。有機体の方が作り物になっちゅうわけ。2000年後は、メカこそがリアルな存在ながよ。 だから、デイヴィッドはリアル・ボーイになれたが。 青い妖精は2000年かけてデイヴィッドの願いを叶えちゃったがよえ。 茶 ほぉ〜。 |
「愛」です
K お母さんとデイヴィッドの立場が2000年経って入れ替わったがね。 2000年前の世界では、お母さんが本物でデイヴィッドの方が作り物やったけど、お母さんはデイヴィッドのことを愛しちょったろ。 茶 うん、デイヴィッドをかばいよったし、捨てるときも辛そうやったね。 K それで2000年後は、デイヴィッドの方が本物でお母さんの方が作り物になったけど、二人の愛する気持ちは変らんろ。 ほんじゃぁき、「愛」ながよ。この映画のテーマは。 ジュゼッペお爺さんは、ピノキオが木の人形やと知っちょったけど愛しちょったろ。ピノキオの方も青い妖精に人間にしてもらう前に既にお爺さんを愛しちょったろ。 「お爺さんはピノキオが大好きです、ピノキオもお爺さんが大好きです」で既にめでたしめでたしのハッピーエンドながよね。それで、青い妖精がピノキオを人間にするのはオマケみたいなものなが。ピノキオが人間になったら子供には、ハッピーエンドが伝わりやすいもんね。 『A.I.』では、人間になりたいという願いは叶わんかったき、ハッピーエンドとは思いにくいけど、『A.I.』も「ピノキオ」も本物とか作り物とかに関係なく、愛こそが本物という、えいお話ながよえ。 ほら、本物と作り物の立場が入れ替わっても愛はいつでも本物というテーマやったら、ロボットの方じゃないといかんろ(笑)。宇宙人やったら立場が入れ替わったと言えんもんね。 茶 ほぉ〜。なるほどねぇ。 けどよ〜、それやったら、どうしてロボットやとわかる造形にせんかったろうねぇ。 あれは宇宙人やと思われてもしかたないで。 K う〜ん、僕はMacらあ、透明なメカがあるき、その連想ですぐロボットやと思ったけど。 それにロボットやったら、自らの存在を問うというテーマも出てくるわね。過去の発掘をして。 進化したロボットにとって、デイヴィッドは猿人か原人かみたいなもので(笑)、人間は創造主で親みたいなものやろか。親やったら、最初の方で誰か言いよったろ「ロボットが人間を愛するなら、人間はロボットに対して責任を持たなければならないのでは?」みたいなこと。親は子に責任があるろ?親子関係を描いた映画ともいえるね。 もし、「アレ」が宇宙人やったら、創造主(親)側に近いがやないろうか。 茶 それで、ああいう造形にしたわけは? K まあ、いかにもロボットという造形にしちょったら、観客はメカ=作り物と思うてしまうろ。 「アレ」を見て、すぐに人類に代る存在やと観客に思うてもらうためには、ロボット、ロボットしちょったらいかんかったがやないが? |
2000年後のそのまた後は・・・・
茶 それにしても「愛」を描いたえいお話にしては、すごい悲しかったけど。 K君は悲しゅうなかった? K 悲しかった。なんか、後を引くね。 茶 どうして悲しいと思う? K う〜ん、「ピノキオ」はお話が終わった後も、お爺さんとピノキオは本当の親子のように暮らしましたという先が見えるけど、『A.I.』は先が不透明やもんね。 お母さんは、1日で消えてしまうし。お母さんと一緒にずーっと暮らしたいという願いは叶わんかったし。 茶 そうで、ね〜。 先のことを思うたら、ひとりぼっちで生きないかんろうき悲しいでね〜。 K それによ、デイヴィッドはミイラなわけよ。 ミイラが出てきたら色々研究材料としてあつかって、果ては博物館やなんかに展示するろぉ〜。 デイヴィッドも博物館に展示されるがじゃないろうかね〜(冷汗)。 茶 ホルマリン漬けということはないろうけど(笑)。 それに、博物館いうても動かんより動いた方が面白いろ。 あのロボットは(まあ、ロボットということにしちょこう(笑)。)人間より冷静で知的やき、野蛮な扱いはせんと、デイヴィッドをあの家に住まわせて観察するんじゃないろうかね。 2001/07/21 |
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