映画名 |
いつ |
思い入れコメント |
どこで |
出来事 |
グッドモーニング・バビロン! |
1910年代 |
できたばかりのハリウッドの撮影所の活気に満ちた様子や、贅をつくしたセットの豪華さが、上り調子でどんどん移民を受け入れているアメリカの力を象徴しているようだ。しかし、ミケランジェロを生んだイタリアの大工も負けてはいない。名前は残らないけれど、彼らが修復した聖堂は残る。そして、映画を愛する者にとっては涙もののラストシーン。人は死んでも映画は残る。映画とロマネスクの美しい聖堂と、それらを作った名もない人を同等に置いた作品だ。 |
アメリカ |
◎『イントレランス』初上映 ◎第一次世界大戦 |
ラスト・エンペラー |
1910年代〜1960年代 |
このスケール感、映像美、歴史に翻弄される人物の一生。これぞ大河浪漫だ。キーワードは「オープン・ザ・ドア」である。皇帝とはいっても不自由な身であり、彼の前で閉ざされたドアに向って何度そうつぶやいたことか。日本が勝手に満州を建国し、その傀儡に据えられ、何事につけ受け身にならざるを得なかったように描かれており同情を誘う。文化大革命の大行進では恩人である収容所の所長が引き回されていたり、一般市民となった後も歴史とは無縁でいられないのだ。日本軍が中国で虐殺を行ったことのシーンがカットされた日本バージョンで公開されたことを覚えておきたい。 |
中国 |
◎溥儀の一生 |
わが心のボルチモア |
1914年〜1980年代 主に40〜50年代 |
バリー・レビンソン監督の作品の中で、もっとも好きな1本。移民としてアメリカにやって来た第一世代から、そのひ孫の世代までが登場する。悲喜こもごもの一家の物語が、懐かしの色調で綴られ、家族のありようが少しずつ変ってきたことがわかる。夢を抱いてやって来たアメリカ。家族がたくさんできて夢はかなえられたのか。切なさと温もりが胸に残る。 |
アメリカ |
◎テレビの普及など |
ラ・マン |
1929〜1930? |
堪能した。裸で寝ているところよりも、車のガラスに接吻するところがエロティックだった。メコン川が赤いことに驚く。 |
ベトナム |
◎フランスの植民地時代 |
紅いコーリャン |
1930年代 |
たいへん力があり、ぐいぐいと見せられた。そのパワーには、日本人ならずとも絶句させられるのではないだろうか。あまりにもぐいぐいと見せられたがゆえに、それが"えぐみ"となって胸に残る。コーリャンと血と太陽で真っ赤っか。 |
中国 |
◎日本軍の侵攻 |