ロゴ
・映画情報→ ・上映中&予定 ・カレンダー ・グループ ・ピックアップ
・趣   味→ ・くりからもんもん ・鬼の対談 ・ベスト・キャラ ・かるかん
space
■かるかん>ギター弾きの恋|A.I.
[←もどる] [すすむ→]



 
 
ギター弾きの恋

いや〜、ウディ・アレン監督の映画で、登場人物を好きになったのは、初めてかもしれない。>わたし。
それだけエメット(ギター弾き)は、どうしようもない男ながら可愛らしい魅力があるのです。

●ネタバレ感想

男は才能よね。私も昔々、どうってことない同級生の男の子が、ポロロロローンとピアノを弾くのを聴いた瞬間、目がハート型になったもん。うんうん。
エメットのように温かい優しい音色でギターを弾けるなら、それは女に不自由はしないでしょう。
だけど、ピストルでネズミを撃って楽しいの?列車が通るのを見るのが趣味?そんなの一人でやってよね。

(今、思い出したけど『ダイナー』でレコードのB面の曲を当てっこしたり、結婚するのに彼女がフットボールの選手の名前を全部言えなけりゃダメだとか(フットボールじゃなかったっけ?)、男って子供っぽいこだわりがあるよねぇ。女にもないってわけじゃないけど・・・むにゅむにゅ・・・。)

で、エメットの一番可愛くて笑えるところは、尊敬しているギターリストに対する畏怖の念です。ホントですかね、そのギターリストの演奏を聴いて2度も失心したというのは。私も失心するほどの演奏を聴いてみたいよ(笑)。って、ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュのギターを生で聴いて、失心しそうにはなったけど。いや、その大音響にですが(笑)。

それで、エメットは、芸術家には自由が必要、女に縛られるわけにはいけないのだと、数々の女性を泣かせてきましたが、ついに彼の方が泣くときが来ました!これって、これって、男性をも号泣させたフェリーニの『道』じゃあないですか!

それにしても、芸術家たる者は、このような精神的打撃を肥やしにして自らの芸術を高め得るものであって、打撃に屈して筆を折る(いや、演奏を捨てる)というのは、エメットがそれだけ小者だということです。
しかしながら、私はこの小者を愛さずにはいられない。小者ゆえに愛すといってもいいかもしれません。
最後のギターの音色には、一度の傷心で消え去って行ったギター弾きのもろさが、ガラス細工のように輝いています。儚く懐かしい、そんなギターの音色です。

2001/07/09


  [うえ↑]



 
 
A.I.

人工知能を持った子どものロボットの数奇な運命を描いたおとぎ話。子ども(大人の中の子ども的部分を含む)のための夢と冒険と愛の物語ですね〜。

予告編を見て予想していたとおり、「妖怪人間ベム」+「ピノキオ」でした! そして、それに「母をたずねて三千里」がプラスされるかな。
とにかく、『E.T.』の後、本性をひた隠しにしていた(?)スピルバーグ監督が、ついに自身をまるごと出したという感じ。
大味ながら、泣かせどころ、笑わせどころ、手に汗握りどころ、哀感漂うところ全てあり。マンハッタンはビューティフル!
私は『世にも不思議なアメイジングストーリー』で主人公が危機一髪のときマンガを描いて切り抜けたあのエピソードが大好きでして、スピルバーグはああゆうのを撮ったらいいのにとずーっと思っていたのです。
だから、人間とはいかなるものか、魂とは何かという哲学にならず、おとぎ話になったのがスピルバーグらしいし、これでよかったと思いました。

●ネタバレ感想

以下は、ニフティーの映画フォーラムにアップした感想と、それから後に書いた感想の合体です。

!!!観てから読んだ方がいいよ!!!

  ●第一次感想
これって、語り口が御伽噺だけあって、やっぱり子ども向けですね。
子ども(のロボット)が主人公で、本当は悪い子ではないのに誤解を受けて捨てられて(涙)、テディ・ベアをお供に人間になるため冒険の旅に出て、ロボット狩りの追っかけシーンや、ぶっ潰しショーの残酷なところ(ドキド キハラハラ)、また、一見ハッピーエンド風のラスト(ほっ。でも、妙に悲しい。)も、子どもが見たらそれなりに楽しめそう。←つまり私も童心で観させていただきました(笑)。
投身自殺は「ここまでやるか(^_^;」と思ったけど、キューブリックへのオマージュや自分自身へのオマージュ(?)など映画ファンの心もくすぐって、しかも、水没&氷のマンハッタンの美しさは「もう一度観たいぞ!」てなもんでありました。

  ●第二次感想
流石にパワーのある作品でした。先行ロードショーから1週間、なかなか頭を離れてくれません。何か知らんが、とても悲しい。それはなぜかと尋ねたら、考えてみるにあの2000年後の描写なんですね〜。

青い妖精を見つけたけれど、願いは叶わない。この現実の冷たさ厳しさが、2000年後の風景(氷の世界)にうまく引き継がれています。
そして、デイビッドの夢は、一応は叶ったのだけれど、それは母のクローンとのたった一日の思い出です。一日が過ぎると母は永遠に帰りません。デイヴィッドは、一日の幸せな思い出を胸に抱きながら、母のいない永遠の寂しさに耐えなければならないのです。幼い愛ではありますが、それが永遠の愛であることに間違いないでしょう。

幸せな思い出が、(母がクローンのせいか、デイビッドの記憶から作った家が舞台となっているせいか)作り物めいていること、デイビッドが母のいない寂しい永遠を生きていくであろうこと、人類が滅亡して人間らしさを持っているのが人間になりたくてもなれなかったデイビッドひとりぼっちであること、真実の感情を持つデイビッドを作り物であると私が思っていること。それらのことが、悲しさの原因ではないかとこの一週間の間に思いました。
この悲しさが、御伽噺にしてはユニークなので『A.I.』賛に一票なわけです。

  ●第三次感想(笑)
っていうか、第二次感想に書き抜かっていたことなのですが、生前の母親とデイヴィッドが「死なないで」「まだ50年は生きるわ」というような会話をしたことが伏線となって効いていると思います。その会話があったので、デイヴィッドが「母のいない永遠の寂しさに耐えなければならない」という思いが強くなりました(多分)。

それからデイヴィッドの夢が叶ったといっても、それはむく鳥の子どもがカサコソいう枯葉の音を聞いてお母さんが帰ってきた夢を見るようなもので(そんな童話があったのです)、不憫じゃないですか?本当のお母さんは死んじゃってるわけだから。(あ、本当のお母さんは、ウィリアム・ハートか(笑)。)

そして、デイヴィッドが真実の感情を持っているにもかかわらず、やっぱり作り物だと思った理由は、彼が死なずに生きつづけるからなのですが、これって自分でも気づかないうちに、どこまでが人間でどこからが人間じゃないかという区分けをしてたんですね。
どんなに人間そっくりでも、真実の感情を持っていても、彼は「物」なんだ。←こういう感想って、本当に悲しい・・・・。

雑誌でスピルバーグのインタビューを読むと、スピルバーグはこう言っています。「天から与えられた贈物の中で、人間の心が一番貴重だと思います。」
「これ(デイヴィッドが養子(?)になること)は映画の中の設定ですが、実際にこういう社会になったときには、人間はロボットから受けた愛情を返す責任があるのではないか、それが、私がこの映画を通して問いかけたことなんです。」

う〜ん、これは今思ったことなんですが、スピルバーグって善人だ〜。私は自分が悪人に思えてきました。(でも、デイヴィッドを「物」だと思ったことをこんなに悲しんでいるんだから、極悪人はまぬがれたか(笑)。)

それにしても、スピルバーグの映画を観て、「人間とは」みたいな感想を持てるとは思っていませんでした。しかも、そういう感想を持ったのだと気づかさずに、単なる御伽噺と思わせるなんて、やるじゃん。>スピルバーグ
というよりも、単なる御伽噺と思っていたものを、咀嚼してみようという気にさせる映画だったことがすばらしいのかな。


2001/06/23


  [うえ↑]



ホームサイトマップサイト内検索リンク自由|byお茶屋(連絡先)