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■鬼の対談>ゴースト・ワールド



 
ラストシーンから始まる話


(みわ)
 『ゴーストワールド』は、自分のあの年頃のことと重ね合わせて「うん、うん、わかる」と思って見てました。ただ、あの終わり方はどう解釈すればいいのかなと少し迷ってます。
 予想通りスティーブ・ブシェミがヘンな役で気の毒〜と笑ってました。


(お茶屋)
 え〜?そうだった? 私はめずらしく、いい役だと思ってみていました。おたくだけど、いい人だな〜と。いい男だな〜とは思わなかったけど(笑)。あ、イーニドとの一夜は、可愛く見えた。ふふふ。
 それで、あの終わり方の解釈ですが、一瞬自殺かなと思ったんですよ。ノーマン(バスを待ちつづけていたおじさん)がバスに乗って去ったとき、「ああ、おじさんは死んじゃったんだな」と思ったので、イーニド(ソーラ・バーチ)がバスに乗ったとき彼女も死んだんだと思ったんです。一瞬ね。
 それに後で考えると(ヤマちゃんと感想を話し合っているうちに)、シーモア(スティーブン・ブシェミ)がカウンセリングを受けるほど精神的ダメージを受けているというのは、ますますイーニドの死を暗示しているようだったんですね。
 でも、私は彼女が死んだとは思いたくないので、ノーマンは本物のバスに乗って行ったのだと解釈しました。そうすれば、彼女も死んだことにはならないもんね。
 ただ、そうなるとシーモアがカウンセリングを受けている訳が、イーニドに去られたからということになって、振られ慣れているシーモアにしては、ダメージが大きすぎる(笑)。女性に対して期待をしないようになっているはずのシーモアなのに。  みわさんは、どう思われましたか?

 
(シューテツ)
 男というもの振られ慣れるなんてことはありませんよ。(笑)
 期待などしなくても傷の深さは変わりありません。


(お茶屋)
 いや、これは失礼しました。男女を問わず振られ慣れるということはないでしょうね。
 ただ、イーニドに去られる不幸と同等か、それ以上の不幸を経験していそうなシーモアが、イーニドに去られて精神のバランスを崩すとは思いにくかったのです。
 それに、やっぱり彼にとってイーニドが特別な存在になっていたことには変わりないので、精神のバランスを崩すほどダメージが大きかったと思い直すことも出来ます、今なら。


(スーダラ)
 「ゴーストワールド」のラストについてのお茶屋さんの解釈、なるほどなぁと思いました。
 世の中を斜にしか見ていないような彼女が、実は最も真っ直ぐ、真っ直ぐすぎるほど世の中と向かい合っていたという事実。切なくなるほど、ある意味痛い作品でした。


(お茶屋)
 そうですね〜。イーニドがレベッカとちがって大人になりきれないのはそれだけ純粋だからと言えますしね。
 また、イーニドのほうから世間に絶縁状(とまでは行かないけれど)を突きつけているのは、世間のほうが彼女を疎外している部分があるからだと思いました。


(スーダラ)
 もっと評価されてもいい映画ですよね。


(シューテツ)
 『ゴースト・ワールド』のラストですが、私も鑑賞後は自殺なんて全然考えなかったのですが、あとで色々な感想を読むと、そういうふうに解釈されている方も結構いたので、驚きました。
 ですが、よく考えるとどちらにでも解釈可能なので、おそらく作り手なりの結論はあったのでしょうが、観客それぞれに解釈を委ねてもよいとも思ったのかも知れませんね。


(お茶屋)
 そうですね。観る人それぞれで受け止め方が違う、いろんな解釈ができる作品かもしれません。


(篠田)
 僕も自殺解釈驚き派の一人です。
 で、何で自殺とは全然思わなかったのか?をちょっと考えてみたんですが、劇中のイーニドのようなタイプの子ほど意外と生命力があるというか、打たれ強く生きていくはずと思い込んでる節があるからかもしれません。


(お茶屋)
 なるほどぉ。私はどちらかというと生きていてほしいから、自殺してないと思うことにしました(笑)。それにイーニドは、生き延びたら、たくましいおばさんになっているかも。
 ただ、「最後の一葉」じゃないけれど、バスを待つおじいさんを心のよりどころにしているのは、文学少女的かよわさかな〜。


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好き嫌いが分かれる作品?


(シューテツ)
 元々この作品自体かなり好き嫌いが分かれる作品だと思うのですが、このラストの解釈もその人によって(またはその時の精神状態によって)変わってくるように思えます。


(お茶屋)
 そうですか。私には嫌われる要素がよくわからないですが、私の好きなところが、人によると嫌いなところになるのかもしれませんね。


(シューテツ)
 一般的にみて、いわゆる「変わった子」(作品が好きな人には変わっているなんて全然感じないと思いますが…)が主役の映画で、映画のなかで主役が敵視している人種というのは、おそらくそれが観客であっても薄々感じると思います。そのことにシャレにならないくらいの不快さを感じれば、嫌いだと言う人もいると思いますよ。
 で、明らかにそういう不愉快を感じていそうな感想も読みましたので、だからヒット作品とまでは行かなかったのではないのでしょうかねぇ。
 もう高知で上映されているのかどうか解りませんが、同じ「変わった子」が主役でも、例えば『アメリ』などは、そういう不快さを誰にも感じないように作られていましたので、大ヒットしています。しかし、私が不思議に思ったのは、あの『バッファロー’66』の意外なヒットでした。この映画の主役の様にハッキリとある価値観を敵視していた訳ではありませんが、明らかに「お前らとは価値観が違うだろぉ〜」と思われる様な観客からも支持されていたのには驚きました。やはり、「結果オーライ」だったからでしょうかね?
 ところで、お茶屋さんは、「イーニドに去られる不幸と同等か、それ以上の不幸を経験していそうなシーモアが、イーニドに去られて精神のバランスを崩すとは思いにくかったのです。」とのことですが、私の場合、世間から見られる視線や状況において、かなりシーモアというキャラクターに近いものがあり、彼にはかなり感情移入してしまいました(笑)。だから、彼の視点からこの作品をずっと見てしまっていましたね。だから、もし私も同様の状況になったとしたら同じでしょうね。f^_^;;
 まず娘と呼んでもいいくらいの子とああいう状況になる事自体、彼にとってはまさに特殊体験でしょうから、過去の経験(不幸)などいっさい関係なく、戸惑いと喜びと動揺と不安の連続だったことでしょう。イーニドに対して自分がどれだけ力になれるのか(どうしたら力になれるのか)全く解らなかったと思うのですが、イーニドには絶対に幸せになって欲しかったのだと思いますよ。


(お茶屋)
 それは、本当にそうだといまさらながらに思い、ますますシーモアが好きになりました。(これって間接的にシューテツさんを好きですと言っていることになるのでしょうか。うひひ(*^_^*;。)


(シューテツ)
 これは嬉しいお言葉(笑)。(でも、これって「貴方も私も同類、同類」って言われている気がしないでもないのですが…f^_^;;)


(お茶屋)
 ははは。シューテツさんとは度合いがずいぶん違うと思うけど。
 わたし、パンフレットを2000冊も持ってないですよん。


(シューテツ)
 あっ、これは誤った情報ですよ(笑)。
 1000冊は軽く越えているとは言った憶えはありますが、数は数えていませんので、2000とは言ったことないですよ。f^_^;;


(お茶屋)
 すみません。話には尾ひれがつくということですね。1000冊でもすごいと思うけど。
 それはそうと、実は私もイーニドには過去の自分を、シーモアには今の自分を重ねていました。でも、その度合いはシューテツさんには、全くかないません(^_^;。私は多くの観客は、多少なりとも二人に自らを重ねて見ているものだと思っていました。
 イーニドの年頃に観たら感じ方も違ったでしょうが、今の私からするとこの映画の中では、美術の先生以外は許容範囲です。あの先生にはイラつきました(笑)。まあ、自戒せねばとも思いましたが。


(シューテツ)
 言われて思い出しましたが、あの先生もあの映画の中ではなんとも言えない面白い存在感でしたね。他の映画でもあの様なタイプは時々出てきますが、この映画の場合は、イーニド&シーモアというオタクと言っても本物指向が主役だったので、あの嘘臭さが際立って描かれていました。ああいう皮肉った描写がオタクゴコロを更にくすぐったのかも知れませんね(笑)。


(お茶屋)
 かなり面白かったです。そう悪い人ではなさそうなのですが(むしろ純粋と言っていいかも)、なんか理屈をつけないと作品を見れないのかね、やれやれという感じでした。イーニドの皮肉さえわからないのが気の毒というか、ある意味(他が見えてないという意味で)、芸術家っぽいというか(笑)。



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すべては幻、驚きの新解釈


(みわ)
 いつの間にか「ゴーストワールド」についての書き込みがたくさんあって驚きました。
 私も最初は自殺したんだと思いましたが、そんな終わり方は悲しいし、あの女の子(イーニド)は「自分からこんな町捨ててやる!」という気持ちと、前からの夢を実現するために旅立ったのだと見ることもできるなと思います。これがあの女の子なりの大人への一歩なのかなーと。「ゴーストワールド」から本当の自分が生きる世界へ旅立ったと、私にしては珍しく前向きな解釈をしてしまいました。
 シーモアさんについては、とてもいい人ですが、若い女の子の気持ちがわかってないのが気の毒でした。生まれて初めて女性を振ったあとに、向こうから迫ってきてた相手(イーニド)に理不尽にも振られてしまったこの落差は、かつて経験したことがないくらいのショックだったと思います。


(お茶屋)
 みわさんもゴースト・ワールドについては、同じような解釈なんですね? すごく爽やかで、珍しく(?)前向き(^_^)。  だって、イーニドに自殺させたくないもんねぇ。
 それとシーモアが女の子の気持ちをあんまりわかってなくて気の毒というみわさんのお言葉、そうですよね。


(ヤマ)
 お茶屋さんの問い掛けへのみわさんのレスが入ったら、乗り込もうかと密かに狙ってたヤマです(笑)。
 篠田さん、お久しぶり。シューテツさん、こんにちは。
 僕は、自分のサイトにアップした日誌にも綴っているように、あのバスの描き方には死の演出が施されているように感じたから、イーニドにも当然のごとく投影されるものの、そこが納得のいかないところだったし、実際の旅立ちというのも今いち釈然としてません。
 ところが、高知での上映会の主催者に、あの物語全てがシーモアがカウンセラーに語っていた物語で、イーニドというのは、シーモアのなかにある社会と適合しないパーソナリティの部分を象徴したものだと思うという解釈を得ました。  なるほど、それなら内なるイーニドを旅立たせることが快方に向かうことと直結しますね。しかもそれは心象世界のことなのだから、具体的に死である必要も目的地のある旅立ちである必要もありません。そして、彼は全ての人物がシーモアの想念が作り出したものだから『ゴースト・ワールド』だというわけです。
 辻褄は合いますね。でも、僕は、この作品で最も魅力的だったのが、いわゆる色眼鏡で見られがちで、病的と=で結ばれがちなオタクという存在について、他に例を見ない爽やかさを造形していたところだったので、それがリアルではなく、所詮オタクの想念のなかでの自己イメージに過ぎないことになってしまう彼の解釈には、辻褄が合うものの与しがたい気がしているところです。
 それじゃあ、オタク・シンパであるはずのテリー・ツワイゴフの面目が立たなくなる気がするんですよね。
 でも、非常に刺激的な解釈でした。みなさんは、いかが思われますか?


(お茶屋)
 オフミで聞かせてもらったシーモアの妄想説ですが、あらためて大変面白いです。やっぱイーニドが主人公でしょうとは思いつつも、妄想説は魅力的であります。


(みわ)
 しかし、全部シーモアさんの心の中のお話とは、驚きとともになるほどなーと感心しました。確かにあのカウンセラーとの場面は、映画を見てるときに、突然出てきて、それまでの流れからすると場違いな気がしたのを覚えてます。ということは、映画「ゴースト・ワールド」は、原作マンガ「ゴースト・ワールド」へのオマージュのようなものなのでしょうか。


(お茶屋)
 みわさんは原作マンガを既に読まれているのですか?


(シューテツ)
 今回のヤマさんの書き込みには驚いてしまいました。
 これは映画の裏話としては非常に興味深い内容なのですが、あの作品を観ただけでそこまでの解釈を観客に求める事は、ヤマさんも仰るように、釈然としないが普通でしょうね(笑)。やはりこの作品の主役は、あくまでもイーニドとして観る方が自然だし、魅力的だと私は思います。


(ヤマ)
 主役かれこれよりも、イーニド像もシーモア像もリアルの存在でなくなるところが僕にはツライ(笑)。


(シューテツ)
 ただ(手前味噌になってしまいますが…f^_^;;)、私のようにシーモアに自分との類似を認め、ただならぬ感情移入した人間があの作品を観た場合、その説はかなりうなずける話になってきます。私は本作の感想の中でこんな事を書いています。
 「実はこのオッサン、気持ち悪いくらいに私自身と重なっている。この主人公イーニドも性別こそ違え私の青春期と重なるところが多く、ちょっと変則的ではあるが一つの作品の中で私は、イーニドには昔の自分を、シーモアには今の自分をダブらせて感情移入していたようだ。」
 「性別は関係なく、おそらくイーニドの将来の姿がシーモアなのだろうと思う。少しSFチックな話になってしまうが、この物語って過去と将来の自分が出逢ってそれぞれに新しい発見をしたという、このように感じたのは私だけだろうか?。」
 私が感想を書いた時は、かなり異色な解釈で、多分これを読んでも同調してくれる人は少ないだろうなぁ〜、と思っていたのですが、今回のヤマさんのお話にあまりにも類似しているのに驚き、正直言って気持ち悪いくらい納得してしまいました。


(ヤマ)
 僕にしても、物語解釈としての辻褄は一番合うなと思ってますよ。シューテツさんのお書きになったものは読んでましたが、こうして「過去と将来の自分が出逢ってそれぞれに新しい発見をした」という部分を抜き書きされると、際立って御紹介した解釈との共通性を感じますね。
 ちなみに御紹介した解釈の主もかなりシーモアタイプの奴なんですよ。シーモアのような爽やかさが及んでいませんけど(笑)。



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映画独自のキャラなんですか!


(篠田)
 ヤマさん、お久しぶりです。
 出遅れました…日誌の方も読ませてもらいました。


(ヤマ)
 ありがとうございます。
 篠田さんのほうは『ゴーストワールド』については、綴っておいでませんね。


(篠田)
 で、ヤマさんのラストへの解釈、主催者さんの解釈共に、うーんこういう見方も出来るのかあという感じでした。
 僕自身は、この映画に関しては事前情報が少しある状態で興味を持って見てしまったので、そこから大きくは外れない見方をしてしまったかもしれません。原作が人気コミックで、登場人物は女の子二人が主人公でという。それだけだったら良かったんですが、重要な役所を担うシーモアが原作には無い存在ってのも目にしてしまってたせいか、シーモアが中心的役割を担っているという風には見れなかったんですよ。


  (お茶屋)
 シーモアは映画独自のキャラなんですか!驚きました。あんなに重要なキャラクターが原作にない!その原作は間違がっとるぞ(笑)。(『カノン』のときといい今回といい、篠田さん、情報通ですね。)


(篠田)
 シーモアというのは、この物語に奥行きというかイーニドの存在をより引き立たせるためにと考えて、演出されたものなんだろうなあと思って見てましたねえ。それにしても、中年音楽オタクの特徴掴みすぎてて、あまりに上手すぎる…とブシュミの油気の抜けた演技に魅せられながら。


(お茶屋)
 シーモアがいないと救いがないというか、イーニドはますます一人ぼっちですね。ますます、ゴーストタウンもとい、ゴースト・ワールドになってしまいますね。シーモアがいても一人ぼっちには違いないですが。


(ヤマ)
 今回も『カノン』のときと同様にメガトン爆弾のような書き込みをいただきました、僕にとっては。
 原作にないものを敢えて創造しているのであれば、しかも、それを映画においてはあのように重要な役処を担わせているのであれば、ツワイゴフの作品としての『ゴーストワールド』においては、原作者の『ゴーストワールド』と違って、むしろシーモアが中心的役割を担っていることの証のように僕は感じました。
 こいつは僕にとっては、ビッグ・ニュースでしたね(感謝)。


(篠田)
 この監督がとかいう風には、これが初めて見る映画ですし、全然考えなかったのですが、もし自身の分身があるとすれば、シーモア以外には考えられない気がするので、


(ヤマ)
 当然そうなりますよね。


(篠田)
 あれだけ立ったキャラクターを決して病的でサエない中年というのでなく、ヤマさん言われるとこの爽やかさも持ったキャラクターとされて、見てた側に嫌悪感より共感を多く抱かせただけでも充分にオタクシンパとしての面目が立ってるのではないかとも思えるのですが。


(ヤマ)
 これはそうなのかもしれませんね。
 僕は安易にネガティヴな結末と受け取ったために、オタクシンパとしてのツワイゴフの面目を疑ってしまいましたが、実はあのようなダメージの受け方をすることこそがシーモアの人間の証明であって、彼がけっしてゴーストではないことを強調しているのだから、ツワイゴフのオタクシンパとしての面目を施した結末なのだという示唆を自分とこの掲示板でいただいて納得しつつあるところです。



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原作のコミックでは・・・・


(篠田)
 原作コミック入手して読んでみました。日本語訳版。


(お茶屋)
 篠田さん、ありがとう!
 日本語訳版があるのですね。よかった。←すでに買う気。


(篠田)
 原作は、やはりイーニドとレベッカが主人公で、二人の日常を通してのすれ違いや違和感といったものをちょっと変わった様々な登場人物を通して描いていくといったものでした。原作のほうがレベッカの登場シーンが多いというか、イーニドとレベッカの会話が中心になっている感じですね。当然ながら、その分対になるレベッカの心情を物語るエピソードも多いという。
 あと映画では、コンビニ店員だった二人の元同級生役の男の子が、原作だとちょっと姿を変えた形で、もう少し重要な役で二人に係わってくるとこが違ってましたね。


(お茶屋)
 えーっと『依頼人』でデビューした男の子ですね。『ゴールデン・ボーイ』にも出てた・・・・。名前を度忘れしてしまいましたが、『ゴースト〜』では太って別人みたいになっていました。でも、コンビニ店員役は、なかなかよかったです。あんなに普通になれるとは役者ですね。


(篠田)
 んで、イーニドのお父さんは、3回違う相手と結婚したってことになってるんですね。その辺が突っ張ってる原因の一つになってるのかなという描かれ方でしたけど。


(お茶屋)
 う〜む、映画のお父さんは、ウディ・アレンが50%くらい入っていると思ったけど、この話(結婚3回)を聞くとますますW・アレンみたい(笑)。


(ヤマ)
 僕は、ここのところを映画では、捨てて出て行った母親が戻ってきて、それをふがいなくも受け入れようとしている父親に反発しているよう僕には見えていたもので、結婚三回の甲斐性に、見かけの割りにやるじゃないか、あの親父って驚きましたね(笑)。


(お茶屋)
 ウディ・アレンも見かけの割にいろんな才能があるし。あのお父さんの甲斐甲斐しさマメマメしさは才能だと思う(笑)。


(篠田)
 一番気になってたバスのシーンの描かれ方なんですが、これは映画と同じでした。来ないはずのバスはやって来るし、最後に一人になったイーニドが、そのバスに乗って町を去っていくというのも一緒。ちょっと違うのは、イーニドがそのバスに乗る前に、ずっと探してた占い師のおじさんに偶然会えて、自分の未来を占ってもらうところ。でも、はっきりとこうってのは明確にされないんで、結局イーニドが何処へ行ってしまったのかは判らないまま。
 映画もでしたが、原作もバカなこと言ったり、行ったりしてても切なさがあるんですよね。


(お茶屋)
 これを聞いて読もうという気になりました。


(ヤマ)
 占いってのも気になるところだなー。何かの動機づけになるようなご託宣があったのかもって気になったりもして(笑)。


(篠田)
 日本のコミックだと、もっと以前からこういう心象風景を綴ったものってあったと思いますが、アメリカだとこういうパターンのコミックって珍しいのかな?
 でも、思ってた以上にコミックの方も面白かったです。全80Pで1800円はやっぱり高い(笑)


(お茶屋)
 80ページで1800円は高いけど、帰宅したらアマゾンコムに注文します。アメコミって、スーパーマンとかそういうイメージなんですが、実際に読んだことがあるのは、スヌーピーだけです。スヌーピーは、のほほんと奥が深いというか、味わい深いものがありますね。
 『ゴースト・ワールド』は、スヌーピーとは全然違うだろうし、アマゾンコムの読者レビューは誉めてない割に星が多かったりで、とても楽しみになってきました。



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味なキャラのそろい踏み


(シューテツ)
 今回この作品での一連のツリーの話は、イーニド&シーモアの話が中心になってしまいましたが、これほど各役柄を一人一人深く見つめても面白い作品は珍しいと思います。本当にそれぞれの役が面白かったです。


(お茶屋)
 そうですね。レベッカもイーニドのお父さんも、ほんのちょっとしか出てこないお父さんの恋人も、ノーマンもどういう人かということを割合クッキリと印象づけられますね。


(ヤマ)
 あれって、かつてイーニドたちを捨てて家を出た元妻じゃなかったんですか? だから、イーニドがあれだけ反発してるのだと思ってたんだけど。


(お茶屋)
 あ、そうなんですか。私は素直に見てしまったな〜。お父さんが昔の恋人と寄りを戻したのかと思いました。
 イーニドが反発しているのは、あの派手さと、ある種のあつかましさと、こっちの(イーニドの)気持ちをちっともわかってないというか、わかるはずのないのに擦り寄ってくるデリカシーのなさが、うっとおしいからだと思いました。お母さんという深読みをすべきだったかな。それとも、お母さんということがわかる描写を私が見逃していたのかな?


(シューテツ)
 彼の前から姿を消したイーニドの行方は謎ですが、今になって思うと、タイトルが何故『ゴースト・ワールド』なのか気になるところですね。


「ゴースト・ワールド」からの旅立ち


(篠田)
 ゴーストワールドというのは、タイトル見た瞬間に浮かんだのがゴーストタウンだったので(笑)、イーニド達にとって生活してる町は、さながらゴーストタウンのように、住み難く現実感に乏しい退屈な場所でしかないっていうとこで、そうなのかなぐらいに考えてました。


(ヤマ)
 ああ、なるほど。これも大いにアリですね。落ち着き場所のない虚ろな町ってことなんですね。だから、出ていく、と。


(お茶屋)
 私の思っていたのは篠田さんと同じで、イーニド達から見た町の人々&世間がゴーストみたいなもの、まやかしなんだという感じです。


(シューテツ)
 私も同じように思いました。だから、ゴーストワールドから抜け出すという事は「死」を暗示するのではなく、逆に「生」への旅立ちを暗示しているのだと勝手に解釈してしまいました。f^_^;;


(お茶屋)
 私もイーニドをどうしても死なせたくないので、この解釈に便乗することになるかも。
 最近パンフレットを買っても、読むひまがないのですが、『ゴースト・ワールド』のパンフでこの映画はブルースが基調になっていて、ブルースとはどん底を描いたものだ、そして、必ず町を去っていくのだみたいなことが書かれてありました。このブルースで町を出ていったという解釈も私は気に入っています。
 どん底で出ていっても、そこからきっとまた立ち上がる底力のようなものがブルースには感じられるものね!


(シューテツ)
 それはカッコイイ解釈ですね。私もその解釈に乗ろう。(笑)


(お茶屋)
 なんか、きれいにまとまったかな?(笑)



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『カノン』のときといい『カノン』の上映中に観客に対して発せられる「警告」は、ギャスパー・ノエ監督が観客にしかけた罠ではないかという推論について、真相といえる情報をもたらしてくれたのが、ほかならぬ篠田さんだった。今回も篠田さんは、掲示板上の他の者が知らない重要な情報を御存知で、私には「篠田さんは情報通」というイメージができあがった。[もどる↑]
詳しくは鬼の対談「西日本『カノン』会議」をご覧ください。

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◇◇◇編集後記・編集秘話◇◇◇

以上は、今年の1月に当ホームページの掲示板へ寄せられた書き込みをまとめたものです。同時期にヤマちゃんが管理する間借り人の映画日誌の掲示板でも『ゴースト・ワールド』について盛り上がっていて、こちらの掲示板とは異なるおもしろさがありました。その内容は、『ゴーストワールド』(Ghost World)をめぐってに楽しくまとめられていますので、ぜひ、あわせてご覧ください。

なお、この「対談『ゴースト・ワールド』」の編集にあたっては、ヤマちゃんに多大な協力をしていただきました。というか、ほとんどヤマちゃんが編集をしてくれました。「私は残業続きなので頼む(^人^)」と言うと快く引き受けてくれたのです。それで、私が残業が少ない職場に異動になってからも約束を守ってくれました。ヤマちゃん、どうもありがとう。
また、ついでに(笑)明かせば、「対談『ベルトルッチ』」のときは、私は、膨大、かつ、脈絡なく話が飛ぶメールの遣り取りをまとめるのに嫌気がさして編集を中断していたのですが、ヤマちゃんが編集を買って出てくれまして、私がやったのは見出しくらいなものです。
「対談『ベルトルッチ』」の編集について、「やー、お茶屋さん、今回の編集はたいしたものですね!」と誉めてくださる人がいたら「実は、ヤマちゃんなんですよ〜。」という筋書きだったのですが。皆さん、誉めるのは今からでも遅くないですよ(笑)。あれは本当によくまとまっています。これを機会に読んでみようと思われた方は、こちらへどうぞ。
2002/04/20


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