文庫りげる

昨日、また行ってきました~。といっても2回目。とても居心地がいいので、午後のひとときを雑貨やインテリアや旅などの本をながめて過ごすとあっという間に閉館時間です。
前回おじゃましたときお借りした英国の陶磁器の本をお返しして、「ゆとりのお茶・至福のお茶」と「職人仕事の日本(3)倉敷意匠分室」の2冊をお借りしてきました。おもしろそ~。また、お返しするのは9ヶ月後になるのでしょうか?もう少し早くお返ししたいのですが、土曜日は映画を優先しているので機会が限られてしまって。いけませんねぇ。読みたい方がいらっしゃるかもしれないのに。でも、他にもたくさん素敵な本があるから勘弁してもらお(自分本位)。

毎月第3土曜日、10時から16時まで、県民文化ホール1階会議室

グスコーブドリの伝記

ものすごく魅力的な失敗作のような。絵の美しさやキャラクターのユニークさはよいし、音楽は手風琴や笛の音色がこの作品の雰囲気にピッタリ。(キャラクターごとのテーマを徹底したのはやりすぎかな?)
「失敗作」かどうかは作り手にしかわからないことなので、失敗作と言い切るのは間違いだと思うけれど・・・。
たとえば、冒頭のグスコー一家の団らんの場面。セリフや笑い声が不自然で、いかにも冷害の前の幸せな一時を描くためという感じがする。あるいは冷害で父と母が子どもを残して相次いで森へ行ってしまったのは自発的姥捨てなのかもしれないが、あの描写では突然両親が出て行ったのは、なぜなのかまったくわからない。両親という食いぶちが減ったおかげで、ブドリは生き延びることが出来たのだとすれば、誰か(何か)の犠牲のうえに私たちは成り立っているという宮沢賢治的テーマにつながるんだけど。あとでブドリが両親に生かされたと悟る場面があれば、わかりやすいのに。しかし、作り手が、家族団らんのシーンは不自然でよい、両親が出て行ったのは、なぜだかわからなくてよい、とそういうつもりで作ったのであれば、作り手にとっての失敗作とは言えない。今、二つ例を挙げたけれど、大体この調子だったと思う。

残念なのは、この映画の肝が伝わってこない点だ。「誰かのためになりたい、たとえ命を投げ出しても」なんて思ってもない観客にも、ブドリの「みんなのためなら、ぼくはどうなったって構いはしない」という気持ちを理解はできる程度に共鳴させるのが感動させるということのはずなんだけど。セリフで言わせてしまうなんて。
命を救うために命を掛けなければならない場面は、現実にあると思う。例えば、昨年の福島第一原発事故の現場で働いた人たちにどんな葛藤があったのか想像してしまう。その中にブドリがいたら(?)。
「海猿」シリーズは、命を掛ける話だからまだ共感が得られやすいのかもしれない。「ブドリ」は命を投げ出す話だから作り手としても難しかったのかな?

ともあれ、私にとっては魅力的な作品で、もしかしたらまた観に行くかも。

監督:杉井ギサブロー
(2012/07/07 TOHOシネマズ高知4)