宝島

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宝島 HERO'S ISLAND
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久々に直情径行の雄叫び映画を観たような気がする。声を大にすると煙たがられる風潮の中、このような映画を作るのは勇気が要ったのではないだろうか。コザの暴動シーンは圧巻で(素晴らしい)、そこへ行くまでの熱量もなかなかのものだった。今に続く本土市民の無関心と政府の沖縄への仕打ちだけでなく、闘いに武器を持つか不屈の精神で言葉を尽くすかという普遍的な問題までも描き、3時間の上映時間に倦むところはなく堂々たる力作だった。ところどころよくわからないところがあったが(むにゃむにゃ)。

武器を持たないと話にならないというレイ(窪田正孝)に対して挫けず話し合うべきだというグスク(妻夫木聡)。そのグスクが次の瞬間には武器を手にしてしまう。そうなのだ。非戦とか戦争反対とか言っている平和主義者も、不安になる情報には防衛本能が働いて考えるより先に戦争に突っ込んでいくだろう。本能、反射、感情のやっかいさについて、最近よく考えていたのでグスクの言行不一致は、よくぞ描いてくれました状態だった。

オン(永山瑛太)は亡くなっているんじゃないかと思いつつも、どでかいことをやってくれ!という期待もあった。だから、基地内の出来事がわかってみると、ちょっとがっかり。でも、ちょっと待ってプレイバック。がっかりするのは間違っている。人一人の命を救うって大変なことだ。確かにヒーローだ。ただし、せっかく救ったその命が奪われるとは、虚しいぜよ。

危惧していたのは、沖縄の苦境を描くと「沖縄県民vs本土人(本土の人)」となってしまいがちなことだ。残念ながら、本作もそこから脱却できていないと思う。沖縄、被爆者、水俣病などなど、困ったときは少数派。多数派の市民が無関心でいるうち、お鉢が回ってくるというところまで描いた映画「日本国市民vs政府(その背後)」(深作欣二的監督作)を観てみたい。

美術の師匠のおすすめにより、動画配信で観た沖縄が舞台のドラマ「フェンス」(5話完結)がめっぽう面白かった。レイプものだからムカつくところもあるが、コメディエンヌ松岡茉優の空手アクションも爽快にフィクションはこうでなくっちゃという結末だった。
(2025/09/28 TOHOシネマズ高知1)

鬼滅の刃 無限城編 第一章猗窩座再来

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「鬼滅の刃 猗窩座再来 花火」

橋田壽賀子脚本のドラマのように全て台詞で語ってくれるので、若干うるさい感じはあるものの、単細胞の私には非常に楽ちんでイイ!また、義理人情・家族愛をベースとしており浪花節調なのもイイ!更に、鬼の悲哀も実に泣ける。
実際、鬼は哀しい生き物だ。人間も同じで、鬼殺隊の面々も戦いのときは、どっちが鬼だかわからない形相だ。愛する人を殺された復讐であれ、同様の犠牲をこれ以上出さないためであれ、「必死」になるということは生き物の悲しさのように思う。(残りの(私の)人生、必死にならなくてよいように切にお願いします(-人-)。)

今回、まず胸が痛かったのは、身体が小さく力も弱いため鬼の首を切れない柱の存在だった。この人は尋常ではない努力をしているはずなのだ。他の人にはない能力を身につけてもいる。それでも、ある一点が及ばないため敗れてしまう。勉強でもスポーツでもプロの勝負事でも、そういう人は五万といるだろう。この柱のように命が掛かっているわけではないからいいようなものの、努力と気概の量に応じて敗れたときの心境は筆舌に尽くしがたいものがあるのだなあ。やっぱり、努力はしないに越したことはない。気概も考えものだ。この柱にけっこう同調して観たものだから身に堪えてしまった。

猗窩座の見た目、イイね!足腰の安定感、ドシンと強そう。猗窩座はヤングケアラーだった(ToT)。感心したのは花火。画面にも台詞にも花火の「は」の字も出てこないうちに、花火を感じさせる演出がところどころにあったのだ。「なんか花火みたいだなぁ」なんて思いながら観ていたら、ずばり花火がでてきてエピソードではなく作画で伏線を張っていたのだと気がついた。伏線というより猗窩座への思いやりのように感じた。

3時間弱の上映時間だけど、思ったとおり戦闘場面だけでなく回想場面があって助かった。動体視力が弱いので戦闘場面はついていけないが、歌舞伎の見得のようにカッコいい体勢のカットがあるので、それも助かる。キャラクターも話も漫画だからこそ、真剣な場面にも笑えるところがある。(無限城に底があるんで~!(驚))
(2025/09/03 TOHOシネマズ高知8)

消えた『国宝』(の感想)

数日前に『国宝』の感想をアップしていたのですが、どういうわけか跡形もなく消えてしまいました。もしかして、データベースのアップグレードしたことが、影響しているかも。もう一度、書く気力もないので、消えた国宝ってことで。

『国宝』の感想を毛筆で書いた画像 蓮の花

パソコンに画像が残っていたのでアップしました。

教皇選挙

『教皇選挙』の感想を毛筆で書いた画像

不自然なきまりごと

最後にローレンス(レイフ・ファインズ)が、亀を両手で持って水に返すのは何を意味しているのだろう?灰は灰に塵は塵に亀は池に?人は土に還り、生きている亀は水辺に。それが自然というものだから?

この映画を観に行く直前に占い師をしている友だちから、タロットカードからのメッセージだとして「不自然なきまりごとを設けて、自然に起こることを入ってこないようにしていませんか。地図に載っていないものの中へリラックスしていきましょう。すべてを上手くやろうとしなくて良いのです。」とLINEをもらった。ちんぷんかんぷんだったが、選ばれた新教皇をローレンスが認めたところで、「このことだったのかー!」と思った。タロットカードからのメッセージは、私へというよりローレンスへのメッセージとすれば大変しっくりくる。

女性は教皇(枢機卿)になれないため、スイスで女性の臓器を取り除きバチカンに入ろうとしたが翻意し、自然体でバチカンに入ったベニテス(カルロス・ディエス)。それを知りながらコンクラーベで選ばれたベニテスを教皇と認めるローレンス。それでこそ前教皇の一番弟子というものだ。これまでのカトリックの地図には載っていない世界へ踏み出したと思う。すべてが上手くいかなくても善き方向へ行くのではないか。保守派、改革派、おとし穴といろいろあったコンクラーベだが、大穴中の大穴にして理想のキリスト教徒らしいベニテスに未来を託した他の枢機卿たちの善意にも希望を感じる。創作物は社会をリードすることがあるので、そういう意味でもよい作品だと思う。

修道女を演じていたのはイザベラ・ロッセリーニだったのか。すごい存在感だった。
(2025/05/09 TOHOシネマズ高知2)