ライトスタッフ

これぞアメリカ!
あくなき挑戦。フロンティア・スピリット。
お金とか商業主義とか何でもかんでもショウアップとか、ソ連との競争とか、そういうのも含めてアメリカらしいところがいっぱい。でも、マーキュリー計画の7人も無名のパイロット代表イエガー(サム・シェパード)も壁の写真となった人々も、彼らにはそんなの関係ない。次々と立ちはだかる壁を乗り越えようと恐怖に耐える。そして、彼らの家族も同様に戦っている。この精神を称える映画だったような気がする。
スカッとしたところ。ジョン・グレン(エド・ハリス)が、吃音の妻アニー(メアリー・ジョー・デシャネル)に「君がいやなら副大統領であろうと会う必要はない。僕は100%君の味方だ。」と言った場面。その後、彼は命令に従わないなら飛行の順番を変更するぞと威されるんだけど、他の仲間が「変えれるものなら変えてみろ」とグレンの援護をしたのには泣けた。仲間や~(ToT)。
エール交換。シェパード(スコット・グレン)だったか、グレンだったかが無事帰還したテレビ放送を見て、誰かが「猿でも出来る」と言ったとき、イエガーは「人間は死の恐怖を感じる。それを乗り越えて成し遂げたのは偉い。」みたいなことを言う。一方、ゴードン・クーパー(デニス・クエイド)は、インタビューに答えて最高のパイロットはイエガーや壁の写真となった人々と言おうする。マーキュリー計画7人の連帯だけでなく、命がけの挑戦をする者同士の絆が描かれていたと思う。
イエガーの恐怖。クールなイエガーも本当は、飛ぶ前は怖くて、まじないをしていた。「ガム、ちょーだい。」「いいとも。1枚だけ残ってた。」「帰ったら返すからね」という整備士との遣り取りがそれ。整備士もわかってるねー!
ジェフ・ゴールドブラムも出てた!デニス・クエイド、テンガロンハットが似合う~~(^_^)。
描かれた年代が公民権運動より前なので、ほとんど白人ばかりだったけれど(だから、わざわざアボリジニを登場させたのかな?)、『ライトスタッフ』はアメリカの看板映画と呼びたい。
(『フォレスト・ガンプ』は面白くて好きだったけれど、看板映画と呼ぶ気がしないのはなぜだろう?)
フランスの看板映画『天井桟敷の人々』
韓国の看板映画『風の丘を越えて』

行きずりの街

面白かった。
12年前逃げ出した東京にもどり、今度は逃げず、元教え子二人をゲットする国語教師のお話・・・・、かな?
ところどころ、不自然なセリフがあったのが惜しかったけれど、波多野(仲村トオル)の過去が段々にわかっていったり、教え子ゆかり(南沢奈央)を探すうち事件に巻き込まれていく展開や、波多野と雅子(小西真奈美)の関係がどうなっていくのか興味が尽きなかった。
しかも、登場する人が皆、おもしろい!
こんな人いそうという感じのゆかりの元ルームメイト(谷村美月)、こんな人絶対いないという感じの元ボクサー現東洋メインテナンス部長(窪塚洋介)、ヤクザな社長(石橋蓮司)と一の子分(菅田俊)、ロケンロールから英語を学んだ(?)英語教師(杉本哲太)、バツイチの建築士(ARATA)、少女にピュアな自分を見た事務員(うじきつよし)、不倫OKの能書家事務員(佐藤江梨子)、引退後は水彩画絵師(江波杏子)。
言葉っていうのは多すぎたり少なすぎたり。程よく使えるようには、なかなかなれない。
丹波篠山で母と二人暮らす波多野を、ゆかりが「死んだ人が二人いるみたいだった」と言ったとき、ぎょっとしながらその家の空気が一瞬にして伝わってきた。言葉が少ないのはDNAだったのか???
丹波篠山、初めて観たけど素敵な町だな。丹波の黒豆、万歳!

アンストッパブル

疲れた~。
心拍数は上昇したまま、手に汗握る。
列車の音が迫力ありすぎ。
99分でよかった。2時間超したら身が持たない。
トニー・スコット風に(って、トニー・スコットや(笑))、カット割り、映像エフェクト多し。
持ち駒は全部使う、娯楽の王道。
ひとこと言うなら、「ちゃんと、仕事しろ!」>してなかった人に対して
(自分はちゃんとしているつもり(^_^;。)
[追記]
走る列車を降りて無人にした運転士には目が点になった。バスに乗るとき、ステップに片足しか乗ってない状態で発車されたことが何度もあるが、これはまだマシ。降りるとき、まだ降りきってない状態で発車されたらどうなるか。私は二度経験があるけれど、それはもう危険きわまりない。その経験からすると、この運転士の運動能力はたいしたものだ。もちろん、列車を無人のまま走らせることにも驚いたが、自動車のエンジンをかけたまま離れるってことをしたことがある身からすれば運転士を責められたものではない。だが、ファーストフード店の店員になってくれて心底ほっとした。
私が最もイラつき腹が立ったのは、ウィル(クリス・パイン)がフランク(デンゼル・ワシントン)を待たせたまま電話するところだ。緊急事態なら仕方がない。だが、ウィルにとって最大関心事ではあっても緊急事態ではなかったと思う。仮に緊急事態だったとしても、フランクはどういう事情か知らされないままだ。それも1度だけではない。
人は目の前の人よりも掛かってきた電話を優先しがちだ。優先しなければならない場合もあるだろうが、その時は事後でもいいから断りがあってしかるべきではないだろうか。
ゴルフをしながら事故処理の指示を出す鉄道会社の重役。すぐに現場に向かわないと、どこかの国の元首相のようなことになるのでは?「責任者はゴルフ中」、いずこの国でも同じかと可笑しかった。

アマデウス[ディレクターズカット]

めちゃくちゃ面白かった!
音楽はいいし、話とキャラクターは面白いし、スケール感もある。ヴィーナスの乳首だっけ?小道具もイイ(笑)。
こちらでの公開はいつだったか、当時観たときは神とサリエリの戦い(気の毒にもサリエリの一人相撲)という風に観たかもしれないが、それよりもファーザーコンプレックスのモーツァルトが可哀想で可哀想で(涙)。演者のトム・ハルスを好きになってしまった。彼は今頃どうしているだろう?
今回はファザコン・モーツァルトに免疫があったせいか、ディレクターズカットで約20分も延長されたせいか、私の中ではサリエリがぐっと大きい存在になった。
その結果、この映画はモーツァルトという天才への惜しみない賛辞と敬愛を持ちつつ、「凡人万歳」という開き直りにも似た凡人賛歌であるように感じた。
晩年、精神病院で生活するサリエリを尋ねた司祭は、「神のもとでは皆同じ」などと言って、なんとなく上から目線で懺悔を勧める。しかし、サリエリは伊達に年を経たわけではない。モーツァルトのおかげで、凡庸な才能の持ち主として長年苦しんだ経験の持ち主だ。(なまじ天才が理解できるから嫉妬もするわけで、神様はサリエリに対して、ホンマにひどい仕打ちだと思う。)そんなわけで、「神のもとでは皆同じではない」ことを司祭にわからせてしまう。司祭を転ばせたことによって、神への復讐を遂げたようにも見える。
モーツァルトの音楽に包まれ、スッキリとした表情で病棟の廊下を行くサリエリ。様々な患者たち。サリエリがどんな気持ちだかは知らないけれど、私はその表情を見て、天才に嫉妬し憎むことを含めて凡人でもいいではないかという気がした。
ディレクターズカットでどの場面が加わったかわからないけれど、サリエリのイタリアでの少年時代(明るい光線)かなぁ?どれだけ彼が音楽を愛し、神に祈ったか。これでサリエリ側に付いて観ることに。
モーツァルトの方も愛犬家の貴族の屋敷に家庭教師に行った場面は、彼の音楽に対する思いが表れていてよかった。う~ん、それに・・・・、免疫があったとはいえ、ファザコン・モーツァルトはやっぱりイイね!
[追記]
1985年6月の感想文を引っ張り出して読んだ。どうやら原作を先に読んでいたらしい。原作に凡人サリエリの悲哀を感じさせられたのに対して、映画には天才モーツァルトの悲哀を感じさせられ、音楽とともに胸に迫るものがあったと書いてある。「低俗な人間から高尚な音楽が生まれるはずがない」なんて断言しているところが若い(笑)。俗物とみられるモーツァルトに潜む純粋性が美しい音楽を生み出しているのだそうな(へぇ~)。「この映画の魅力はモーツァルトにつきると思う。」とあって、モーツァルトを演じたトム・ハルスにノックアウトされており、「主演男優賞はトム・ハルスに贈られるべきだった」とまで書いている。老いたサリエリは最初と最後に登場すれば充分で、何度も出てこられると集中力が途切れる、それが唯一の欠点とのこと。完全にモーツァルト中心に観ていたのだなぁ。