殺人の罪により一審で死刑判決を受けた品川真珠(黒島結菜)。被害者の息子が訪れた児童相談所の職員夏目アラタ(柳楽優弥)は、その少年の父の頭部をどこに隠したか聴き出すため、真珠との面会を重ねる。表情や言葉とは裏腹の駆け引きが続く心理サスペンスを楽しんでいたら、いつの間にか純愛ドラマとなっており見事に幕引き。
省略が利いてテンポがよい場面展開と主演俳優二人の魅力により、あっという間の2時間で、あとで振り返ると「???なんか辻褄が」と、わからないところがポツポツあるのに、観ている間はまったく気に掛からないパワーで押し切る作品だった。また、オープニングの俯瞰で撮影した様々なバッテン印が伏線になっており、クロージングのバッテン印で回収されるという痛快さも映画ファンの心をくすぐる。
柳楽くんは、元ヤンキーの公務員で、未だに所長に心配されている(少年ぽさが残る)アラタにぴったり。柳楽くん自身が温もりのある人のような気がするが、それも包容力のあるアラタになっていてよかった。
黒島さんは、真珠の善にも悪にもとれる危うい感じが、めちゃうま。終わってみれば、真珠は純粋な人というのにも納得感があり、純粋な人の危うさも感じられて今後も大丈夫かなと心配になるが、アラタとなら大丈夫だろう。めでたしめでたし。
(2024/09/14 TOHOシネマズ高知1)
カテゴリー: 映画の感想
大いなる不在
なぜ、父陽二(藤竜也)は警察のお世話になったのか。父の再婚相手、直美さん(原日出子)は認知症になった父をおいてどこへ行ったのか。一人暮らしとなった父に食事の配達を依頼した人は何者なのか。幼い頃に両親が離婚して父とは二十年以上も会ってなかった息子卓(森山未來)の疑問点が徐々に明かされていくミステリー仕立ての父を知る話。一方、直美さん側からすると、情熱のダブル不倫の末に結ばれた陽二さんに認知されず、怒鳴られ、宝物の恋文と日記を放り投げられたりして、学者であり趣味人である素敵な陽二さんを失う話。
二十数年ぶりの再会は、卓が二人の家を訪ねたときだった。陽二はめちゃめちゃ嬉しそうで饒舌なくらい。直美さんは陽二がどれだけ卓のことを思っていたか、そっと話したりして他人行儀な彼を気遣う。卓はおそらく母が亡くなったことを知らせるつもりで訪問したのだと思うが、そんな雰囲気ではないし、父との距離はとおい。次に会ったのは陽二が九州から東京へ来たとき。認知機能が少し怪しくなった陽二を心配した直美さんが、卓に連絡したのではないだろうか。妻(真木よう子)を紹介して、陽二のスピーチ現場まで付き添っているが、やはり父との距離はとおい。距離が縮まっていったのは、父を施設に預けて面会を重ねるうち、老いを感じたり頼られたりしていたところへ、子どもの頃手を上げたことを「許してほしい」と懇願されたからだと思う。「許す」と早う言うちゃってとドキドキハラハラの緊張感。なにせ、卓の生真面目というか頑なというか理詰めな性格は映画の当初にめっちゃ印象づけられていたため、叩かれた覚えもないのに言えるのか、ものすごいサスペンスだった。その後、父とベルトを交換するところは、ほっとしたせいもあって「えい息子やんか(ToT)」という感じ。
直美さんの方は、気の毒な感じ。認知症でなくとも愛する人が老いて弱っていくのを見ているのは、悲しく身に堪える。直美さんの場合は、大恋愛の相手だからなおさらだ。情熱的な恋文と日記を見て、何という浪漫であろうかと思うと同時に、これほどの執着は双方とも相当に苦しかっただろうと思う。双方の家族に気兼ねとか拘りがあって、浪漫を全うできず現実路線を行った二人だが、おおむね幸せそうに見えた。直美さんの逃避と後追いは現実路線というより浪漫派のような気がするが、その心情が十分理解できるような運びになっていたと思う。
まだ死んでもいないのに、望みを失い幻を追って(?)逝った直美さん。
もしものときは延命治療をと施設の職員に伝えた卓くん。
いいも悪いもない、大いなる悲哀であった。
森山未來は表情をほとんど変えないが、目の温度というか熱量が変化することで、どんな思いでいるかが伝わってくる演技だった。すごい・・・・。日本では男女問わず良い俳優の割合が高いのではないかという気がしていたが、それは日本の文化にどっぷり漬かった者の感慨というものであろうか。
(2024/09/06 とさピクシアター)
ドッグマン
リュック・ベッソン監督作品を全部観たわけではないが、本作が最高傑作だと思う。予告編を見て血しぶきだらけの怖いバイオレンス作品と思いパスを決め込んでいたが、映友の強力プッシュがあり、無料のアマゾンプライムでも迷いつつパスし続けていたのは「銀幕で観よ」という天啓であったかと思いながら駆けつけた。『ニキータ』『レオン』の頃のような抒情や浪漫があり、おっそろしく重厚な音楽なのに犬のとぼけた顔や小走りがユーモラスで、壮大な正当防衛シーンでさえバイオレンスより滑稽味が勝っていた。ごった煮感のある挿入歌も、『ゴッドファーザー』愛のテーマにのせて主人公ダグラス(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)の孤独な現状が描かれたり(涙が出る)、就職先のキャバレーでダグラスが歌う「群衆」は(エディット・ピアフの口ぱくだとしても)素晴らしいし(涙が出る)、アニー・レノックスやシェールが出てくるわで、音楽の門外漢である私でも楽しめた。そのうえ、ダグラスは受難を被りながらも、最後に十字架に掛かるまで生きぬいた。その生き方は、まさに「人はパンのみにて生くるにあらず」。無償の愛を注いでくれるベイビーたちとシェイクスピアが、恋愛では暗黒面に落ちた彼に自尊心を与え続けてくれた。ラストはダグラスの幼少期から逮捕に至るまでを聴き取っていた精神科医エブリン(ジョージョー・T・ギッブス)の家の前に一匹の犬がやって来て彼女を見上げるシーンだ。無償の愛を注いでくれる犬は神の象徴だ。人生の痛みを背負う人に神は寄り添ってくれるらしい。神はエブリンが背負う困難を解決してくれるわけではないけれど、生きる力になってくれるだろう。私はキリスト教徒ではないので、とにかく生き抜いたダグラスと本作品自体(本や映画)が神だと思う。神は心の食べ物、必需品だ。花も実もある娯楽作だった。
Filmmusik(フィルムムジーク)さんの『DOGMAN ドッグマン』の挿入曲とサントラ
(2024/09/05 あたご劇場)
瞳をとじて
青年と老人(同一人物と思う)の背中合わせの白いトルソーを見て、ああ、これは時間に関する作品だなと思ったら、時間と記憶と人(自分を含む)探しの作品だった。
美しく詩的でとてもよかったのだが、案の定うとうとしてしまい、もう一度観に行く気にもなれないのでアトランダムに。
・瞳をとじると見えないものと見えるものがある。内面を見ること。
・ヴィクトル・エリセ監督は『ミツバチのささやき』でフランケンシュタインを登場させたこともある映画好き。今回、映画愛が横溢。フィルム、映写機、映画館。
・「ドライヤー亡きあと映画に奇跡はない」って、カール・ドライヤー作品はジャンヌ・ダルクのやつと『奇跡』を観ているけど、やたらと美しいモノクロームで凄くよかったという記憶のみ。もういっぺん、心して観たいではないか。
・自分さがしは若者の特許ではなかった(びっくり)。老年には老年の自分があるのだろう。いや、老年とくくるのもどうか。
・人は移ろうがフィルムは時を越える。
・レンタル倉庫は過去。海辺の住居は現在。閉ざされた映画館から未来が始まる(?)。
・ミゲル(主人公の映画監督)の友だちでフィルムを保管していたおじさん、ナイスなキャラクター。
・涼しくなったら寝不足は解消される見込み。
(2024/09/01 あたご劇場)