ブリット=マリーの幸せなひとりだち

重曹はそんなに万能なのか~。家事の勉強もしなければ。
リヴァプールFCファンが観たら喜ぶ。(余談:リヴァプールFC命のジェームズ・サットンは、数年前に結婚し、ヒッチコック作品でおなじみの「ロープ」の舞台にも立ったが、近年ツイートしないので消息不明。)

スウェーデンの様子がチラホラわかって面白かった。63歳が働こうと思っても働ける場所はあまりない。それは日本も同様だけれど、スウェーデンのハローワーク(?)は相談しやすそう。本当に1対1で相談にのってくれるの?
性差別しないようにというのは、ちゃんと教育されていてハローワークでも、そのへんは適正にされている模様。
田舎でも移民が思いのほか多くて定着している。

主婦歴40年のブリット=マリー(ペルニラ・アウグスト)は、掃除洗濯ガラス拭き、やるべきことをやれば、それでよし。長年の夫の浮気にも気づかないふり。フランスに行きたしと思えども旅は怖い。規則正しい生活に不満はない。・・・・と思い込むようにしてきたので、表情筋が硬くなってしまった。年も年だから関節も硬く、したがって、動きもスロー。スロー、スロー、硬く硬く。

サッカー少女ヴェガとブリット=マリー、子どもと大人が対等に話し合うところが面白い。ヴェガがなりたい自分に向けてまっしぐらなのがまぶしい。ブリット=マリーは、そうはいきませんて。この年になると気力体力が。だけど、ブリット=マリーよ、やっぱり人にもまれて刺激になったね。人を活性化させるのは人だと思う。ブリット=マリーのスローなテンポで、やわらかいパリの風に吹かれるラストシーン。いくつでも、いつでも、決意と勢いさえあれば!
(2021/01/18 あたご劇場)

星屑の町

「星降る街角」を彷彿させるタイトル。ムード歌謡、いいねぇ。キティ岩城(戸田恵子)、歌うま、華あり、人気のピークは過ぎても、経験を積んだしなやかさがあって魅力的。山田修とハローナイツ(小宮孝泰、大平サブロー、ラサール石井、渡辺哲、でんでん、有薗芳記)の面々もキャラクターが立っていて、歌う姿(口の開け方)だけを取っても面白い。おじさん、おばさんの中で愛ちゃん(のん)が瑞々しくお得な役柄。前途洋々で故郷を後にする人よりも、故郷に錦を飾れずとも惰性であっても、旅ガラスを続けようとする哀愁の中高年の道行きに投げ銭。六造じいさん(柄本明)のエピソード、サイコー(^o^)。
(2020/12/28 あたご劇場)

アマンダと僕

青年とその姪っ子が、ともに愛する人(青年の姉)を突然失った喪失感を共有し、ともに生きていこうとする再生の物語・・・・のつもりで観ていたので、いつ、姉ちゃんが亡くなるのか(自転車に乗っていたので交通事故に遭いそうで)ハラハラしていたら、いつまで経っても事故は起きず。忘れた頃に事件が起きてビックリ。無差別殺傷事件に遭ったのだ。

ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)とアマンダ(イゾール・ミュルトリエ)の物語であると同時にフランスで実際に起きたテロで傷ついた人々へのメッセージでもあった。テロで心身ともに傷ついた人、身内や知り合いを亡くした人、後遺症やPTSDに悩む人、犠牲者の知り合いの知り合い。大勢の人が事件前とは全く異なる状況に陥り、先が見えず、不安にかられ、フランスは人生は「もうおしまいだ」と感じたときに「大丈夫。おしまいなんかじゃないよ。」と寄り添うような作品だった。

ダヴィッドは、若いし、子どもを育てる自信が全くない。アマンダを施設に預けることまで考える。夜中に突然泣き出し、涙をこらえきれないアマンダの傍にいてオロオロする。母を亡くした子どもにどう接してよいかわからない。深く傷ついた人にどう接すればいいのか。してあげられることはあまりないかもしれないけれど、寄り添うだけのことでも力になると信じたい。
ダヴィッドだってアマンダにパワーをもらっている。アマンダは存在するだけで、いのちのシャワーをダヴィッドに浴びせている。子どもは特別だな。でも、誰かのために寄り添うとき、自分でも気づかないうちに力を得ているんじゃないだろうか。
二人が歩くとき、離れて歩いたり手をつないだり。同じ方へ。つかず離れず、寄り添うのがイイと思う。
(2020/11/27 DVD)

AI崩壊

入江悠監督作品は観たことがなかったが、何年か前に高知のオフシアターベストテンに入っていて気に掛かっていた。本作は監督のオリジナル脚本だという。近未来の日本を舞台に、安全保障関連法、相模原の障害者殺傷事件、個人番号と他の情報の紐付けなどを彷彿させられる社会問題を織り込んだアクション娯楽作で滅法面白かった。それに、福島の漁師も登場するのだ。ハリソン・フォード主演の『逃亡者』を彷彿させるような下水道シーンもあり、主人公(大沢たかお)がいつ谷底(?)に飛び込むか期待しまくった(笑)。

この映画を観た人が、命(でも何でも)の格付けをするのは権力者であって、私たちは格付けされる側(殺されるかもしれない側)であることに気づいてくれたらよいと思う。どんな差別も許さないこと、仲間割れしないことが、格付けされないことに繋がると思うけど、今、日本では殿さまでもないのに殿さま気分の人がいて相模原の事件の加害者の考えに共感したりするから困ったもんだ。トリアージも市民間でよく話し合っておかないと、それほどでもないときにトリアージが必要と言い出しかねないのが権力者だ。

ああ、話が脱線した。
脱線ついでに素晴らしいコラムがあったのでリンクを貼ります。短くて面白いので、ぜひ、ご覧ください。

<新・笑門来福 笑福亭たま>絶対アカン考え方
(2020/11/21 DVD)