帰ってきたヒトラー

「あたご劇場で『帰ってきたヒトラー』、上映中~!」と職場で言うと笑いが起こった。「帰ってきたウルトラマン」・・・、みたいな(?)。なかなかよいタイトルだ。

戦後70年経って、やっと(?)キャラクターとしてこなれたヒトラーを主役にした作品が本国で生まれたんだなぁと思った。注釈付き「わが闘争」も出版されて、思ったより売れているそうだから、『愛を読むひと』で見たような国民的トラウマから立ち直り、歴史として客観的に見れるようになった時期なのかとも思う。同時に時を経た今だからこそ「忘れてはならない」「繰り返してはならない」という思いで作られたのかしらんとも思う。それに世界の国々が排外的になっている今、なんちゅうタイムリーな作品であろうか(感心)。

人は笑わせてくれる人が好きだから、笑いを取ると人気者になれる。そして、もっともらしいことを自信満々にほんの少し言うだけで人気者以上になれる。私も思った、「ヒトラー、すごいや」・・・・(^_^;。まあ、勉強していない者ほどヒトラーみたいな人を「すごいや」と思うものだ。ただし、勉強していなくてもヒトラーほどの歴史的人物になると「危険印」がついているので、私は狂言まわしのへなちょこ君をハラハラしながら見ていた。そして、へなちょこ君のぎりぎりラインを見てホッとした。そこで引いてくれてよかった。

マスメディアで働く人は、売れると思ってなんでも取り上げてはいけないと思う。
有無を言わさないような自信満々な人に用心。
支配者は、まず、分断してくるからね。
帰ってきたヒトラーは、いろいろ大事なことを教えてくれるものだ。
(2017/01/11 あたご劇場)

マダム・フローレンス!夢見るふたり

マダム・フローレンス役者で魅せる作品。
あの歌の上手なメリル・ストリープが音痴を演じられるのか?
あの軽い優男のヒュー・グラントは、メリル・ストリープと釣り合いが取れるのか?
日本のポスターでは、存在を消滅させられかけたサイモン・ヘルバーグは、本当に小さな役柄なのか?

いやいやいやー、答えはもう言う必要なしだよねー(^_^)。
とても気持ちのいい作品だった。
(2016/12/03 TOHOシネマズ高知3)

サウルの息子

閉塞感がすごい。初めて知ったことがたくさん。わからないこともいっぱい。

収容所でユダヤ人をガス室に送ったり遺体の始末をしたり、誰がやっていたのか考えたこともなかったが、ユダヤ人がやらされていたとは。ゾンダーコマンドと呼ばれていたそうな。ゾンダーコマンドの反乱も知らなかった。
ユダヤ教もカトリックと同様に埋葬が基本だったみたい。火葬はNGだったんだろうけど、あれは火葬でさえない。焼却だもの。サウルが息子の埋葬にこだわるのも無理はない。カトリックみたいに蘇り信仰があるのかな?

ラストのサウルの笑顔。あれが最大の謎。息子と同じ年頃の少年を見て自然と笑みが浮かんだのだろうか?いやいや、あの満面の笑みは、息子が蘇ったと思ったのではないだろうか。(一応、焼却は免れたし。)
知り合いに「お前に息子はいない」と何度も言われるが、「妻との子ではない」などと言うものだから、本人がそう言っているんだからサウルの息子でしょう!と途中までは思っていた。ところが、いざ埋葬のとき、ラビ(偽)に息子の名前を聴かれて詰まる。収容所で頭が混乱し、息子の名前を忘れたのか、それとも本当は子どもはいないのに息子幻想に取り憑かれていたのか。ラストの笑顔からすると、息子幻想に取り憑かれていたような気がする。
それなら、なぜ、息子幻想に取り憑かれたのか?さっぱりわからない。
東日本大震災以来、子どもは希望だと思うようになった。避難所で子どもたちが壁新聞を作ったというニュースを見たりすると、避難所の人たちは元気づけられるだろうなぁと思ったりした。反対に過疎地での廃校を伝えるニュースに接すると、寂しいだろうなぁと思う。その地域に未来がなくなったように感じる(実際はまだまだ頑張っているが)。別に子ども好きではないが、そんなふうに感じているので、「サウル、あんたもそう?」と思ってみたりもするが、まったく的外れだろう。
それから、ゾンダーコマンドたちが写真を撮ってポイしたり(証拠写真?)、メモ書きを回したり(反乱の準備?)もイマイチわからなかった。

それで町山智浩さんに教えてもらった。いや~、映画評論家ってすごいわ。いろんな受けとめ方があっていいとは思うけれど、わからなかった私には目からウロコの解説だった。
(2016/12/03 あたご劇場)

『サウルの息子』の息子とラストについて ←町山さんのブログ。ブログからyoutubeへのリンクもあります。youtubeが詳しいのでおすすめです。

この世界の片隅に

素晴らしい。日本映画史に残るんじゃないかな。
日々の営みを大切に愛しく描いている。
『小さいおうち』のように日中戦争から太平洋戦争の終わりまで描いている。
綺麗。明るい。笑える。

すずさんはお腹の子どもも亡くしたと思うけれど、言及されたのは右手と晴美ちゃんだった。最後の女の子が二重に生きてくる。
呉におると決意表明したときのピカ。劇的なあまりに劇的な場面なのにすずさんの決意表明はピカに負けてしまう。(すずさんの決意表明がピカと同時だったとは2回目に見て気がついた。)
玉音放送のとき、「最後の一人まで戦うんじゃなかったのかね」とスパーク。すすざんも戦っていたのだとビックリした。日々の営みも晴美ちゃんや右手を失ったのも、みんなみんな戦いの一環だったのだ。竹槍訓練やバケツリレーや防空壕に逃げ込むことだけが戦いではない。朝起きてご飯を作って洗濯してと今と変わらない生活が戦いだった。

戦後、すずさんは絵本作家になるのではないかと思ったら、ぜんぜん違った(笑)。
海外で見た人の感想をぜひ聴いてみたい。